第1話 天子の舞い降りた日
東京都戸具路市。
自然も残しつつ、都会的な進化も遂げつつ――いわゆる、どっちつかずな町。都心から少し離れてはいるものの、交通の便も悪いというわけではなく、それなりに栄えているところだ。
……ぐぎゅるるぅん。
今時分、春うららかな観光名所としては、均等に連なる二つの丘――名前はなんだったかな? 古くからの伝承もあって有名なはずだけど、おじいさんやおばあさんが健康のために登っているという記憶しかない。まあ、地元民の知識が他所から観光に来る人より乏しい、なんてのはよくあることだろう。
……ぐぎゅるばりばりうぉおぅう。
そんな二つの丘を背景に、爆発的な空腹音を鳴り響かし、小さな女の子が横たわっていたら――どうすればいいのかな? 女の子はパクパクと口を動かし、弱々しげに僕を見上げている。その瞳は僕自身ではなく、完全に僕の両手に向いていた。
右手にはおにぎり、左手には唐揚げ。
なにかのごほうび? そんな高尚な理由があるわけもなく、今日の抜き打ちテストがあまりにも残念だったため、涙ながらにお腹を満たして現実逃避しようとしたわけで。わけわけ尽くしのただの買い食い、やけ食いだったりする。
と、切ない振り返りはさて置き、本題に戻ろうか。
一、手持ちのご飯を食べさしてあげる。
二、無視する。
メリハリ満載な二つの選択肢がある中で、今は小さな女の子に接することが厳しい世の中だから、そそくさと退散するのが得策だろうか。変に関わってしまったら、どこからかお母さんが走ってきてうちの子になにをするの! なんて発展に発展を遂げて、いつの間にか近所の交番でこの人に注意なんて、一面を飾ることになるかもしれない。
「……よかったら、これ食べる?」
ここまで考えながらも、僕は右手を差し出す。
飢えで倒れている子が目の前にいて、見て見ぬ振りなんかできない。怖いお母さんが走って来たら――うん、全速力で逃走しよう。走ることには自信があるよ。
むぐもぐはぐ。
なんて、擬音が女の子から聞こえそうなくらい――満面の笑顔、嬉しそうにおにぎりを口に。その度、八重歯が覗いて子犬のような愛らしい印象を受ける。
……年は、十歳くらいかな?
腰辺りまである漆黒の髪、くりっとした瞳は黒真珠のように、なんともまあ将来は間違いなく美人になるだろう、と予感させる風貌だ。それを見越して予約をお願いしてもいいくらい。
ただ、気になる点が一つ。
主に神社でお目にかかる、赤と白を基調とした装束――一言でいうなら、巫女服だ。何故、こんな服装を? しかも、道端で。
「……」
女の子が、無言で僕の左手を見つめる。
どうやら、唐揚げもご所望のようだ。全部かよっ! と、少しだけ躊躇ったが、僕は差し出し――尋ねる。
「君、お母さんは?」
「……」
「それとも一人? 迷子かな?」
「……」
返答のない質疑応答。
うーん、参ったな。どちらにせよ、周囲にそれらしい人は見当たらなかった。放っておくわけにもいかないし、交番にでも連れて行くのがベストだろう。
「それ食べ終わったらさ、僕と――」
「むぅ、むぐ。……む、すまぬ。食事に熱中しておった。いつの時代もおにぎりというものは、ホワッとした美味しさじゃのう。この鶏肉もサクサクであったぞ」
「――いっ? あ、ホワッとサクサクね」
なんとも古風な喋り口調。
ぷふぅ、と満足気な息を一つ。女の子は元気よく飛び起き、
「感謝の印として、時間を巻き戻す能力をやろう」
じ、時間?
唐突な一言だった。女の子が僕を手招きし、言われるがまま――身を屈め、目線を合わせる。なんだ? なにが始まるんだ?
「あのさ、時間を巻き戻すってどういう」
不意に、僕の声が途切れた。
途切れた、というよりは途切れさせられた、とでも言うべきだろうか。一も二もない距離、つまりゼロだ。柔らかい感触が僕の唇に触れる。これは、これは――キス。紛れもなくキスというやつだ。な、なんで急にこんな! 僕のファーストキスがっ!
突然のことに頭がぐるぐるとしている最中、女の子は無邪気な笑顔で、
「天子の『神力』を分け与えた」
てんし? しん、りょく?
「む、天子は天子じゃ。気軽に天子と呼ぶがよい」
前者は名前のようだ、後者は全く意味不明だけど。
「……いや、そこじゃなくてっ! そ、その、天子はなんで僕にキスなんか」
「時間を巻き戻す能力をやる、と言ったではないか」
「確かに言ったけどっ!」
それとキスとなんの関連性があるんだ?
こんな可愛らしい女の子にキスをされるなんて――不覚にも胸がドキドキする。なにやら、目覚めてしまいそうだよ。『ロ』から始まり『ン』で終わる危険な病とやらに。
……もしかして、おままごと的な感じかな?
時代設定はよくわからないけど、古風な喋り口調からして江戸時代とか? うぅむ、多感な年頃の女の子だ。無下にするのもかわいそうなので――よしっ! ここは乗っかろうじゃないか。
天子は人差し指を立てながら、
「使い方は簡単。戻りたい、と思う時間軸を頭で念じるがよい。強い気持ちで『巻き戻れ』とな」
戻りたい時間、ね。
まあ、そんなこと言われても――単純に思い付いたのは、今日の抜き打ちテストのことだった。七割は白紙という、スペースを贅沢に持て余した自信作だ。この結果によっては補習もあるかもしれないので、今から憂鬱だったりする。
僕は目を閉じ、頭で念じる。今日の午後の授業に戻りたい。白紙だらけの抜き打ちテストをやり直したい。
――『巻き戻れ』――
これで、天子も満足しただろう。
今のおままごとって、リアルなんだね。キスまでしちゃうなんて、時代は進んだもんだよ、本当に。
このやり取りが終わったら、今度こそ僕の家、ぃや、交番に連れ――、
「今から、抜き打ちテストを始めるぞ!」
――目を開けば、景色が一変していた。
「えー、勘弁してよ!」「嘘! 本気で?」「うわぁ、最悪! これって悪かったら、また補習とかもあるんじゃない?」「うげげぇ、参ったなぁ」と、四方八方で声が上がる。
そんなざわめきの中、僕だけは無言だった。
見慣れた教室、机に置かれた答案用紙――見覚えがある。どうなってるんだ? これは間違いなく、午後の授業で受けた抜き打ちテストだ。頬をつねる――痛い。パシパシと両手で頬を叩いてみる――痛い。机に頭を打ち付けてみる――痛すぎる。
……本気で時間が戻っている。
時計の針は、午後一時を指している。あの女の子――天子と出会ったのは、コンビニ帰りのこと。少し立ち読みをして買いものをして、午後五時くらいだったはずだ。
つまり、四時間も遡っている。
カリカリと、ペンを走らせる音が教室に響く。とりあえず、考えるのはあとだ。僕も同じくして――本日、二度目となる参戦っ!
……解ける、解ける、解ける。
解ける、というよりは抜き打ちテスト終了後――先生が解説していた答えを、記憶していたからだ。ちなみに、七割が白紙の残り三割も間違いだらけだったので、実質は全滅に等しかった。
だが、今の僕は違う。
丸暗記した答えを、そのまま書いているんだ。まさに、無敵状態――ペンを握ってから開始十分で終了した。
残り時間、机に突っ伏しながら色々と考える。
居場所にそぐわぬ巫女服、古風な喋り口調、感謝の印として時間を以下略、といってからの現状――浮かんでくる疑問。
……天子という女の子は、何者なんだ?
何度、自問自答しても答えは出ない。確かめる術として、可能性として――心当たりがあった。
向かう先は、ただ一つ。
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