第3話
ここで時間はガルムが檻から抜け出す直前まで
実際はどう決着がついたのかを覗いてみましょう。
「脅しで引っ込む正義なんてどこにあるんだよぉ!」
「そうかい、じゃあサヨナラだな。ハービィちゃん。お前の名前、憶えといてやるよ」
「はーい、そこまで!」
保育園の先生みたいな掛け声と共に割って入ったのは勿論ライライです。
「うん? なんだテメェは」
部下たちが武器を抜いて彼女を
「まぁまぁ、興奮しないで。私は貴方たちにとっておきの儲け話をもって来たんですから。アレクさんでしたよね? 話だけでもきいてもらえませんか」
「なんだと? ふざけてやがるのか吟遊詩人ごときが、この場を目撃した奴を生かして帰すとでも思っているのか?」
「そうそこなんです! 私は旅の吟遊詩人。村人にとってはよそ者にすぎません。貴方たちストレンジャーズにとっても部外者、仲間ではありません」
「それがどうした?」
「だからこそ私の言葉に説得力があるんじゃないですか。『村が獣人に襲われている所をこの目で見ました』そう証言すれば疑う者は居ません。私達に利害関係なんてないはずですから。……今はまだ」
「ふーん、面白くなってきたな」
「そうでしょう? 私の口利きがあれば狼男に殺された死体なんて必要ないんです。せいぜい包帯でも巻いて怪我を装えばいい」
「へへへ、お前さん可愛い顔してなかなか話せるじゃねえか」
「こんな時代、小娘一人で生きていくのは大変なんですよ。こう見えて手練手管は自信がありますからね」
何やら色目を使いながらライライはさりげなくアレクに近付いていったのです。
それもまた駆け引きの一部と判断したのでしょう、二の腕に抱きつかれてもアレクはされるがままとなっていました。
「なるほど、なるほど、子猫ちゃんは芸があるからご
「えー、そこまでしてくれるの? 助かっちゃうな~、ちょうど頼もしい殿方を探していた所だったんですよ。是非お願いしまーす。じゃあ早速、その胸で強く抱きしめて」
「おいおい神様、本当か? なんだよ、こんな時代でも悪いことばかりじゃないな」
「……嘘に決まってるだろ、バカ」
それは予告通りの見事な手練手管でした。
目にも止まらぬ速さでライライはアレクの煙草パイプをかっぱらうと、しなやかな動きで飛び退きました。掌でパイプを弄びながらライライはニヤリと笑うのでした。
何が起きたのか悟るとアレクは地団太を踏んで悔しがりましたが、もう後の祭りです。
「て、テメェ! 俺のパイプを」
「何がパイプだよ。案の定、抱きついてもタバコの臭いすらしないくせに。これにはライチちゃんもピンときたね。ガルムが檻から出ようとしても、貴方たちときたら誰も怯えていなかった。何か言う事をきかせる手段があるんだって」
ポカンと口を開け、成り行きを見守っていたハービィにもようやく事態が飲み込めてきました。
そういえば、普段アレクが煙草を吸っている所なんて見たことがありません。
ではあのパイプは何なのでしょう?
詩人は乾いた笑みをたたえながら、ライライは続けました。
「犬笛だろ? これ」
「か、返しやがれ!」
「やだーよ。オッサンと間接キスなんて汚いし、本来は口を塞ぐ楽器なんて詩人の使うものじゃないんだけど。まっ、仕方ないか」
マフラーで吹き口をよく拭うと、ライライはパイプを咥えたのです。
犬笛とは犬のしつけに用いられる道具で、人の耳では聞き取れない周波数の音を発する
アレクはパイプに偽装した犬笛を使う事でコッソリ魔犬に命令を出していたのでした。
そしてライライの手にかかれば、無音の犬笛すらも自在にガルムを操る魔法の楽器と化すのでした。聞きなれた音色ゆえに疑いもせず、ガルムは不思議な旋律に耳を傾けました。
ライチの音楽は聞く者の感情を自在に揺すぶる力を秘めていました。その効果は知性の低い相手や、心の無意識下へ強い不満を隠している相手には如実に表れるのでした。
「ウー、ワン!」
主人の命令と勘違いしたガルムは
「ガルムちゃん、GO!」
そして、ライライの命じるままストレンジャーズのメンバーへ襲い掛かったのです。
それは日頃のうっぷんを晴らすかのような大暴れでした。あっという間に威張り散らしていた大人たちはボロ雑巾のような姿で地に伏したのでした。
ハービィは未だ展開の早さに置いてけぼりをくらったような有様でした。
ですが、彼のもとへライライが歩み寄って握手を求められた時、ようやく当事者の自責を思い出し我に返ったのです。なぜなら、ライライの背後には武器を抜いたアレクが凄まじい形相で迫っていたからです。なんとしぶとい奴なのでしょう!
「危ない!」
大地に広がっていくおびただしい流血。ライライは下唇を血がにじむほど噛み締めると、
漂う殺気に格の違いを感じながらも、アレクはそれでも震える刀の切っ先をライライへと向けたのです。
「て、テメェら、こんなことをしてタダで済むと……」
「こっちの台詞なんだよ。出番の終わった三下がいつまでも居座るんじゃねぇ」
しかも彼女の右長靴には、いつの間にか鋭いトゲをもったアザミの
彼女は音楽以外にも幾つか不思議な術を心得ていました。役目を終えたアザミたちは、すぐチリとなって風に吹き散らされていきました。
すっかり戦意を
あとはガルムを森に隠してから、ストレンジャーズの犯罪を村人に報告するだけ。
されど背中を斬られたハービィは一晩たっぷり宿屋のベッドで寝込む事となったのです。真に現実は英雄譚のようになどいかぬものなのです。
それから話は現在に戻りまして。
目を覚ますとなぜかガルム退治の英雄に祭り上げられていたハービィ。
寝込んでいた事実すらも「仮面の力を用いた代償」として、さもありそうな作り話にすり替えられていました。正義感の強い彼にとって「嘘から出た祝福」を
酒場のテラスで夜風に吹かれるランタンが揺れていました。
屋根に備え付けの照明が左右する中、立ち尽くすハービィとライライもまた光と影の中で揺れていたのです。
「どうして、こんな事をするんだよ? 俺にはわからないよ、こんな事をして……俺が喜ぶとでも思ったのかよ!?」
「嬉しくないの? どんな形であれ夢がかなったじゃない? 今の世の中で願った通りに生きられる人間なんてほんの一握りよ。幸せなことだわ」
「嘘っぱちの栄光じゃないか。本当は君の手柄だ。
「……わかった。詳しく説明する。君の気持ちを軽んじていたことは確かみたいね、それは謝るよ。ゴメン」
緩んでいた口元を引き締め、ライライは背負った荷物袋を下ろして紐解きました。中から取り出したのは山羊をかたどった仮面でした。ハービィは思わず息を呑みました。
「アルカディオ・ハーンの仮面! 本当にあったのか」
「私の妄想だと思った? あれは君の未来があるべき姿を分かりやすく語っただけだよ?」
「まさか、俺もその仮面を被ればあんな風になれると?」
「残念だけど、今すぐには無理……かな? この仮面にそこまでの力はないの、今の所はまだ……ね。でも、此処を見てくれる?」
ライライが指さしたのは仮面の額についた『トリケトラの紋』です。
暗がりの中でもその紋章は青白い光を放っていました。
「なんか光っているな、これは?」
「この仮面は成長する仮面なの。人々の希望、願い、祈り、喜び。そんなものを吸収してこの仮面は力を蓄えていくのよ。今まさに、リトルマッジ村のみんなから希望の力をもらっているから光っているんだ」
「ええ!? もしかして皆の前であんな歌を
「そう、全てはこの為。そりゃあ、詩人として大成したいとも思うケド。世界情勢をかんがみれば、それは二の次かな? 歌を楽しめるのは平和があってこそ、まずは世界を救わないとね」
「世界を救うって……お前。それマジで言っているのか?」
「私の本気を疑う人なんて、選んだつもりはないけどなぁ。救うのよ、私と貴方で」
ハービィは暫し言葉を失ってしまいました。
この人は世界がどれだけ広いのか判っていないのだろうか? そうも思いました。ただ、それを口にしたら彼女との縁が断たれてしまいそうで……慎重に言葉を選ぶ必要がありそうでした。
「いや、そうだね。こんな世の中を変えたいとは思っているよ」
「結構。貴方だけじゃない、誰もがそう感じていることでしょう。病気の蔓延、犯罪の横行、家畜はやせ衰え、農作物は不作。あちこちで怪物が暴れているし、山のように大きな化け物を目撃したって話もある。何かが起きているのよ、私たちの誰もが経験したことのない何かが」
「
「だからこそ、今、英雄が求められているの。その第一条件は『最後まで諦めて投げ出さないこと』かな? その理由が、正義感からでも、承認欲求や自己顕示欲からでも……あるいは私に好かれたいからでも構いやしない。一番大切なのはこのイカれた
「なるほどね、自覚あるんだ」
「長い旅になるわ。怖いならママの所へお帰りなさい。男になりたければ私と来なさい」
ハービィは無謀さなんて百も承知で応じました。
「行くさ! 俺が戦い、君が歌う。それで世界がほんの少しでもマシになるってのなら、やってやろうじゃないか。いつの日にかきっと、君の作り話よりも俺自身の方がスゲェって言わせてやるからな」
「ふふふ、そうなったら嘘つき詩人も卒業ね。では受け取りなさい。これが地獄行きの片道切符だから」
渡されたのは英雄譚『アルカディオ・ハーンの仮面』
少年の踏み出した一歩は、果てしない冒険の始まりでした。
しかしその翌日のこと、さっそく二人はロマンあふれる英雄譚と現実がどれだけ
何人かは諦めて故郷に帰る決心をしたようです。されど年端もいかぬ少年たちの中には既に帰る場所がない者たちも多数いたのです。ストレンジャーズの計画を潰した張本人として、ハービィ達もそれを見て見ぬフリは出来ません。
英雄を志す者にとって「そんなの俺には関係ねーよ」なんて禁句なのです。
村人に相談してみると、そんな時は教会を頼ってみたらどうかと教えられたのでした。
その日は金曜日。
まずライライとハービィは村はずれの教会で礼拝に参加することにしました。
そこはステンドグラス越しに陽光が差し込む『
最後尾の長椅子席でぼんやり二人が礼拝を眺めていると、各教会を任せられた導師が教壇に立ち、
曰く、彼らが
曰く、遥か北方の氷海には天にそびえ立つ巨塔があり、その上には神々の世界が存在するのだということ。天眼さまはそこから地上へ降臨されたのだということ。
曰く、天眼さまは現在、道を失った者たちに教えを授けて下さるが、本人は大聖堂の奥へこもり滅多に人前へその姿をお見せにはならないということ。病気を治したり、金の出る鉱山を言い当てたり、天眼さまはこれまでにも様々な奇跡を起こして下さったのだとか。
どうやら混沌の時代に相応しい奇妙な団体のようです。
天ノ瞳教団はわずか百年足らずで世界的宗教にのし上がった新参者で、土着の神々から信者と土地を奪い、みるみる縄張りを広げていったらしいと専らの噂でした。
特に有力な後援者はD国の王様で、天ノ瞳教を国教に定めただけでは飽き足らず、天眼さまをお守りする兵を育てるべく騎士団領ごと教団に寄付したというのだから驚きです。ライライも吟遊詩人として各地を旅する間、幾度となく彼らの話を耳にしたそうです。
周りの席に聞かれないような小声で、ライライは教団への私見をポツリと漏らしました。
「天眼さまはいつも空の上で信者を見守っているから、誰も誤魔化すことは出来ないんだって。肩が凝りそうな話だね」
「でも、各地に孤児院や相談所を設けて困っている人達を助けているんだろ? なんでそんなに怖い顔をしているんだい」
「それをやるだけの権力とお金は綺麗ごとでは集まらないからね。天眼さまって奴は、油断ならない大したタマだってことよ」
「そしてな、そんな風に天眼さまを
不意に背後から肩を叩かれ、ハービィは度肝を抜かれました。
振り返ると板金の鎧に身を包んだ大柄な女性が立っていたのです。
「どうやらこの集会は君たちにとって退屈すぎるようだね? 周りの迷惑になるといけない、これから表で話さないか?」
言うだけ言うと返事も待たずに、彼女はさっさと
頂天騎士の名なら二人も聞いたことがありました。
教団が有する神殿騎士団。その中でも最も武勇と仁義に優れた十人の武人こそが崇高なる頂天騎士なのです。それぞれが一万人の兵を持ち、教団内でも発言力を持った大幹部。それ程のお偉いさんがなぜこんな田舎に現れたのでしょう?
好奇心を刺激され、ハービィ達は言われるがまま後を追うことにしました。
いつの間に集まったのでしょうか。
村はずれの広場には教団のシンボルである瞳の印をつけた騎士たちが多数待ち構えていました。聞こえてくるのは馬のいななき声と風にゆれる団旗の音、そして彼等の先頭で腕を組みながら
「よく来てくれたな。アガタ・クリスティンだ」
縮れ毛で燃えるように赤く、ミドルショートの髪型は男性の目をひくものです。スラリとした細い眉もアーモンド型の瞳も、金縁の眼鏡をかけた彫の深い鼻もどちらかといえば美人の
しかしながら一切の感情を押し殺した無機質な眼差しは、厳格でとても冷たい印象でした。リボンのチョークを首にしている所なんて洒落ているのですけれど、その美しさは裁判官のように潔癖で
それは実に奇妙な黄金の杖で、彫細工が施された長柄の先にソロバンがついていました。多くの国を渡り歩いたライライでも初めて目にする代物でした。
「ライチ・ライ・バクスターです」
「お目にかかれて光栄です、頂天騎士さま。ハービィと呼んで下さい」
「まぁ、そう身構えなくてもいい。何も君たちを罰しようというわけではないから。むしろリトルマッジの村を救った若き英雄たちに興味があって来たのだ」
「……教団のお偉いさんも、こんな辺境までわざわざ足を運ぶものなんですね。もしかして お暇なんですか?」
唐突で無礼としか言いようがないライライの軽口。
これには隣に立つハービィが青ざめたくらいでした。
ですがアガタはそれを
「依頼があったのだ。シャーウッド近辺に出没する獣人野盗『セリアンスローピー団』はたいそう狂暴かつ
「なんと! 頂天騎士さま御自らが人狼狩りとは。して、その成果は?」
「
「狼どもは退治されたのですか?」
「ああ。大多数は死に、団長のオリバーは裁判にかけるため騎士団領へと送られた。これでもう近隣の村が襲われる心配はない。さて、この結果に満足したかね?」
ハービィからすれば何故ライライがこうも喧嘩腰なのか判りません。ただ、傍らでヤキモキしながら見ているだけです。
されど当人には確固たる信念があってどうしても譲れないようなのです。
獣人盗賊団が退治されたと聞いても、ライライは喜ぶ素振りを見せず
ライライの答えを待ちかねて先にカードを切ったのはアガタの方でした。
「そうそう、捕えた獣人を
「逆恨み? ドゥルドの聖地を焼き、彼らを追い払ったのは貴方たちでは? 私はそう聞いていますよ。その行い、恨まれて当然なのではないですか?」
「まぁ聞け。判ったのはそれだけではない。ドゥルド族は獣の力を我が身に宿すため、普段から動物の角を被る習慣があるそうなんだ。故に彼らは『角被り』とも呼ばれていたらしい。さて……そうするとだ」
その場に居合わせた者たちの視線が一点へと集まりました。
そう、ライライの被った帽子にもまた「鹿の角」が生えていたのです。
「吟遊詩人殿、君はいったい何者なのかね? 奴らの仲間だというのなら観念したまえよ」
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