第13話 美しいひと(1)

私を呼ぶ使用人の声が、部屋の外から鋭く響いた。

私は、こぼれそうになったため息をのみ込んで椅子から立ち上がる。

アリーサが、気遣わしげにこちらを見た。

「ディウラート様」

私は無言でその先の言葉を止めさせると、ここに留まるよう言い置いて部屋を出た。

いくぶん夜も更けてきている。この時間帯まで呼び出しがかからない日など、滅多になかった。

もしかすると、今夜は『あちら』へ行かずに済むのではと、心のどこかで抱いていた期待が、無惨に破られる。

私は何か嫌な予感を感じつつも、呼びに来た使用人の後を付いて行くことしかできなかった。

離宮の端の一角。

取り分け頑丈そうな扉で守られた部屋の前で、使用人は立ち止まる。

「腕輪を」

こちらを見ようともせずに使用人がそう指示する。

私は、腕輪にはめ込まれた魔法石を、扉の一部に押し当てた。

ウォルリーカが許しを出した場合にのみ、この扉は開かれる。

腕輪の魔法石は、その確認の意味を持っているのだ。

許しなくこの扉を開けることは叶わない。けれど許しさえあれば、この部屋から離宮外へ出ることができる。

ただし、この部屋からは指定された場所へしか行けず、そこから離れれば強制的に離宮へ送り返される。

魔法石での認証が終わると、重々しい音を立てて扉が開かれた。

扉の向こうには、陰鬱として、寒気の走るような暗闇に包まれた部屋が広がっている。

そして、その部屋の床には巨大な魔法陣が彫られている。

使用人に突き飛ばされる形で部屋に踏み入ると、魔法陣がぼんやりと光だした。

私の魔力は陣に勝手に吸いとられて行き、魔法陣を発動させ始める。

ここは転移魔法陣の間。

転移魔法陣とは、人間や物を遠く離れた場所に瞬時に移動させるための魔術陣のことだ。

そしてここは、私が最も嫌う場所へと私を転移させる、忌まわしい部屋でもあった。

私は、吸いとられていく魔力をそのままに、魔法陣の中心へと移動した。毎晩ここへ来るのだ。勝手は知っている。

しばらくすると、ゆらり、と視界が歪み、ひどい浮遊感が襲う。

私は静かに目を伏せ、やがて真っ直ぐに前を見据えた。


視線を上げた先に、先程まで見ていた光景はもう無かった。

暗いはずだった室内は明るく、重厚だった扉は多くの彫刻が目を引く豪奢なものになっている。

同じものと言えば、足元の転移魔法陣だけだった。

私は魔法陣によって、離宮の外へと転移して来たのだ。

けれど、何も喜ばしいことではない。

ここは地獄。王弟一家の住む館だ。

私は毎夜、王弟一家の晩餐の席に呼ばれる。

家族なのだから当たり前だと、そう言ったのはウォルリーカだった。

心にもない事とわかってはいるが、逆らうことなど叶わない。

生きる希望も死への憧れも許されぬ身であることを。一生涯あの離宮から出ることの叶わぬ身であることを。

私は、毎夜ここへ来るたびに思い知らされてきた。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

先程とは別の使用人に促され、私は部屋を出た。

すると何処からかぬっと黒服の男が現れ、杖を突き付けて無理やり私を歩かせる。

私が逃げないようにするためだ。

毎夜毎夜、寸分たがわず悪夢のように繰り返されるこの光景に、辟易する。

「……」

窓が視界に入る。

鉄格子のない大きな窓の外には、一際巨大な建物が見えた。

王の住む城であるらしいことは知っているが、私にとっては、夢よりもずっと遠い場所だ。

きっとあそこに住む人々は、私のような者が存在することすら知らず、幸せという夢の中で暮らしているのだろう。

私は、見て見ぬふりをして、窓の横を通りすぎた。

「失礼致します。お連れ致しました」

目的地に着くと、使用人は断りを入れて扉を開いた。

王弟一家の集う場所。この館の正餐室だ。

黒服の男が離れたことを確認した私は、その場に跪く。

「ディウラートにございます。ウォルリーカ様の命により、ただいま参上致しました」

「遅かったじゃない」

ウォルリーカが言いながらこちらに近づき、垂れる私の頭を杖先で突く。

何だろうか。纏う空気が、いつもより鋭い気がする。

こつ、こつ、と頭に軽い衝撃を受けた後、ごんっ、と強い衝撃が走り、私は耐えきれず跪いた体勢のまま床に倒れ込んだ。

「うっ……」

「あら、何をしているの?なんと醜いこと。早く起き上がりなさい。悪魔の子である貴方を家族と認め、せっかく毎夜晩餐の席に招いているというのに、礼儀のない子ね」

その言葉に、私は拳をきつく握った。

ウォルリーカは、母上を悪魔と呼び、私を悪魔の子と呼ぶ。

悪魔の一族なのだと詰られたことが、幾度あっただろう。

この女の方が、ずっと悪魔のようだと言うのに。

「申し訳ございません」

私は謝ると立ち上がり、部屋に入ってはじめて顔を上げる。

嘲るように私を見下ろす義母のウォルリーカと、異母兄のゼウンの視線が突き刺さる。

父であるはずのイルハルドは、まるでここに私が存在しないかのように、視線すら寄越さず座っている。

何が、家族だ。

そう思ったことなど一度もないだろうに、よくも平気で嘘をつく。

だが、私とて一度たりとも彼らを家族と思ったことなどない。

血の繋がらないウォルリーカは勿論、血の繋がるイルハルドやゼウンでさえ、家族と思ったことはない。思いたくもない。

私の家族は、母上とアリーサだけで十分だ。

「何をしているの。早く来なさい」

晩餐の席についたウォルリーカが、刺のある声で言った。

「申し訳ございません。ただいま参ります」

再び謝罪を口にし、私は宛がわれている席についた。

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