パパ友なら本名で呼んで/3

 バーコードを読む込む電子音を排除しながら、奇跡来はコウの話に耳を傾ける。


「孔雀明王っていただろ?」

「あぁ、守ってくれてた人だね」

「ちょっと違うけどな、まぁ、間接的にはそうだ」

「何かあったの?」

「孔雀明王に名前を変更した」

「え? そんなに簡単に名前って変えられるんだ」


 財布を出そうとしていた手を止めた。他の人々をすり抜けて、コウは奇跡来のまわりをくるくると回る。


「変えられない理由はどこにもないだろう? 偽名使って、人間みたいに悪さするわけじゃないんだから、名前変えたっていいだろう」

「確かにそうだ」

「それに、名前が変わっても、心――魂は変わらない。だから、物質界よりも名前変更は簡単なんだ」


 自分の番が回ってきて、奇跡来はポイントカードを先に出して、精算を待つ。


「そうか。時代が新しくなったから、名前も大きくなったんだ。だから、孔雀明王さんになったんだね」

「それから、不動明王も変わったぞ」

「どんなふうに?」

不動明王になった」


 他の人にはわからないように、奇跡来は少しだけうなずいた。


「あぁ、バーニングしたんだ。新たな炎で、やる気がみなぎってるみたいな感じか」

「あとな、毘沙門天がいただろう?」

「うんうん、若くんと乙くんのお父さん」


 レジの画面を見ながら、財布から小銭を取り出す。コウは気にせず、どんどん話を続ける。


「あのゴツいイメージが人間についてるのが嫌だったらしくて、広域天こういきてんに変わった」

「あぁ、そうか。結構こだわりがあって、ちょっと怒りやすい人だったもんね。よっぽど困ったことがあったのかもね」

「それから、孔雀大明王は結婚したぞ」


 カゴをつかもうとしていた手を思わず止めて、奇跡来は誰もいないはずの――コウの赤と青の瞳を見つめた。


「そうなの! 早いね、出会って結婚までが」


 急いでいる都会人は抗議の眼差しを向けるが、霊感モードに入っている奇跡来には伝わらず、自分のペースでカゴをどけた。


 ビニール袋へ野菜を入れるのを見ながら、コウは不浄な地上とは何が違うのかはっきり伝えてやった。


「物質界みたいに厳しい修業じゃないだろう。それに、心の世界だ。見た目に惑わされることもない。だから、すぐに好きなやつ――運命の出会いは見つかるんだ」

「幸せいっぱいだ」


 理想郷だと、奇跡来は思った。みんながみんなを思いやっている。それができたら、自分が急いでいると言って怒る人もいないのだろう。


 ふたつの世界の狭間で、コウの神々の話は佳境を迎える。


「別れることもない。出会ったら永遠だ。そうだろう? 本当に相手のことを好きだったら、どんな変化を相手が遂げても、どうやって愛し続けるかを考えればいいだけだろう? それが本当の好きだ。相手が変わって、心が冷めるのは本当に好きって言わない。それはいっときの気の迷いだ。愚かな人間のすることだ」

「じゃあ、孔雀大明王さんは、永遠の愛を見つけたってことだね」


 幸せのお裾分けをもらった気がして、奇跡来は珍しく微笑んだ。コウも今日はいい日和みたいで話が次々と出てくる。


「そうだ。それから、こんな珍事が起きた」

「おかしなこと?」

「火炎不動明王が陛下のもとへある日やってきたんだ」

「うん」


 想像する。城の重厚な両開きの扉が開かれると、真紅の絨毯が真っ直ぐ伸びていて、その奥の立派な玉座に堂々たる態度で、銀のよろいを着てマントを羽織っている皇帝陛下を。


 そんな威厳ある謁見の間。それなのに、コウから告げられた内容は、そこに似つかわしくない、可愛らしい間違いだった。


「見合いをするのだが、初めてで心細いから、陛下に同行してほしいと頼んだ」


 奇跡来はカイエンヌペッパーの小さな瓶をカゴから出しそびれた。


「えぇっ!? お見合いって、陛下と行くものだった? あれ? おかしいなあ。陛下は何ておっしゃったの?」


 コウは少しだけニヤリとする。


「いい大人なんだから、一人で行きなさい。だってさ」

「あはははは……! ごもっともでございます」


 ビニール袋を持とうとしていた手は空振りに終わって、奇跡来は唇に手を当てて、思わず霊視もれを起こした。他の客たちが見て見ぬ振りをする、一人で急に笑い出した彼女を。


「それで、火炎不動明王もそのお見合いで、いい相手を見つけたってさ」

「じゃあ、幸せは二倍だ」


 カラになったカゴを台の上から片付けて、ビーニール袋を片手に下げ、


「白くん甲くん、葛くん禄くんには、ママができたんだ。素敵だね」


 奇跡来は軽やかな足取りで、スーパーをあとにした。邪神界に襲われた時に、何も臆せず、小さな体で守ってくれたあの子供たちが、普通の生活を送れるようになったのだと知って。

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