第19話
F国の悪名高き裏名物、バスチイユ監獄。
そのドス黒く
王が目障りだと感じた者、もしくはF国の輝かしい未来を妨げる存在は、全て政治犯の名のもとに牢獄の暗がりへと葬り去られるのです。かつては侵略者からパリエスの都を守る砦として作られた
しかし、横暴のシンボルとして民衆から恐れられる一方で何かと不思議な噂がつきまとうのも、この監獄ならではの余話なのでした。
それは、投獄された囚人が「ここから出ていきたくない」と感じるほどの好待遇を受けているという……出所さえ不確かで何とも怪しい噂です。なんでも軟禁部屋には望み通りの豪勢な
では、先日囚われた我らがハービィもお楽しみを満喫中なのでしょうか?
勿論、薄幸の英雄にそのような扱いが許されるはずもなく ――。
彼は今、暗がりで恐怖と戦っていました。
あるいは逮捕というのは何かの手違いで弁解の余地があるかもしれない。そう考えた彼を待っていたのは手荒い暴力の歓迎だったのでございます。
武器を預けて事情聴取かと思いきや、突然後ろから殴られて身ぐるみを剝がされた上に明かりすらない牢屋へ放り込まれてしまったのでした。
残ったのはズボンと青あざだけ。
最初は自分が失明してしまったのかと思いました。
その闇はあらゆる光を拒絶し、鼻先の掌さえも満足に見えなかったからです。
手探りで辺りを探ると、指先に触れるのは冷たく湿った石壁ばかり。
辛うじてパニックとならずに済んだのは、暗がりからかけられた優しい声のおかげでした。
それは蚊の鳴くようにか細いけれど、間違いなく若い男性のものだったのでございます。
「待て、落ち着くんだ。
「あ、貴方は?」
「この牢獄に幽閉された同居人だよ。それ以上は君が落ち着いてから話そう。まずは、腰を落ち着けなさい。天然の洞窟を改造した地下室だが、椅子代わりになる岩くらいならあるはずだ」
成程、どうやら監禁された石牢は天井も低く
同居人の存在に安堵しつつ、ハービィは比較的かわいた岩を探して腰を下ろしました。
「……いくらか落ち着いたかい?」
「どうも」
「ここに閉じ込められた囚人は三日と持たずに気が触れてしまうか……さもなければ、出してもらいたい一心から、奴らの言いなりになってしまうというカラクリだね」
「とんでもないことになったなぁ。どっちもお断りですよ、俺は」
「わざわざこの特別房に入れられるなんて、それだけ君が重要な秘密を握っているということだね。名前を聞かせてもらっても良いかな?」
「恥ずかしながら、アルカディオと申します。現在売り出し中の仮面剣士……その中身がこちらとなります」
「おや、正教新聞で名前を見たね。アガタがお気に入りだという」
「あれ? アガタさんをご存知なんですか?」
「はっはっは、とんだ所で会ったね。私はエンデ・M・ブックス。アガタと同じく頂天騎士の一人だよ」
「えぇ? なんですって!? そんな人が囚われの身になっちゃったんですか」
「王も街中でそうそうバリスタを放たれてはタマランと思ったのだろう。それよりも手段を選ばず『邪魔者の身柄を拘束する』のが賢いやり方だと。実際その通りで、罪なき信者を人質にされては逆らいようがなくてね。素直に任意同行したらこのザマさ」
「そうだったんですか、汚い真似するなぁ」
「しかし、わざわざ同じ牢獄に入れるということは、我々をすぐ処刑するつもりでもなさそうだ。ノンビリ相手の出方を待とうよ」
―― なんだか呑気な人だな。ピリピリしたアガタさんとは大違いだ。
ライライが王宮へ乗り込んだ事実を知っている以上、ハービィだけが悠長に時を浪費している場合ではありませんでした。
それと、看守に没収されたアルカディオの仮面と世界樹の木刀がどうなったのか、気が気でなかったのです。ライライと師匠に託された宝物を下手に扱われたらたまりません。
ハービィは互いの身分差も忘れ、つい反発してしまいました。
「ノンビリって、そんな。今すぐ脱獄の計画を立てたりしないんですか?」
「それはちょっと難しいね。何人もの虜囚がこの牢獄を抜け出そうとしたが、そうした試みは全て失敗に終わったようだ」
「……? えーと、エンデさんはつい最近ここに捕らわれたんですよね? その割にはやけに詳しくありませんか? まるで過去にこの牢で起きたことを全部知っているみたいな口ぶりですけど」
「鋭いね、君。そう、私は知っている。私にかかれば、あらゆる過去の事象も本を開くように読み解くことができる。どこにだって探せば『過去の語り部』が居るものだからね」
「何です、それ? どうも
「アガタにも頂天騎士としての二つ名があっただろう? 『真実の代理人』という名が。私にも似たような別名があってね。『霊魂交渉人』というのさ」
「霊魂って、え、まさか」
「そう、幽霊だよ。この牢獄にも何人か居てね。私が事情通なのは、彼らから話をきいたお陰なのさ」
何やら、とんでもない相手と同居させられたようです。
半信半疑のハービィに畳みかけるかのごとくエンデは言いました。
「私の話が信じられないかな? この世に未練を抱えた霊は、土地や人、あるいは物なんかにとり憑いているものなんだよ。君の周りにもそれらしき影が見えるけど」
「ええ? やだな、怖いこと言わないで下さいよ」
「そんなに怖がることかい? 別に禍々しい雰囲気はないけどね。むしろ守護霊の類かも。君は人並み外れた幸運に恵まれたことはないか? それはきっと守護霊の導きなのではないのかな」
「そ、そうなんですか……あ、あはは……そうなんだ、霊が俺に」
アガタさんは人格者でまともな騎士だったのに。
エンデは随分とオカルトがかった怪しい人のようでございます。
それでも雑談で闇と狭さへの恐怖が薄らいだのは事実です。
―― まぁ偏見は捨てて、この人とも仲良くやらないとな。幽霊が居るというのなら、別にそれはそれで良いじゃないか。
なぜか上から目線のハービィがふてぶてしく考えた……その時でした。
二人の頭上でガチャガチャ音がしたかと思えば、遥か高所で
あそこまで二十メートルはあるでしょうか。ハシゴでもなければ届くわけがありません。
手ひさしで
天井の穴から敵意のこもった眼差しがこちらを見下ろしています。
羽根飾りがついたトーク帽子(頭に載せるように被る円筒状の帽子)はF国の下級兵士がよく被っている品です。上着もまた特徴的で、膨らんだ
着るもの全てが兵士の標準装備でしたが、その顔だけは馴染みのある標準からほど遠いものでした。
なんと昆虫のような複眼が兵士の両目であり、口の端からは人間離れした牙が突き出ているのです。ハービィとエンデが穴から覗いた異形の顔に驚きを隠せずにいると、昆虫兵士は明確に女性のものである甲高い声で喋り始めました。
「どうやらお目覚めのようだね、お二方。頂天騎士エンデと、仮面剣士アルカディオ殿。高名なアンタ方を、このバスチイユ監獄に招くことが出来てなによりだ。だが、我々のもてなしはちょっと風変わりでね。地獄には地獄なりの風習があるものさ。黒騎士からも丁重に面倒を見ろと仰せつかっているのよ」
「成程、地獄か。それらしい看守が挨拶に来たじゃないか」
応じたのはエンデです。
薄明りの下で見る彼は、茶色い髪をキノコの傘みたいに刈りそろえたやせ型の青年で、伸びた前髪は目にかかるほど、後ろ髪は肩に届きそうなほどでした。やや目尻の下がったレンガ色の眼は優しげですが強い意志を秘めている印象でした。
ハービィと同じく上半身は裸で紺色のズボンしか着ていないのに、背筋の伸びた立ち姿はどこか様になっているのでした。
昆虫の女兵士は笑って鼻を鳴らしました。
「ふん、口の利き方に気を付けることだね。ここじゃ私らが美の基準。醜い顔をさらしているのはお前らの方なんだよ。そしてなぁ……やがては、私達の顔が万人の目指す理想形となる。外の世界でもね」
「非常に興味深い話ですね、昆虫のレディ。詳しくお聞かせ頂けませんか?」
「いいともさ。耳を掃除してよぉーく、お聞き。私の複眼は選ばれた民のあかし。新時代に生き残ることを許された『適応者』の美しいお顔なんだ。
「ほう、適応者とは? 貴方は誰に選ばれ、いったい何に適応したというのです」
「とぼけなさんな。知らないとでもいうのかい? 北の荒野から世界に広がりつつある毒の沼。その毒を飲んで死を
「成程、つまり貴方は未知の毒に汚染された突然変異体だと」
「せ・ん・み・ん・だ!」
―― 何が選民だよ、セミみたいな顔しやがって。ミンミン鳴いてみろ、おい!
耳を傾けていたハービィの心にそんな
昆虫女は
「ああ、素晴らしきは紫色の毒。この毒に侵された者は九割がた肉が腐り、知性なきゾンビに成り果てる。だけどね、私たち残りの一割は違う、違うんだ。こうして新たな肉体とより優れた力を授かるのだ。見ていろよ、俗物ども。やがては世界中が紫の毒に覆われる日が到来しよう。その日以降、我々だけがこの地上で生きることを許されるのよ。誰に選ばれるのかと訊いたな? 教えてやる、神だよ、貴様らが信じる天眼さまなどとは違う。腐りきった社会を滅ぼし、人類に救いをもたらす正真正銘の…我らがあるじ様!」
「
「何とでもほざくがいいさ。ここまで言えば、お前たちを殺さず監禁している理由も察しがつくだろう。我々はもっともっと仲間を集めねばならない。紫毒を自らの意志で受け入れろ。コップ一杯で良い。強固な意志を持つ者ほど生存率も高いようだから、お前たちなら選民となれるかもしれぬ」
「チェッ、馬鹿にするない! 俺たちはなぁ、お前らの計画を食い止めに来たんだ。誰が仲間になんぞなるものか!」
ハービィが勇んで叫ぶと、昆虫女は牙をカチカチ打ち鳴らしながらそれを嘲笑いました。
「そうかい? じゃあ自分の立場を思い出すんだね。今夜は雨だ。その地下牢は雨漏りが酷くてさぞ居心地がよいだろうさ」
言うだけ言うと上げ蓋が閉められてしまい、牢内は再び暗闇へ逆戻りするのでした。ハービィは突き付けられた現実の過酷さに打ちのめされるばかりでした。
「すいません。ついカッとなって。少しは駆け引きを試みるべきでしたね……」
「いや、話し合いの通じる相手じゃないさ。奴らの計画が明らかになっただけでも大助かりだ。あとはこれを何とかして外部の人間に伝えなくては」
「そ、そうですね。けれど、いったいどうすれば……」
答えは重く垂れこめる沈黙だけ。
脱出不可能の地下牢を抜け、パリエスの中枢に巣食う悪党どもが社会転覆を目論んでいると広く世に訴えなくてはいけません。
悩んでいると、やがてエンデが重い口を開きました。
「いやね、実は手段がまったくないわけじゃないんだ。私には切り札があってね」
「ほう? どんな手段です?」
「霊体離脱の法を用いれば、あらゆる牢は意味をなさなくなる。幽霊を閉じ込めておける檻なんて存在しないだろ?」
「離脱? 肉体から霊魂が出ていくってこと? つまり幽霊になれると?」
「そう、自発的に幽霊となった存在を学者連中は『レイス』と呼ぶんだ。だけど、この術はまるっきり完成度が低くてね。離脱した霊が肉体から離れすぎると『魂の緒』(肉体と霊魂を繋ぐ糸のようなもの)が切れてそのまま死んでしまうんだよ。しかし、若いアルカディオ君の命と世界の危機には代えられないね……」
「な、なんてことを。寝覚めが悪くなるから辞めて下さい! なにか別の手段を考えますから」
「そ、そう? いやー、正直ほっとしたよ。度胸のない男でね、私は。すぐにやれと言われたら、どうしようかと」
「そんなの最初から提案しないで下さいよ! まったく!」
おやおや、同じ頂天騎士でも人によって頼りがいはまったく違うものです。けれども大声を張り上げたら、絶望のあまり
ハービィはこんな時に使うべき知恵を思い出したのでした。
『もしも将来、君が囚われの身となったら。妖精を探して助力を請うといいよ』
あれはリトルマッジ村からパリエスの都へ向かう旅路のこと。
当時のライライはとても教育熱心で、事あるごとに「アルカディオかくあるべし」と教え込まれたものです。きっと理想の英雄を自分の手で育てたかったのでしょう。そうしたお小言がピッタリ止んだのは、コンコドル広場でラタと初めて戦った直後から……。オデオン師匠の自立をうながす教えにライライも同調したのでしょうか。それ以降はハービィの考えを尊重するようになったのです。
それはともかく、鬱蒼と茂る森の小道を歩みながらライライはこう語っていました。
『妖精はね、人間が思っている以上に身近な存在なの。森にも、沼にも、古い屋敷にも、洞窟にも、人気が無い路地裏に置かれた木箱の陰にも、彼らは隠れ潜んでいるの。コンタクトをとる方法さえ知っていれば、案外友好的な種族なのよ。覚えておいてね。彼らは、面白い人が大好きなの』
ならば、この洞窟を改造した地下室にも一匹ぐらい居るのではないでしょうか?
アルカディオの仮面がない今、姿を隠した妖精を見る術はありませんが。それならば向こうから出てきてもらえば済む話なのです。
生き残る為なら何でもやる。それはライライや師匠との約束でもありました。
ハービィは腹をくくると、エンデが立っているであろう暗がりに声をかけました。
「エンデさん、俺、今からかなり『おかしな真似』をします。けれど、それは別に気が動転したわけではなく、ちゃんと考えがあっての行為なんです。どうか驚かないで下さい」
「え? なに?」
「あっ、あっ、アァァァァ~!」
咳払いをして喉の調声を済ませるとハービィは傭兵団で習い覚えた
「肉が食いたーい、肉食べたい♪ 鳥肉、豚肉、熊の肉♪
「え? なっ? 悪い霊でも憑いた?」
「腹が減ったぞ、腹へった♪ 果物、キノコ、ブルーベリー♪ 本当は肉が欲しいけど、苦手な野菜も噛み千切る♪ トマトやキャベツを泥棒だ♪」
「いや、盗みはダメだよ」
調子外れで決して上手くはなかったけれど、その歌は明るくコミカルなものでした。
この陽気さこそが妖精をおびき寄せるのに肝心だったのでございます。
ハービィの熱唱は十分ほど続きました。
そして遂に、暗がりを照らす小さな灯火が姿を現したのでした。
蛍のような光が暗闇を飛びわまったかと思えば、近くの岩に舞い降りて軽薄な声で喋り出したのです。
「キャハハハ~、なにそれ~。かなり下手くそじゃなーい。お兄ちゃん、こんな所で何やっているのさ? つい見に来ちゃったわよ」
それは全身を
七色のポンチョと空色のスカート、それに赤いリボンがついた三つ編みのお下げが特徴的な女の子です。髪の色も淡い水色でどこか人間離れしています。
「アタシ、雨妖精のルカって言うの? アンタは? 下手くそな、お兄ちゃん」
「わ、わ、本当に来たよ! えーとね、俺はハービィって言うんだ。こっちの背が高い人はエンデ」
「ふぅーん、よろしくね。クンクン、アンタからは妖精族の匂いがするし、特別に話を聞いてやらんでもないわ」
「なんと! これは妖精か? アルカディオくんの召喚魔法みたいなものかい?」
「んもー、召喚なんて失礼しちゃう。アタシは命令されて来たわけじゃないの。善意で来てやったのよ。好奇心という名の善意でね! だからあんまりダルイこと言うと、すぐに帰っちゃうわよ」
「うへー、待ってくれぃ。後生だから! 困っているんだよぉ!」
「カッコ悪い~、でも待って。聞き間違えかしら? アンタ今、アルカディオって呼ばれた? アタシの耳がおかしくなったワケじゃないのよね?」
「ああ、そうだ。ハービィにして、アルカディオ。こう見えてもドゥルド族に選ばれた仮面の戦士なんだよ。生憎、今は手元に仮面がないんだけど」
「ワァオ! 貴方ちょっとばかり妖精界じゃ有名よ。妖精男爵のケロヨンをこらしめた人間だもの。あの『女ったらし』の敵なら、もしかすると、もしかして女性の味方かしら?」
気まぐれで身勝手だけど、好奇心は強く、人懐っこくて明るい。
ルカはとても妖精らしい性格をしていました。
どうも難しい話をしたところで通じそうになかったので、ハービィは単刀直入に要件を切り出すことにしました。
「あのさ、俺たちこの地下室に閉じ込められて大変なんだ。どうにかならないかな?」
「なぁーに、それ。歌も下手なら頼み方もヘッタクソ。これじゃきっと女を口説くのも下手なんでしょうねぇ。見た目はそこそこなのに、残念だこと」
「ははは(我慢だ、我慢)助けてくれたら御礼になんでもするよ?」
「ほんとぉ~? じゃあね、じゃあね、ルカの恋人になってくれるぅ? 前から人間の彼氏が欲しかったんだ」
―― いや、そのサイズで恋人って無理があるだろ。
それに恋愛の「探求者」にして潔癖症のライライが知ったらオカンムリです。
ですが、大切な命と使命がかかっているのです。背に腹は代えられません。
「あら~イヤなの~? ならルカ、もう帰ろうっかな~?」
「判ったよ。君は恋人だ。お近づきになれて嬉しいよ!」
「やった~、契約成立! ん~、でも恋人って何をするのかしらね? まぁ、いいか。それはおいおい考えるとして。まずはアンタ達をここから出せばいいのね!」
「ハシゴか何かがあれば、あの蓋の所まで登っていけると思うんだけど」
「はいよ、まっかせなさい! 町中の雨を集めてあげるから」
ルカは両手を広げて何やら念じ始めました。
たかが五センチのおチビさんといえども、雨妖精の力は侮り難いものだったのです。
気のせいか、ポタポタと垂れる水滴のリズムが早まってきたような……。
そして一時間後。地下牢の上階に視点を移すと、そこは廊下の突き当りから壁一枚を隔てた隠し部屋となっていたのでございます。
二人の心変わりを期待し、隠し部屋へ戻ってきた昆虫女。彼女を待っていたのは、開かれた上げ蓋と水没した地下牢でした。雨水は穴からあふれて廊下まで流れ出し、洪水で街全体が被害を被ったのかと疑わしくなるような光景が目前に広がっていました。
いくら表が雨だといっても小降り程度、こんな有様になるはずがないのです。
「いったい!? 何事だ?」
思わず叫んで地下室をのぞき込んでも、そこはすでに水面の下。囚人の姿もなければ溺死体も見当たりませんでした。
「信じられん。どんな悪魔の
手刀でもなんでもない単なる接触です。ですが「レイス」と化したエンデの指先はあらゆる生き物から急激に体温を奪い去り気絶させる力を伴っていたのです。
水面に倒れ、ポッカリと浮かぶ昆虫女。
浮かんだ霊体は魂の緒に引かれるがごとく柱の陰に潜んだ肉体へと戻っていきました。隠れ場所から立ち上がるエンデとハービィ、彼らはニッコリ笑ってハイタッチを交わしました。
「デスタッチ成功。どうだい『
「それ使って大丈夫なんですか? 魂の緒が切れたら死んじゃうんでしょう?」
「平気だよ。五メートル以内なら、近距離限定の分身術みたいなものだね。いや、私の場合は本体よりも分身の方が強いのか」
この幽体はすこぶる便利でエクトプラズムの形を自在に変えることが出来、外部への物理的な干渉も可能なのでございます。やろうと思えば指先を鍵穴に突っ込んで万能鍵とすることも出来るのです。
エンデが活躍する一方で、ハービィの頭に乗ったルカときたら自分の手柄だと声高に主張して
「脱獄できたね、アタシのお陰で! 町中に降った雨粒を全部この地下室に集めたんだよ、凄いでしょう?」
「よく言う! エンデさんが上げ蓋の鍵を開けられなかったら、俺たち溺死していたじゃないか!」
「な、なによー、助けてあげたのに。あーでも、アレか。知ってるよ。いやよ嫌よも好きのうち……だよね? たしか? ニンゲンの恋人って、こんな感じかぁ」
「参ったな、もう」
まさか「もう用が済んだから帰ってくれ」とは言えません。
それに妖精術を行使したせいで彼女にも消耗があったのです。
「なーんか、もうルカちゃんオネム。どっと疲れちゃった。アンタのポケットを借りるわよ」
ルカは返事も待たずにハービィのポケットに潜り込み、イビキをかき始めたではありませんか。この小さな厄介者は、もうしばらく冒険につきまとってくるのです。
ハービィは諦めて、飽きるまで彼女の好きにやらせておこうと決めました。
苦笑して緩んだ口角を引き締め、エンデはハービィに問いかけました。
「さて、これで街に脱獄するだけならそう難しくないけど?」
「エンデさんはそうして下さい。奴らのことを皆に知らせないと。俺は……仮面と木刀を取り返しにいきます。大切な人からの預かり物なんです」
「囚人とは思えぬ大胆不敵さだ。でも、そうだね。よく考えたら、私たちはもう国王を敵に回した後なんだから。今さら怖いものなんて何もないか」
「まったくです。正しかるべき正義も時としてめしいることがある……か。頭にくるなぁ。この国の正しさに期待していた自分が馬鹿みたいだ。なんなら、今すぐ王宮に乗り込んで邪魔者すべてを打ち倒し、相棒と合流したい気分ですよ」
「冗談……ではなさそうだね。いいさ、付き合うよ。同じ牢にぶち込まれた縁だ。まずは君の宝物を探そうじゃないか」
「いいんですか?」
「構わないよ。私の場合『死後』でも報告は出来るから。それに君を見捨てたら寝覚めが悪いだろう?」
やはりエンデもまた頂天騎士に相応しい
肉体を離脱させれば武器として役立つという意味でも。
道理を踏み外した国家を正す。
二人は法と秩序を乱してでも、正義の為に戦うと心を決めたのでした。
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