天使長
イリス様が、私を何度も呼びながら、椅子に横になっている私を抱きしめてくれる。
「ヨナ、ヨナ、ヨナ」
嬉しい。温かい。心配をかけて申し訳ない。
ああ。でもあまり強く締めつけないでください。
まだ心臓が形になっただけで鼓動していないのです。声も出ません。
周囲では、教会職員たちが忙しく検死や周辺調査に駆け回っている。
特に暗殺者の死体は、魔術師たちが取り囲んで慎重に調査していた。
暗器とか呪いとか自爆とか、仕込まれてそうだものね。
隣に座って応急処置を受けているレインと、副長が状況と今後について摺り合せている。
レインはあんな戦い方をした私のことを、それでも命の恩人として扱ってくれているようで、悪い扱いや長期の拘束はしないと約束してくれる。
それから、私の飛び散った血肉の処置。染み込んだ床板ごと回収する交渉。絡女蜘蛛の残骸や他の遺留物は高レベル魔術汚染物に相当する高度焼却処分で合意。
こちらも軍事機密を守るというタテマエがあるのですんなりと話が運ぶ。
実際のところ、慎重を期して破壊的な方法での『採取』をさけていた『ヨナ』の体組織サンプルを、この機会に少しでも多く手に入れておきたいという狙いもある。
「ああ、レイン!」
背の高い女性がやってきて、レインを抱きしめる。
ケープのような薄い服にふくよかな女性の身体。そして頭上の輪と背中に羽根。
本物の天使だった。
「教会長、申し訳ありません。大切なお客様の安全と、建物内でこのような騒ぎになって本当に」
「そんなことはいいのよ! あなたが無事でよかった。そんな他人行儀なことを言わないでちょうだい。悲しくなってしまうわ」
「ごめんなさい、お義母様」
レインが上半身で抱きしめ返す。脚がキシキシと動く。
「あなた、怪我をしたのね?」
「大したことはありません。あっ」
レインが何か言う間に、回収されていた脚先が傷口と綺麗に接着する。
「ありがとうございます、お母様」
「娘のためなら当たり前よ。
傷口が綺麗だったし、時間も経っていない。肉も失われていなかったから、簡単に付いたわ。
これなら後遺症も無いでしょう。他には大丈夫?」
「ヨナさんが守ってくださったので、私は無事でした」
「ああ、あなたがヨナ様ですね。娘を救ってくださって、本当にありがとうございます」
レインがこちらを見たので、天使が横になって回復を待っている私を向く。
彼女がレインにしたように手をかざそうとしたのを見て、副長が割って入る。
「すみませんが治療はご遠慮ください。ヨナ様は特殊な体質なのです。お気持ちだけ感謝します」
「あら、そう」
治療してもらっても良かった気もするが、慎重になる副長も正しい。
ヨナのボディは、このまま放っておいても治りそうだし。
副長が空気を読まずに尋ねる。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
天使の隣に従っていた別の天使が、副長に向かって答えた。
「この方は天使長様であらせられます。この教会の教会長であり、レイン様の義母でもあります」
私は何も言えない。
物理的にも喋れない状態だけれど。
レインが目で、私に黙っているよう合図する。
もちろん、逆らう理由はない。
「ところで、私の娘を傷つけた不埒者はどこに?」
「暗殺者の遺体はそちらに」
周囲が男の死体を示すと、天使長はそちらへ歩み寄る。
魔術師の列が割れて、その向こうの遺体が、天使長が手を振ると燃え出した。
「どんな危険な呪いを隠し持っているかわかりません。私が処分しましょう。
私の可愛い娘に手を出したことを、地獄で後悔するがいい」
後半の怒りの言葉に、私は嘘を感じなかった。
イリスヨナとして声帯や発熱を分析した結果ということではなく。
燃えて灰になる暗殺者の死体を見ながら、私は照り返す天使の笑顔の意味を測りかねていた。
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「お義母様、ひとつお願いがあるのです」
「あら何かしら」
「わたくし今回、ヨナ様にお命を救って頂きました。
このご恩を何としてもお返ししたいのですが、相談役として行くことが決まっている赴任先は、ヨナ様の暮らしておられるイリス伯領地からは遠いのです。
お母様、ヨナ様が降臨なさった件もあって、イリス伯領地に新たに担当者を送って人を増やそうという話も出ているのではないかと思います。
その担当の一人として、わたくしを送っては頂けないでしょうか」
「あなたを、イリス伯領地に?」
「既に赴任先が決まっているところを、横紙破りになってしまいますが、どうか娘のわがままをご一考いただけませんか」
天使長は少しだけ考えてから答えた。
「娘のわがままなどど言わないで。信頼のおける私の娘が、自らイリス伯領地に行きたいと言うのならば、私としてもありがたい限りです。そのように手配しましょう。
レイン、恩人のため、教会のために良く努めるのですよ」
「はい。ありがとうございます」
やりとりを聞いていた副長が、私だけに聞こえるように小声で言った。
「レイン様、帰りにイリスヨナに乗せるお客様になってくれるかもしれませんよ」
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