この気持ちにタイトルをつけて
arenn
right
天井のふしぎなシミが、じわじわと
日ごとに広がっている。
ぼんやりと起きがけにそれを眺めてから、小型電子端末を起動し、最新情報から確認してゆく。
大雨に打たれながら、重い体を引きずり歩く姿を空から俯瞰で見ている。
激しい雷が何度も近くに落ちる。
度々悩まされるふしぎな夢。
なにかを抱えているようで、それはなにかわからないまま、自分の重い体を必死に引きずって運んでいるようなもの。
なにか予知夢なのか。精神状態に関係するのか、いずれにしてもよい気持ちにはならない。
モーニングの準備をするために、ようやく体を起こす。
パン1枚に1口の大きさにわけたチーズを3つほど、そして濃いめの紅茶を用意する。
仕事は自宅でできるのだけれども、事前に外出許可の申請をしておいた。
よく晴れた朝だから、机と簡易椅子をバルコニーに出して皿を並べる。
塔を兼ね備えた大橋がもやの先にある。
コバルトブルーのスモッグで霞んだ
雲ひとつない憎たらしい春。4月。
トイカメラで橋の写真を撮り、そのままデータを端末にインプットする。そして、世界と繋がるーいや、それが世界といえるのか、それこそ空想の世界ーに、写真と一行の言葉を流すのだ。
自分の存在証明。
極端な思考だが、あながち間違っていない。
なにせ、籠の鳥。
簡易椅子に深く腰掛けて、紅茶の香りを吸い込む。
ふいに、どこからか歌が聴こえてくる。
London Bridge is falling down…
甲高いのに、掠れたような声。
童謡など久しく聴いてない。
隣のバルコニーからか。
バルコニーの衝立の隙間から、そっと覗き込む。
たくさんの鉢が並んでいて、小さな花や植物が育っている。
その葉茂みの合間から小柄な人がちらちらと見えた。
踊るように歩いている。顔ははっきりと見えないが、無邪気に笑っているだろうか。
ずっと覗いているのは非常識だ、と目を逸らして、パンをかじる。
歌は続いている。
それを聴きながら、そして私はどこかの誰かに向けて言葉を解き放つのだ。
先程撮った橋の写真と言葉を添えて、架空の電子ボタンを押した。
"投稿しました"と表示される。
押した瞬間にそのページが世界との交流接点の地となり、そこに毎秒100人ほどが押し掛ける。
架空の地とはいえ、多いときには90万の人が溢れかえる。画面越しに生きている人々の息吹きを感じる、唯一の手段。
スクランブルエリア。
空がどこまでも光に溢れていた。
往来に出ると、大きな荷物を抱えた少年が1人で立っていた。
そこは、外出許可を得たものが集まる場所。
我々は大きなワゴン車で、ひとまとめに送り迎えされているため、その日の予定は時間通りに行動せざる得ない。
少年は口布のなかでも籠った声で歌っていた。
俺は適度な距離まで近づいて、改めてその声を聴く。
「マイ・フェア・レディ」
思わず呼び掛けた。
呼び掛けたというよりも、どちらかというと続けて歌ったというのが正解だろう。
少年はひどく驚いた目付きで振り返った。
マスクで顔はよくわからないものの、耳があっという間に赤く染まって、目が泳いでいるのがハッキリとわかる。
なにやら言葉がうまくでないようだ。
ただ、目で微笑んで、そして視線を反らした。
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