蜘蛛人レインの愛情

「ヨナ様、私を使ってみませんか」


レインは低い声で言った。


「ヨナ様はこれから何事か事を成すにあたって、宗教アドバイザーと、怪異や呪いを退けるための専門家がご入り用なのですよね。

私は、天使長のもとで特別に目をかけられて、そればかり学んできた女です。

教会の中でもとびきりの人材です。

今回のことはともかく、私を使っていただければ今後、初見の呪いに突然殺されるようなことは絶対に起こらないことを、お約束できます」


それは抗いがたく魅力的な提案だ。


「教会の仕事は?」

「ヨナ様を守るのが教会の仕事なのです。

呪術的護衛として常に近くにいて、ヨナ様の会う人物や話した内容を天使長に報告せよと。

もちろん、私は報告に嘘を混ぜ、真実を隠します。

バレないように2重スパイをして、ヨナ様は天使長にとって安全であると印象づけ、教会がヨナ様に牙を剥くことがないよう政治的に計らいましょう」


なるほど。

宗教呪術の専門家であることに加えて、教会の紐付きと見せかけたこちらの手駒、というのも魅力が大きい。


そんな強力すぎる政治的武器を、私のような政治ドシロウトが扱いきれるのか、という不安はあるけれど。

あと、天使長という要人の暗殺を狙っている、特大の危険人物でもある。


「それと、この身体。

上半身はこの通り器量良しです。下半身もアラクネの成熟した清い女です。

ヨナ様も本心からお褒めくださったこの肢体、すべてヨナ様に差し上げましょう。

美人局に使うも良し、ヨナ様ご自身が楽しむのにも良し。

また、素質のあるアラクネの身体は魔術具の素材としても有用です。

ヨナ様のお好きな時に、お好きな用途にお使いください。

使い潰して部品を取って、いらなくなればそのまま捨てて頂いても構いません」

「いや、それは」


一部、私も以前口にしたことがあるような内容も含まれていたけれど。


実際に言われる方になってみると、正直ドン引きだった。

イリス様とミッキには悪いことをした。


「それは、もっと自分を大事にして」

「大事にする理由がありません。

今はもう、家族もいない天涯孤独の身ですから。

それと実のところ、自分を大事にする仕方を、教会での暮らしの中ですっかり忘れてしまいました。

だから今の私には、来年までですら自分を死なせないで過ごす自信がないのです。

なんなら、ヨナ様のような方に道具として拾っていただいた方が、まだしも長持ちするでしょう。

それに、復讐心は別にありますが。

それでも私は本心から、ヨナ様に救って頂いた命をヨナ様のために使いたいのです」


「私は状況に流されてあなたを助けただけよ。そんな風に思ってもらうほどのことは、していない」


「わかっています。客観的な目で見れば、そのとおりなのでしょう。

でもヨナ様がしてくれたことと、それを私がどう受け止めたかの間には、関係はありません。

受けた恩とお返しの釣り合いなど、私にとってはどうでもいいのです。

想像してみてもらえます?

これまで手を差し伸べてくれたヒトはみんな殺され、孤独の中で諦めていた私の眼の前で、今度も私の命を助けてくれたヒトが死んだと思っていたのが、実は生きていて。

そして私の心を縛っていた呪いはすでに無く、それもそのヒトが解いてくれたからで。

辛くて苦しくて悲しくて寂しくて、ヒトを愛したくてしかたない気持ちが許されたところに、眼の前にこんなに優しくて可愛らしい命の恩人がいる。

我慢しろなんて言われても、踏みとどまれるはずがないでしょう?」


あくまで冷静な言葉と澄んだ瞳。これは、私が何を言っても無駄だとわかる。

私が受け入れるか拒絶するかしかないのだ、と。


「お願いです。私を使って」


そして、現在進行系でイリス様に押し付けている私に、拒否する権利などない。


「私はあなたが期待するほど、打算だけで判断できるわけじゃない。

きっとあなたの意思をおなざりにして、それなりに大切に扱うわよ。

それで良ければ、そうね。

お互いの目的と当面の生存のために、私たちは手を組みましょう」


私は右手を差し出す。

この世界でマイナな手続きだけれど、レインはさすが宗教家だけあって意味を知っており、その手を握り返す。

最初は右手で。それから、両手と脚の3本で私の右手を包む。


レインの触れるところは、どこも暖かくやわらかい。

けれど少しでも手を動けば、脚を覆う太い棘毛が、私の肉をずたずたに引き裂くのだろう。


「ヨナ様にとっては恐ろしいでしょう。

ですがもう少しだけ、こうして居させてください」

「怖くない。あなたがしたいだけ、こうしていればいいわ」


レインは私の手を握ったまま、神に祈るように深く顔を伏せた。

涙は見えない。


「お父さん。お母さん」


眼の前で俯く少女が怖いとは、少しも思わない。

それにずるいかもしれないが、私は怪我をしても痛くない身体なのだった。

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