第29話



 眼前に広がる光景は、目と鼻の先までパリエスの都に迫った巨人像たち。


 暗中にうごめく巨人軍団の蠕動ぜんどうは、嵐の晩の波頭を連想させるものがありました。決して押し戻せぬ死と間近で向き合っている、その事実に何ら変わりはないのですから。


 都市城壁の歩廊ほろうからそれを眺める二人。

 絶対絶命の窮地にありながら、冷静そのものでラタ・トスクは口を開くのでした。



「と・り・あ・え・ず、ですねぇ~アガタ様」

「な、なんだ?」

「大教会の鐘をガンガン鳴らして、避難勧告でもしましょうか。日頃やってる防災訓練の成果をみせる時ですよ。夜中でうるさいだろうけど、非常事態だものね。少しは我慢しろってんだ。このまま呑気に寝てたら死んじまうんだ」

「う、うむ」

「パリエスの都の奥まった方に市民を逃して、中央広場で毒水の巨人を迎え撃つ。天眼さまがそこで『とっておきの儀式』を準備なさっていますからね」

「頭ではお前の言うことが正しいと判る。だがまさか、お前からアゴで使われる日が来るとは……なぁ」

「部下として進言しているだけですよぉ。民間人の犠牲者を減らしたいのならピエロの言うことにも耳を貸して下さいな。都の外壁が巨人の侵入を食い止めている内に、急がないと」

「お前は普段、アホウのフリをしているだけなのか? まったく、私のプライドなど今は些細な問題にすぎぬ。あの巨人を退けるのに我が剣が幾ばくの力になろうか。斬りつけた所でアレは気にも留めまい」

「そういうの、ドン・キホーテって言うんですよ? アナタが物分かりの良い上司で助かった。そういうトコ、割と大好きですよ」

「貴様の本心が知れぬ内は、その好意に何とも言いかねるよ。ではまたな」



 アガタにも聞きたいことは山ほどありました。

 けれど今は何よりも民間人の命を優先すべき戦況なのでした。

 頂天騎士のアガタは敵襲を民衆に伝えるべく、階段を駆け下りていきました。

 しかしながら、すべきことが明白となったこの瞬間にも教団の内包する数々の矛盾が頭をかすめ、アガタを苦しめていました。


 同僚のエンデが送ってきた密書によれば、敵の首魁しゅかいはドゥルド族出身の魔女ヒルダ。監獄にて副官である黒騎士を捕らえ尋問中とのこと。


 それは、アガタにとって溜息しか出ない報せでした。


 ―― 結局、人の世に終末の危機をもたらしたのは……事の発端となったのは宗教対立のイザコザか!? 我々『天ノ瞳教団』がドゥルド族の聖地である森を焼き払い、奴等の土地を奪ったせいで ――。軽はずみな聖戦からドス黒い憎しみの連鎖が始まったのか!?


 思わず泣きたくなるような通達。

 いくらアガタ自身が誠心誠意「騎士らしく高潔であろう」と務めても、その努力を嘲笑うかのように教団の過激派は裏で暴走し、争いの種をせっせと各地に振り撒いておきながら、間違っているのはお前の方だと議会では開き直るのでした。


 更に言えば、対立とはどちらか一方のみの強硬策によって生じるものではありません。


 森の民であるドゥルド族もまた改宗をせまる宣教師をとらえては、木の人形に詰めて火刑に処すという非道を働きました。(その火刑人形をウィッカーマンと言います)街を追い出された犯罪者を受け入れては、どんどん大きくなっていく森のコミュニティ。それをそのまま放置するのは天眼様の威厳にかかわる大問題。教団にとって余りに危険すぎました。

 聖地の焼き討ちは、むしろ秩序の報復行為だったのです。



 天眼さまが地上に降臨し、救済活動を始めてからおよそ百年。

 こうした「いさかい」は百年の間、幾度となく繰り返されてきた事でした。(少なくとも歴史書にはそう記されていました)他者を救わんとして結局、更なる争いを生む。どうにもならない矛盾がアガタの心をへし折ろうと何度も何度も鞭を入れてくるのでした。


 下り階段が眩暈めまいで揺れ、思わず転がり落ちそうになりました。

 壁に手をやり、体重を支えて深呼吸。

 大丈夫、アガタはそう自分に言い聞かせるのでした。


 そう、彼女の周囲にまったく救いがなく、全方位が壁に閉ざされているワケではありませんでした。


 本来なら怨敵であろう、ドゥルド族から力を授かった仮面の英雄アルカディオ。

 そして、仮面を与えた張本人、ライチ・ライ・バクスターことライライ。


 この二人は出自に縛られることなく、アガタの正義に力を貸してくれたのです。

 いさかいの原因となる事件が起きたのは、ライライやハービィが生まれるずっと前なのですから、過去のしがらみよりも目に見えるアガタの態度が物を言ったのでしょう。高潔な振る舞いも無駄ではなかったのです。

 共同体が成長して膨れ上がれば、そこに矛盾が生じてくるのは仕方がないこと。

 真に大切なのは、善の側面が最後に勝利を収めることなのです。


 過ぎた事はやむを得ないが、未来を善に託すため ――。

 アガタは犠牲者の数を最小に留めるべく走り出すのでした。








 一方、外壁の上ではリス人間のラタは珍しくやる気を出していました。



「ほんじゃ、たまには僕も働きましょうかねぇ」



 歩廊の手すりから床へと飛び降りると、その衝撃で兜が少々下にズレてしまいました。されど、ラタは真っ暗になった視野を気にも留めません。グルグル巻きの尻尾から小さな針を取り出し、バトンよろしく回転させると、彼の得物である如意棒が適正サイズとなり手中に収まりました。

 頭頂についた真っ赤なフサをなびかせながら、騎士の兜を手にした如意棒でクイッと持ち上げれば……正しく修正されたラタの視界に水の巨人が立ち塞がっていました。



「おや、もうそこまで来ていたのかい。道理で足音がしないと思った」

「……お前、何者だ?」



 先頭に立つ巨人の掌には魔女ヒルダの姿がありました。


 ラタを見て怪訝けげんな表情を浮かべるヒルダに、彼は飄々ひょうひょうと応じるのでした。



「僕が誰かと? それはまた、随分と答えづらい質問だなぁ。そこで何をしているのか? せめて、そう訊いて欲しかった。まぁーね、僕も一応は教団所属となっているからサ。魔女のアンタを通すわけには行かないんだわ」

「道化め、正気とは思えん」

「クレイジー? ははっ、お互い様だろ? リーダーが先頭に立つなっての、人目に触れるだろ」



 言うが早いか、ラタは如意棒を身構えるのでした。刹那で伸びた棒はヒルダの頬をかすめ、背後にある巨人の頭部すらも貫通しました。

 まさかの不意打ちをくらい、ヒルダは目に見えて動揺していました。

 女性だからと手心を加えたハービィ。

 彼とは、まったく真逆の対応でした。

 ラタはケラケラと楽しそうに笑うばかり。



「おっと外れぇ! まぁ予告はしておくよ。アンタはこの棒で頭を砕かれて死ぬ」

「くっ! おのれ……」



 肩のオウムを空に逃がすと、ヒルダは一目散に身をひるがえしました。

 どこへ? 彼女が巨人の掌から身を投げた先は、胴体を形成する毒水の中でした。


 どぷん。


 濁った紫の液体に飲まれ、魔女の身体はたちまち見えなくなってしまうのでした。

 全身が水に飲まれる寸前、ラタに向け、魔女がしっかりと中指を立てたのも確認できました。


 次いで、巨人の群れは素早くお互いの場所を入れ替え、さながら奇術師のような手際の良さで立ち位置のシャッフルを終えるのでした。もう、どの巨人にヒルダが潜んでいるのかラタにも判りませんでした。

 しかし、ラタはあえて尊大な態度を崩しませんでした。



「はぁん、それで上手く隠れたつもりかい? このラタ様には何もかもお見通しだよ。隙をみて暗殺してやるから、覚えておけよな」



 如意棒を肩でかつぎ、両手で中指を立て返すと(お行儀の悪いことです)ラタは壁の内側へとキビスを返しました。

 それまでラタが立っていた所へ、巨人の拳が振り下ろされたのはその直後でした。両手を組んで振り下ろされた様は、プロレスで言うところのダブルスレッジハンマーのごとし。パリエスの都を長年守ってきた外壁に、たったの一撃で巨大な亀裂が走りました。たかが水といえでも、その密度と質量から繰り出される衝撃は破城槌に負け劣らぬ威力でした。


 外壁の上から王都の手近な路地裏へ。

 逃げ込んだ先で、ラタは衝撃で揺れる壁を観察していました。


 あの様子だと都へ侵入されるまで長くはかからないでしょう。

 でも、別にそれで構わないのです。

 ああも言っておけば、魔女はラタを放置できず追いかけてくるでしょうから。

 あとは付かず離れずのヒットアンドアウェイでチョッカイをかけてやれば ――。



「オトリをやらせたらピカイチだねぇ、僕って奴は。我ながら惚れ惚れする」



 独りごちて、ふと如意棒の先を見れば毒水がベッタリ付着していました。

 そして、小脇にちょいと目をやれば、そこには偶然にも寝ぼけまなこをした野良猫の姿があるのでした。ラタは意地悪く笑い如意棒から毒水を振り払いました。



「失礼、ちょいと実験だ」



 目前に飛んできた紫色の液体。

 それを猫がひとなめすると、たちどころに異変が生じ、背中から触手が生えてきたではありませんか。



「やっぱりね。別に巨人も自我をもったスライムというワケじゃない。あのデカブツは誰かさんが操作している毒水の塊ということだ。目的は水源の汚染か? 規模や脅威こそ大きいが、操る術者を倒せば『はい、それまで』なのは、そこいらのネクロマンサーと どうせ何も変わるまいよ」


「ふ、フギャー!!」

「ああ、ご苦労様。君の命はとてもとても役に立ったよ。その犠牲で大勢の命が救われるのだから、別にここで儚く散ろうと構やしないだろう? 誇りを抱いて天国へ行きたまへ、小さな英雄よ」



 哀れな野良ネコを棒で黙らせると、ラタは壁を蹴って跳ね返り屋根の上へと躍り出るのでした。彼の目線の先に在る光景は、壊れようとしている壁とそこからなだれ込んでくる巨人の群れ。鳴り響くBGMは、民衆の悲鳴と大教会の鐘の音でした。

 兜についた面覆いの格子越し、ラタの金色の瞳がキラリと輝きました。



「さて、不肖な弟子になり代わり、庶民を守る為に戦いましょうか。まったく笑っちまうぜ。世の中、みんなみんな馬鹿ばかりだ。こんな僕が、まさか賢い側なんて、どうなっているんだよ、世の中は」











 少し経ち、パリエスの中央広場では。

 避難誘導に部下の配置をあらかた決め終えて、喧噪の嵐から解放されたアガタの足は気が付くと広場に向かっていました。そこに天眼さまが居ると聞かされた以上、頂天騎士としては馳せ参じ、お守りしなければいけませんでした……なんとしても。


 普段は聖域で御簾みす(高い身分の者を隠すカーテンのようなもの、俗世間とのヘダタリ)越しでしかお話し出来ない相手が、そこにいる。考えただけでアガタの鼓動は否応なしに高まるのでした。


 護衛の直属騎士を連れ、真っ赤な法衣を身にまとう人間。

 いつもは人が多いこの場所でも相手はすぐに見つかりました。


 ―― もしや、あの御方が?


 教団のシンボルともいうべき「瞳」の刻印されたフェイス・ヴェールで素顔を隠してはいますが、浮き上がる口元とその体型は若い女性のそれなのでした。




「失礼。あの、貴方様はもしや……」

「おお、そこに居るのはアガタではありませんか。良かった元気になったのですね。回復の霊薬が間に合ったようで何よりです」

「やはり、天眼さま」



 柔らかな声からもしやと思っていましたが、まさか本当にアガタとさして年齢の変わらぬレディであったとは……とても現世に降臨して百年が経っているとは思えぬ若さでした。


 ―― いや、いくら何でも……若すぎるのでは? 古参の騎士に聞いた話では……何と言うか……もっとシワガレ声でお年を召した御方であったと……?


 神にとって容姿や年齢など取るに足らない変幻自在な物なのでしょうか。

 アガタにはよく判りませんでした。


 判らぬと言えば、天眼さまが此処で何をなさっているのかも同様でした。

 広場の地面にはデカデカと魔法陣のような物が描かれ、定位置にセットされたかがり火が周囲を怪しい炎で明々と照らしていました。そして天眼さまの手には何やら古めかしく分厚い書物。


 何とも怪しげな雰囲気ではありませんか。

 それをどう表現すべきか、アガタは思わず言葉を濁してしまいました。けれど、実直な物言いしか出来ぬ彼女は、やはりストレートな質問をぶつける事しか出来ませんでした。



「こ、これは? まるで密教の儀式……ドゥルドの用いる妖精召喚術のようですが」

「誓って、彼らから教わったものではありませんよ。敢えて言うならば、天眼の術と森の民の術は、非常にルーツが近しい物なのです」

「ルーツが?」

「今は思想の違いや行き違いから対立し、森の民と敵同士となったのは哀しい事です。本来ならば我らは手を取り合って人類滅亡の危機に立ち向かわねばならないというのに」


 少し教団の救済について説明を入れましょう。

 そもそも教団が多くの信者から支持されるのには二つの理由がありました。

 一つは、俗に魂の救済と呼ばれるもの。死後に天国の扉が開き、信じる者は(身分とは無関係に)魂の楽園で永遠の幸福が約束されているのです。そして、もう一つがいわゆる世界の救済。こちらは『預言書』に記された終末から『無垢なる者が暮らす世界』を必ずや救ってみせると天眼さま自らが誓いを立てているのです。天国なんて本当にあるのか? 間近に控えた終末から逃れる術などあるのか?


 どちらも真相は定かではありませんが、その目的自体は汚れなき崇高すうこうなもの。生きとし生ける者の全てが天眼さまの打ち立てた御旗の下へと集うべきだというのに。

 何故か、現実はそうなっていないのです。まったく不思議なことに!




 天眼様は手にした本を一度閉じ、その表紙をアガタへと向けると、このように続けました。



「貴方も『写し』ならば見たことがあるはずです。この預言書『ハンネ黙示録』こそが世界救済のカギとなる我らの切り札。救われたいと願う、民衆の尊き信仰心が『多くの写本』を通じてこの『唯一無二のオリジナル』へと流れ込んでいるのですよ」



 黙示録の写し。それは各地の教団施設に一冊は置かれているものなので、関係者であれば知らぬ者は居らぬほどでした。そして、それら全ての写本には表紙に『奇妙なシンボル』が押印されていました。見覚えのある「三菱紋に円をかぶせた」マークでした。

 今になって、ようやくアガタは思い当たりました。怪しい光を放つ そのシルシがアルカディオの仮面に刻まれていたマークに酷似しているという真相に。


 ライライはそのシルシについて何と言っていたのでしょう?

 歌で英雄の人気を高め、集めた希望をこの印から吸収すると。

 そう言っていました。


 では、このケースだと? 

 人気を信仰、仮面を預言書、歌をミサの説教と置き換えれば、両者のやっている事はまったく同じではありませんか。終末から救われたいと願うその想い。信者であろうと、歌の聴衆であろうと、その切実な想いに何の違いがあると言うのでしょう?


 真相が判りかけてきたような心地がして、アガタはゴクリと唾を飲み込みました。

 そして何食わぬ調子で天眼さまに訊くのでした。



「信仰心を集め、ここでいったい何をするおつもりなのですか?」

「召喚の儀。森の民が妖精を異世界から招くように、我々は神のシモベをこの場に降臨させるのですよ。その力は絶大にして無比。むしろ強すぎて扱いに困るくらい」

「強すぎる神のシモベですと?」

「ええ、その名も凄まじき『世界樹かじり虫』というの」

「か、かじり……それは……随分とお可愛いらしい……」

「あら? 翻訳がよくなかったかしらね? イマイチ? いいわ、やり直し。アガタ、私にもう一度チャンスを頂戴。時間の巻き戻しよ? いい? その名も『神木を喰らう者、ホール・ワーム』というの」

「いえいえ、かじり虫で良いかと」

「そうよね? やっぱりそう思うでしょう? うふふ」



 何やら田舎娘のような無邪気さと素朴さを目の当たりにして、アガタは困惑するばかりでした。しかし、そうも戸惑ってばかりはいられません。頂天騎士として、咳払いで誤魔化しながら話に目鼻を付けねばなりませんでした。



「では、その『かじり虫』なら街を襲う巨人の群れをも撃退できるのですか?」

「造作もないこと。アガタは、我々の住むこの世界が『大樹になるリンゴ』のような物だと聞いた事があるかしら?」

「ええ、噂話程度なら」

「この世界をリンゴとするならば、かじり虫は世界樹を食い荒らす芋虫。名前から連想されるほど非力な存在ではありません。その大きさは連なる山々すらも上回るという話よ。徘徊する山脈、そう言えば凄まじさが通じるかしら」

「はぁ!? や、山?」

「それ程の巨体が少し地中を掘り進めば、パリエスの都はたちまち大崩落。巨人どもを二度と出てこられない地の底へと葬り去ることができるわ。大き過ぎて加減の利かない所が難点だけれど」

「そ、そんなことをしては……」

「ええ、流石にやりすぎって感じよね? だからこれは最後の手段。何か他の解決法が有れば、そっちを選びたいものね」



 天眼さまの声に滲む不安の情。

 それを察したアガタは思わず口走っていました。



「奴等と交戦しているのはなにも我々だけではありません。たった今、英雄と呼ばれる男が命を削りながら抗っているのです。最終手段を用いる前に、一度彼らと合流して意見を求めるべきかと」

「その人を心から信頼しているのね、アガタ? いいわ、ギリギリまで待ちましょう。たとえ神であろうと己の運命は見通せぬもの。もし、彼がこの場に居たら、そうね、きっと同じ意見でしょうから」



 彼?


 もしや、それはラタのことですか?

 言いかけて、アガタは口ごもるのでした。

 ラタと天眼さま、両者の不思議な関係。

 決して触れてはならぬ禁忌に思えました。少なくとも今は。


 暗がりの中、天眼さまの持つ預言書だけが緑色のオーラに輝いて見えました。











 暫し時が過ぎて。

 ハービィがパリエスの都に帰還した時、彼が目にしたのは崩れ落ちた外壁と、その内側に広がった惨憺さんたんたる有様。

 平たく潰れた家屋の数々だったのです。



「うぐっ、間に合わなかったのか!?」

「いや、まだ入り口付近をウロウロしている巨人が居るっスよ。侵入されて間もないはず」

「そうそう、ヒーローはいつも間に合うように出来てるんだって! 自信をもって。世の中そういうモンよ。ポジティブ、ポジティブ」



 ハービィの悲鳴に応じたのは二つの声。

 ここまで彼を乗せてきた、エイ型の人造生命体ホムンクルス1号。

 そして、ちゃっかりと彼の「ポケットの特等席」に「収まってしまった」雨妖精ルカなのでした。

 お天気のようにコロコロ表情の変わるこの小妖精は、ついさっき自分で言ったことなど忘れてしまったかのようにトーンダウンしてネガティブな声でこう続けました。



「でもさ、あんなデカい巨人が相手だよ。ハービィ君ひとりでどうにかやれるの?」

「案外、やれなくもないさ」



 珍しく自信あり気にハービィは笑ってみせるのでした。



「前回やりあった時、ミズチの蛇を魔女に逆利用されただろ? あの時にちょっと閃いたことがあってさ。おやおや、魔女の術と俺の英雄術は、わりかし構造が似ているぞ……ってね」

「水を操る者同士、なにかしらシンパシーを感じちゃったのね? 浮気かしら」

「ちげぇーよ。浮気は違うけど、共感を覚えたのはその通り。水の術の基本構造はどれも同じだ。脳から全身へ命令を出すように……司令塔となる魔力の塊を対象に送り込んで水を操作しているのさ、水系の術者は」


「じゃあ、あのデカブツも脳に該当する魔力のコアが動かしているんスかね?」

「そういうこと。それを潰せば止まる……かも。ホムンクルス1号、巨人の足下スレスレを狙い潜り抜けてくれ。試してみたいことがあるんだ。あのな……」

「ふむふむ、合点承知の助っス」



 会話の間も速度を落とすことなく(ホバー走行で)地表を泳ぎ続ける魔法のエイ。スケボーでも繰るかのように、その上でバランスを保ち続けるハービィ。

 見た目からして奇妙な一行は、外壁の亀裂より街の中へと入り込み、手近な巨人へと一直線に向かって行くのでした。

 たとえ騎乗状態でもポーズをとり、自己主張することをヒーローは止めません。



「いくぞ! ゴーカイ流仮面剣士、アルカディオ見参!」

「もしかして、毎回それやっているんですかい、兄貴は」



 しかし、今回の名乗りは敵の注意を引きつけるため。たった今、巨人が民家の屋根を引きはがし、戸口から逃げ出す子ども達の姿があったのです。

 泣き叫び、逃げ惑う子どもたち。

 ハービィは歯噛みして、苛立いらだたしさと焦りを抑えるのでした。


 ―― いつもそうだ! 大義だ、正義だと大人が対立して、戦いが始まって! それに巻き込まれるのは無辜むこの子どもかよ!



「させん!」



 ハービィは一声吠えると、指先からミズチの水縄を飛ばし、道端に置いてあった木箱へと巻きつけました。猛スピードでその横を駆け抜けるホムンクルス1号、たちまち後方へと流れる街路の背景、ピンと張るミズチの縄、速度で引かれ浮き上がる木箱……その結実は宙を舞い、巨人の側頭部へと命中する「箱の贈り物」でした。


 しかし、相手は人型ではあっても水の塊です。

 木箱は渦に飲まれる小舟のごとく体内に吸収されてしまいました。

 更には、こちらを敵と認識した巨人が彼らの方へ向き直ったではありませんか。人間などたやすく握りつぶせそうな五指を握り固め、足元へ迫るハービィ達に重々しく拳を突き出してきました。



「潰されるぞ! 右だぁ、壁に避けろ!」



 騎乗者の無茶ぶりすらも、苦も無く実行する1号。

 巨人の拳は住宅街の鋪道を穿ち、ハービィ達は半壊した民家の壁へと跳びついて難を逃れました。しかし、過激で無茶な要求は一度きりで収まらず尚も続くのでした。



「よし、じゃあ次はあの拳に飛び乗れ」

「巨人の? ちょ……責任持てませんよ!」



 反発しながらも、1号は命令通り巨人の手の甲へと着地しました。

 大穴から抜かれ、砂塵をまき散らしつつ、高所へと引き戻される巨人の拳。

 その動きを予測し、相手の動作すらも逆利用するのがゴーカイ流の理です。

 ただ、力任せに暴れ回るだけの巨人とは積んできた場数が違いました。



「理を制する者、柔よく剛を制す。勢いにのって跳べぇぇ!」

「もうヤケクソっス! オラァ!」



 頭部付近まで持ち上がる巨人の拳。

 慣性の法則を味方につけたハービィ達は、拳が引き戻される速度を足場から我が身に授かり、単体では有りえない程に高く跳躍するのでした。

 更には1号の背を蹴ってハービィ自身が二段ジャンプ。圧倒的な身長差を乗り越え、仮面の英雄は見事に巨人の頭頂部へと到達しました。



「お前を動かす邪悪な魔力。全て抜き取ってやる!」



 要は『世界樹の祝福みんなの力』で大地からマナを借りた時と同じ事です。

 逆手持ちの木刀が巨人の額へと突き立てられ、木刀の柄から植物のツルが瞬く間に伸びるのでした。そのツルがアルカディオの仮面と武器を接続し、吸い取った魔力をアルジの肉体へとドクドク注ぎ込みました。(毒だけに)



「崩れ落ちろォォ! 人形め!」



 ハービィの絶叫に呼応するかのごとく、水の巨人はボディを形成する力を見る間に奪われてゆき、夏場のアイスが溶け落ちるかのように液化していくのでした。

 僅か数十秒のち、その場に立っていたのは息を荒らげるハービィのみ。辺りは紫色の毒水が溜池のように広がって、目に染みる刺激臭を放っていました。



「うぉぉ、アルカディオだ」

「仮面の英雄? 本当に居たんだ、すげぇ」



 騒ぐ子ども達に手を振って応じると、黄色い声にもおごることなくハービィは落ち着いた調子で指示をだすのでした。



「君たち、よく聞いて。その水は猛毒だ。間違っても触れるんじゃないぞ」

「う、うん」

「俺たちの街に土足で踏み込んできた連中は、絶対に許しておかない。必ずや、このアルカディオが何とかする。してみせる。だから、君たちは一度街を出て、夜が明けるまで近場の茂みに隠れているんだ。いいね?」



 こうなってしまった以上、もはや街の中に留まる方が危険なのですから。戦場より遠ざかる行動が最適解のはずでした。


 少年たちが去っていった直後、ハービィはよろめいて激しく咳き込みました。脳内でガンガンと割れ鐘が鳴り、血管にアルコール度数の高い酒を流し込まれたような気分でした。どうも吸収した魔力が性質の良いものではなく、体内で悪さをしている感じでした。


 駆け寄って気遣うホムンクルス1号を片手で制止しながらハービィはつぶやきました。



「尋常でない魔力だ。邪神に選ばれた魔女ってのはやっぱり特別性なんだな。こんな物をあの細身な体で受け入れられるなんて、チェッ、器としての容量がまるで違う」

「何を弱気な。貴方だって姉御が見初めた『選ばれし戦士』っスよ」

「いや、俺は少し鍛えただけ、ちょぴり幸運に恵まれていた……ただの一般人さ」

「一般人、結構じゃないっスか! 大切なのは性根。雑草なればこそ、強くあれ。人はそうあるべきっス」

「ふふ、判ってるじゃないか。そういう一般人だからこそ、勝てば熱い……だろ?」

「ええ、そうこなくっちゃ!」

「しかし、これから巨人全員を相手に毒抜きするのはキツイな。やはりヒルダ本人を追い詰めないと。奴はどこだ? どこにいる?」


「魔女なら巨人の一体に隠れているよ。それがどれかはちょっと判らないねぇ」



 ハービィの疑問に唐突な答えを返してきたのは、なんと近くのゴミ箱でした。

 英雄が訝しんでそれを見ていると、フタが開き、出てきたのはラタの奴ではありませんか。


 ラタの兜から魚の骨とリンゴの芯がポロリと落ちました。



「ラタ? お前、そんな所で何をやっているんだ?」

「ご挨拶だね! 捨て身の特攻で侵略を食い止めていた英雄さまに対して」

「なんで、ゴミ箱に隠れているんだと訊いている」

「失敬な! 多勢に無勢、ちょいと劣勢になったので、如意棒を伸ばして戦場より緊急離脱しただけ。そしたら、誤ってここに落ちただけだ」

「へぇ、そう。そりゃ失礼なことを口にしてスマナカッタね。まさか、お前が逃げるだなんて、奴らはそこまで手強いのか」

「魔女だけなら別にそこまで。ただ、伏兵でまだ見ぬジジイが居たんだわ。狼の皮を被った蛮族の爺さん。どうも『他人の肉体を自由に操れる』能力持ちらしくてな。流石の僕も自分の手で首を絞めたのは初めてだった。つい驚いて離脱しちゃったよ」

「墓穴ならいつも掘っている気もするけど」

「五月蠅いな! もっと真面目な話をしろよ」

「……まだ魔女に仲間が居たとは想定外だった。巨人の群れをさばきながら、単身で対処するのはシンドイな」

「それなら、どうする? マイフレンド。天眼さまに泣きつけば、ひょっとして『何とかしてもらえる』かもしれないぜ?」



 いつも通り、意味深に笑うラタ。

 詳しい事情は判らずとも、奴の「人をくった意地悪な性格」なら把握済みでした。

 ハービィは乾いた笑いと共にブンブン首を振り、啖呵を返すのでした。



「まさか、だろ? 神頼みなんて英雄らしくない。敵が二人なら俺たちも二人。いっそのこと手を組もうか? それで充分事足りるんじゃないのか?」

「へっへっへっ、長年連れ添った仲間みたいなコト言ってくれるじゃない」

「嫌かね?」

「いいや、悪くない。僕にそこまで大口を叩けるようになったとは。見違えたな」

「別に、ほめたって何も出ねーよ」



 契約成立の証として、ハービィとラタは拳を軽くぶつけ合うのでした。

 ゴツゴツと二回。

 友達、その言葉を安易に使う奴ほど実際は友情に厚い性格だと……ハービィはそう睨んだのですが。その推測が当たっていたかを知るのは、まだ少し先の事でした。



「んじゃ、僕は蛮族のジジイをおびき出すから。その間にキミが上手くやんな。群れなす巨人のどれかに当たりが潜んでいる。まぁ、くじ引きみたいなモンだね。本物の英雄ならヒキも強くなければ、生き残れない。見事、アタリを引き当ててみな」

「わかった。やってみるよ」



 ハービィがうなずくと、ラタは如意棒を地面に突き立てて伸ばし、我が身を高みへと持ち上げるのでした。そのまま民家の屋根へと跳び乗って、棒を戻すと風のように走り去ってしまいました。

 近くでやり取りを見ていた1号も、どことなく不安そうな表情でした。



「……何だかいけ好かない奴っスね?」

「まぁ、不遜な話し方ほど行いは酷くはないさ、多分」

「気付いていましたか? 兄貴。アイツの目、金色でしたよ」

「うん?」

「金色の瞳はハーフの特徴。妖精と人の間に生まれた混血種っスよ。ウチのマスターや先代のアルカディオであるクリムも、同じ色の目を持っていたっス」

「そういえば……クリム……先代の瞳は金色だったな」


「ルカも知ってるぅ。ハーフとして生まれた子は、容姿が『人並み外れて美しくなる』か『獣みたいに醜い姿になる』か、どっちかなんだよ」

「醜い?」

「ギリシャ神話のパンやサテュロスは下半身が獣でしょう? あんな感じ。まぁ、醜いというのも人間の尺度に基づいた意見で、妖精界だとそんなの特に珍しくもないんだけど~。人間界で生きていくのは大変なんじゃない? 容姿の差別とか、色々あるんでしょ? 混血は寿命も長くて、目立つから。人間には半妖精とか、半神デミゴッドとか呼ばれてるよ」

「アイツ、それでリスみたいな……うん、判ったよ。教えてくれて有難う、二人とも。でも、生まれや血筋がどうであろうと、今はラタの奴を信じて行動しないと。戦場で仲間を信じられなくなったらお終いだからな。傭兵団の時代に教わったこんな格言がある。『仲間を裏切るなら、その戦場が最後だと思え』ってね」

「その信頼に向こうが報いてくれると良いっスね」

「通じるさ、きっとな。今の俺達は街を救う英雄同士だもの」




 





 ハービィとラタが密談を済ませた同時刻。

 暴走する魔女ヒルダは巨人の軍団を率いて、今やパリエスの中心部へと攻め込んでいました。天眼さまとアガタが待つ中央広場まで、あと僅かに五十メートルほどの距離でした。


 意志を持った水圧に等身大の人間が抗う術などありません。

 歴史ある芸術の都は、ただただ暴力と汚染に蹂躙される一方でした。


 体内奥深くから巨人の頭部へと浮上し、ヒルダは裂けた唇に恍惚の笑みを浮かべるのでした。彼女たちが踏破した後は、紫の毒液ににじむ街の瓦礫があるばかり。


 ―― 何が芸術の都だ。武力の前には何の力もない!

 ―― これでいい。むしろ、もっと早くこうすべきだった。

 ―― 全ては『腐れ毒の君』の思うがままに。


 衝動に身を任せ、考える事を放棄するのは何と楽なのでしょう。

 後先考えず突き進むヒルダ。


 されど彼女の脳には、何かを訴えかけるかのごとくフラッシュバックする一つの光景があるのでした。そのセピア色に染まった記憶の中では、誰かが自分を寝かしつけながら優しく歌っていました。


 ―― あれは誰? なぜ今こんな物が?


 人が生の終焉を迎えようとする時、走馬灯のように大切な記憶が脳裏を駆け巡ると言います。もしかすると、ヒルダの思い出もそれと似たような事だったのかもしれません。


 ヒルダは薄っすらと涙を流しながら、口ずさむのでした。

 『森の小道、散歩へ行こう』の一節を。

 くり返し、くり返し。

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