13. 山登り

 八王子JCTで高速を下り、下道を三十分ほど走るといつの間にか曲がラジオに変わり、十五時を告げる。


「……て、起きて」


 トントンとあいの肩を叩く手に、ううんとまだ眠いのかくぐもらせた声を漏らすといやいやとでもするように、首を僅かに振る。その様子に、手のかかること……と文句を零せばパンっと手を叩くとビクッと今度は驚いたように藍が起き上がる。


「おはよう、少年。よく寝れた?」


 わざとらしい笑顔を浮かべたしうがそそくさと車を降り、うーんとまだギラギラと照りつける太陽に向い伸びをする。


「田舎の空気だー」


「そうですか?」


 ふぁあと大きな欠伸をし、同じように伸びをする藍。


「ここが目的地ですか?」


「いんや、ここから十五分くらい歩くよ」


「……登山?」


 ぐるりとだだっ広い駐車場を見渡し、一台、二台と止まる車を視線を留める。


「まッ、そんな大変じゃないでしょ。……あとね、これ」


 どれ? と聞く間もなく瞬間移動でもしているのかと思うほど音もなく隣に来ていたしうがぐいっとスマホの画面を藍に近づける。


「心霊スポット……?」


「そう」


「いや、え? でも」


「ねえー? いなくね? 関東屈指とか言うならわかるよね」


「ですね」


「やっぱりさ、心霊スポットなんてほとんど偽物なんよ」


「しうさんが言うと説得力ありますね」


「キミが言っても説得力あるよ」


 登山というよりもハイキングのようで、緩やかながらもキツい坂を歩く。山だからか、都会よりも多く鳴く蝉の声にふと実家を思い出し懐かしさが過ぎる。

 途中、散歩コースなのか仲睦まじく寄り添う夫婦の間を得意気に歩くボーダーコリーの横を通ると、先ほどまで大人しく歩いていたのが嘘のように過ぎ去ろうとするしう目掛けグイッとリードを引くと戸惑い怒るご主人を他所に彼女へと抱きつかんばかり飛びかかる。


「すみません! すみません!」


 受け止めきれず木々が日陰を作る道にちょうど尻もちをつき、そのまま飛ぶのでは? と思うほどにブンブンと尻尾をふり、しうに撫でて撫でてとじゃれるボーダーコリーに満更でもなさそうに、いやかなり嬉しそうに撫でくりまわす彼女に藍は驚く。


「大丈夫ですよ、小さい頃からなんか犬に好かれて……。よくこうやって来てくれるんです」


「いや! それでもお怪我などは……」


「本当、大丈夫ですって。それにこの子賢いし、自分の力加減がわかってますよ。ねえ?」


 わしゃわしゃと一通り顔を撫で終えれば、立ち上がるしうに何度も頭を下げる夫婦。そんな様子に困ったように笑ってみると、うーんとしうが唸る。


「あ、じゃあ」


「はい」


「八王子神社ってあとどれくらいで着きます?」


「へ?」


 てっきりクリーニング代やなにかを請求されると思っていたのか、抜けた声を上げる夫婦。


「八王子神社ってこの先ですよね?」


「え、あ、はい。そう……ですね、途中で山道が分かれて展望台に向かうんじゃなくて。険しい方。左ですね、左に行くと寂しそうな神社が。ここからだとあと十五分くらいですかね」


「山頂までが十五分じゃないんですか?」


「多分あれはスタスタ歩ける人の早さでの記載かと」


「だって」


 急に話を振られ、え? と素っ頓狂な声を出す藍にハハッと笑うと最後にとばかりにもう一度ボーダーコリーを撫でる。


「ご丁寧にありがとうございます。ばいばーい、またね」


 呆気に取られる夫婦を置き、先を急ぐように足早に歩き出すしうの後ろ姿を呆然と見つめていた藍も置いてかれると気づけば慌てて後を追う。


「あ」


「え」


 追いついたと思うと、くるりと向きを夫婦に向けいま来た道を戻るとただただ困惑する二人の目を真っ直ぐ射抜くようにしうの目が見つめる。


「今日はもうこの山は登らない方が良い」


「え」


「危ないから、わんちゃん撫でさせていただいたお礼です。胡散臭くて気持ち悪いかもだけど、良くないのがいる。これ握って、振り向かず山から下りた方が良い」


「あ、いや、でも……」


「急いで」


 あまりのしうの真剣な声にビクッと肩が跳ねる妻、その様子に「すみません」と呟くとそっと優しく妻の手を取り、草で編まれたなにかを握らせる。


「行って」


 頭のイカれたスピリチュアル系のやばい女に絡まれたと思ったからか、それとも異様な程切羽詰まった様子になにかを感じ取ったのか、困惑した顔を見合わせつつ二人がぎこちなくしうにお辞儀をすると駆け出すように踵を返す。


「なんであんなこと言ったんですか」


「あんなって?」


「さっきのご夫婦に」


「え? そりゃ生きてる人間……しかも善良な人が危ない目に逢うのは可笑しいでしょ?」


「…………生きている人には優しいんですね」


「生命があるからね。まあ、人は嫌いだけどあの子良い子だったし」


「犬、好きなんですか?」


「好き」


 ふわりと笑い答えるしうに自分が告白でもされたのかと一瞬錯覚すると、違う違うというように首を振る。


「それにあの子たちも心配してるし」


「あの子たちって……え、犬?」


「大事に大切にたくさんの愛情と思い出を貰ったんだろうね。わざわざ心配して見に来てる、ああやってあの子たちとあの子がやべえ時は二人を守ってんだなあ」


 五、六匹の犬種の様々な犬たちが夫婦が下りていった方を見守るようにジッと見つめている姿に藍は愕然とする。


「……あの夫婦の?」


「そう、みんな大好きなんだって」


「え、ていうか……俺、なんで視えて?」


「私といるから感覚が戻ったのかもね」


 盛大な合唱をする蝉の声が気味が悪いほどにぴたりと止まる。

 なんでもないことのように言うしうの言葉がずしりと錘のように藍にのしかかる。

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