第2話 大都市サムナの朝
まず最初に感じたのは浮遊感だった。
誰しも一度は経験があるだろう。寝ている途中で急な浮遊感を感じて目を覚ますことを。
「――ぎゃふん!」
アレが物理的に起きた。
要はベッドから落ちた。しかもやられ役みたいなセリフ付きで。
「いってぇ……」
完全に不本意だが完璧に目が覚めた。
何か夢を見ていたような気がするが、まったく覚えていない。
まあ夢なんてそんなものだろう。どれだけ都合が良い夢を見ても、目が覚めれば途端にあやふやになる。
深く気にすることなく、上体を起こしてベッドに背中を預け、一息。
「あー、くっそ……とんでもない目覚め方だ」
寝ていたベッドがシングルベッドで良かった。
六畳程度の自室は天井もそれほど高くなく、二段ベッドには少し手狭だ。
部屋のサイズとしても一人用なので、今後も天井付近から落ちることはないだろう。
右半身の微妙な痛みがこれ以上動くのを面倒にさせるが、目覚ましがないこの部屋で二度寝をしたら間違いなく寝過ごす。
仕方ないので眠気を噛み殺し、膝を突き立て、立ち上がった。
その足で窓に近づきカーテンを開けた。
顔を出したばかりの太陽が、徐々に大都市サムナを照らしていく。
早朝ながら大通りは商人達の馬車が行き来し、配達業の魔術師が杖で空を飛び回る。最も多く目に映る家々の屋根には、多くの猫や鳥がいて、それぞれの行動を見ていると以外に飽きがこない。
活気づくのは昼頃からだが、街は早くも動いていることを実感させられた。
ミズガルズ共和国の都市、サムナは領主である公爵家を中心に山なりで、同じ高さの建物でも場所によって景色がまったく違う。
この家は中腹部に位置し、更に部屋の窓は都市の外側に向けて取り付けられている為、景色は悪くない。城壁により都市の外を見ることが出来ないのと、仕事柄都市の外に行くことが多いのに城門へ行くのが面倒なのが難点ではあるが。
朝日を浴びて眠気眼が覚醒したのを自覚して、もう十分だと振り返る。
一緒に落ちた掛け毛布と寝間着をベッドの上に置いて、仕事着に着替えた。
朝食を食べたら出発だ。早く準備するに越したことはない。
靴を履いてから自室を出て、一階のリビングへ向かう。
まだ誰もいない。カーテンは開けられているから、誰かしら起きてはいるのだろう。
木製の床を歩いて、口の中の不快感を解消する為、洗面所に向かう。
扉を開ける時、僅かに引っ掛かりを覚えたが、すぐにいつも通り開いたから気にせずに中に入った。
様々な化粧品が左右に並ぶ洗面台の前に立ち、鏡に映った己を見る。
この辺りでは珍しいらしい
個人的な感覚だがサムナの住人は美男美女が多い気がする。そのせいか並ぐらいと思っていた自分の顔に、最近はとことん自信がない。
少し長くなってきた前髪を気にしながら、蛇口をひねった。
「しっかし、違和感がなさ過ぎて逆に違和感があるっつーか……」
コップの水を口に含んだ瞬間、後ろから音がした。
振り返る。
「え?」
「ん?」
後ろの扉――浴場にヒトがいた。
雫が、なだらかなカーブを描く胸部の上を走り、ふくらみをより一層強調させ、今度はすんなりとした細い手足に負けない腰へと向かう。鼠径部の窪みに落ち着いたかと思えば、隙間を存分に楽しみながら下へ下へと移動し、――
大きくなった雫は重力に逆らいきれず、惜しみながら両足の間をぽつんと落ちた。
「――きゃああぁぁ⁉」
衣類の類は一切に身に着けていない姿を見られた彼女は、すぐに扉を閉めて隠れた。
「な、なんでキミトがいるの⁉ 鍵閉めてたよね⁉」
口の中の水を吐き出す。
「いや、閉まって――」
と、洗面所の扉を開けた時のことを思い出す。
あの引っ掛かりは鍵が掛かっていたからなのか。
鍵が壊れたのか掛かりが甘かったのかは知らないが、キミトのせいではあるまい。
「まあ気にするな。俺は
「私は気にするの! ていうかして!」
相手が
しかし彼女は
いくら先程の光景が修正必須なサービスシーンだとしても、キミトとしては犬猫のシャンプーを見ているのとほとんど変わりない。
とはいえ相手は犬猫ではなく、れっきとした
欲情はしなくても裸を見たという申し訳なさはある。
「悪い。ちゃんと確認すればよかったな」
「……女の子のはだっ……か、身体見たのにそれだけ?」
他に何を言えと。
それっぽい感想を言ってもセクハラにしかならないから、謝罪を重ねるしかない。
「ごめん。本当にごめん」
「っ~~~~……はあ、もういいよ」
鏡越しに見る彼女の顔は濡れた毛に覆われ、表情が伺いにくい。
だからか、ため息をつかれた理由も分からなかった。果たして何を言えば正解だったのか。
「とにかく出てって。着替えられないから」
「……分かった」
歯を磨きたかったが、この状況では言っていられない。
コップに残った水を捨て、洗面所を出た。
やれやれと首を回す。朝からとんだトラブルに遭遇してしまった。今日の仕事に影響がなければいいが。
ひとまずリビングに戻ったキミトは、唐突に目に入った光景に、深い後悔を覚えた。
「あらキミト。今日は早いのね」
目の前にいたのはランジェリー姿の――巨漢。
二メートルは優に超えている巨漢は、脂肪が全て筋肉に変えられたかのような肉体を見せつけていた。ピンクのランジェリーから伸びたずっしりとした腕は腰より太く、太腿は足が閉じられないくらい膨張している。盛り上がった首の上に乗っかった顔は既にメイクが施されているが、詳しくないキミトでさえ一発で分かる厚化粧だ。
鮮やかな
艶めかしいポーズを取る彼の姿は、朝から見るには絶景(絶望的な光景)だった。
これならさっきの方が断然見ていられる。
思わず目を逸らして会話する。
「あー……キャシーのおっさん、洗面所なら今レオナが使ってるぜ」
「知ってるわよ。だから軽い化粧で済ませているんじゃない」
「まだ厚くするのか……」
言われてみれば普段よりも薄い気がする。ほんの少しだけ。
「ところでキミト」
「なんだよ」
「さっきの悲鳴、アナタ、まさかレオナを覗いたんじゃないでしょうね」
「んなわけないだろ」
飽きれながら言う。
美女の裸を見たいという欲望は勿論あるが、だからといって犯罪に走る度胸はない。
ましてや相手は
キミトの返答を聞くと、なぜかキャシーは残念そうにため息を吐く。
「アナタ、もう少し肉食系になってもいいんじゃない?」
「肉食系と覗き魔はちげーだろ」
このままだと嫌な予感がするので話を逸らす。
「それよりも、今日の当番はおっさんだろ」
「分かってるわよ。これからごはん作るから待ってなさい」
「その前に着替えろ」
そのままの姿でキッチンに向かうキャシーを引き留めた。
後ろから見るとゴリゴリの尻が丸見えで結構キツイ。前は前で見たくない膨らみがあるから見たくないが。
まったく注文が多いわね。とつぶやきながら二階の部屋に戻っていく姿を見て、ほっと一安心する。
これでリビングからランジェリー姿のマッチョを見ることはなくなった。
再び一人になったキミトは、椅子に座り独り言ちる。
「なーにが早起きは三文の得だよ……」
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