第86話 きっかけ

 あれはヴィムがまだ帝国に居た頃。

宮廷魔術師として推薦されるきっかけとなった出来事である。


 帝国南部に魔人が出現した。

魔人は街を襲い、一つの街を吹き飛ばした。


 帝国騎士も帝国魔術師もことごとくやられてしまい、誰もが諦めかけていた。


「このまま、帝国の壊滅を待つしかないのか……」


 このままだと帝国は遅かれ早かれ壊滅する。

この魔人が帝都に到着するのも時間の問題だろう。


 そんな時である。

漆黒のローブを身に纏った魔術師風の男が現れた。


 音も無く静かに現れた彼に誰もが気づくのが遅れた。


「何をやっている! 死にたいのか!!」


 どう見ても強くは見えない。

身につけているものもさほど高価なものではないし、宮廷魔術師に彼のような人間は居なかった。


 騎士の忠告も耳にせず、彼はただそこに立ち尽くしている。

そして、魔人のターゲットが漆黒のローブの男になった。


 魔人は理性を持たない。

一度ターゲットを決めたら、何もかもを叩き潰してしまう。


「笑っている……」


 その時、騎士が目にしたものは、口角を上げて静かに黒い笑みを浮かべる魔術師だった。

この状況で笑っていられるなど、正気の沙汰ではない。


 騎士たちはこの男に恐怖さえ覚えた。


「よくも街を吹き飛ばしてくれたな。覚悟は出来てんだろうな」


 ローブの男がドスの効いた声で言った。

しかし、そんな声はもちろん魔人に届くはずはない。


 魔人は強力な魔法を次々に放って来る。

その様子を見ても男は顔色を変えなかった。


《断絶結界》


 最上位の結界魔法を無詠唱で簡単に使い、魔法を弾き返す。

誰もが歯が立たなかった魔人に対して、彼は互角いや、むしろ優勢を保っていたのである。


「じゃあ、死ね」


《テンペスト》


 彼が呟くと、風と稲妻が現れ魔人を飲み込んで行く。


「テンペストだと……」


 それは最上級の風属性魔法である。

使えるものは賢者や魔女と言った高位な魔術師に限られる。


「まさか、その域に至っているというのか……」


 その場に居た誰もが唖然届くした。

まだ若い男が魔人を相手に一歩も譲らない。


 魔人は悲鳴のような咆哮を上げる。

やがて魔人は息の根が止まった。


「魔人を倒してしまった……」


 この一週間後、ヴィム・アーベルは帝国の危機を救った功績を称えられ、当時の皇帝によって宮廷魔術師に推薦された。

当時も今も帝国は身分主義が根強く残っている。

反対する声も多く上がったが、魔人を倒したその実力から皇帝が鶴の一声で宮廷魔術師にしたのであった。


 そこから、ヴィムは数々の功績を残してきた。

貴族や豪族たちからも徐々に認めれてきた居たのだ。

そう、皇帝が代替わりするまでは。



 ♢



「魔人とは驚いたよ。お礼にいいものを見せてやるよ」


 ヴィムは楽しんでいた。

この危機的状況を。

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