第7話 契約と猶予
ビルの六階にある会議室には、わたしを含め三次審査を通過した七人のアイドル候補が集められていた。
みなびっくりするほど綺麗な人たちで、その中にわたしがいることにすごく違和感があり、端の方の椅子に座ってじっと最終審査が始まるのを待っていた。
予定時刻を少し過ぎたところで伊達プロデューサーが姿を見せた。アラフィフの年齢を感じさせない細身のしなやかな体躯をカジュアルなシャツで包み、豊かな髪は無造作になでつけている。
二次審査や三次審査のときに感じた強烈な存在感は今日も健在で、会議室に入ってくるなり、場のすべての視線が彼に集中した。そして彼が椅子に座ったところで、「準備が整いましたので」という挨拶が始まった。
まずは事務局から最終審査の説明があった。
それによると、今回のオーディションは今日集まった三次審査を通過した七人を基本的には合格にしたいということだった。その上で、契約内容やグループアイドルとしての今後の活動内容の説明を聞いてもらい、事務局側の要望に対応できるかを確認することを目的として最終審査を行うとの話だった。
合格の言葉を聞いて、集められた候補生のうちの数名から歓声が上がった。自分たちが選ばれたという喜びについ声が出てしまったのだろう。事務局の人が「静かに」と言って緩んだ空気を引き締めようとしたが、場の雰囲気は崩れたままで一向に収まらない。
「君たち、何か勘違いしてやしないかい」
伊達さんのよく通る渋い声が会議室に大きく響いた。
「我々は君たちを合格にしたいと言っただけで、まだ合格と決めたわけではない。今日の目的は、君たちが事務局側の要望に対応できるかどうかを確認することだ。どんな条件があるのかも知らずに喜んでていいのかな」
別に怒鳴ったわけでもないのに、むしろ軽い感じのしゃべり方だったにもかかわらず、伊達さんが発言したあと、会議室の中は静まりかえった。
その中、伊達さんは立ち上がり、わたしたちの前に立った。
「あー、申し遅れましたプロデューサーの伊達恭介です。勝手に発言してごめんなさいね。でももうしゃべり始めちゃったわけだし、いまさら黙るのも恥ずかしいからさ、せっかくなんで僕の話にお付き合いください」
二次審査や三次審査では、遠くで椅子に座っている姿しか見ていなかったから気づかなかったけど、間近で見た伊達さんは思ったより身長が高く、前に立たれると威圧感を感じた。テレビやネット記事の写真のイメージとは違う印象を受けた。
「えー、僕が近年プロデュースしたアイドルグループは、君たちも知っての通り、脱退と新加入を繰り返してグループ自体の寿命を伸ばし、人気を保つという手法をとってきたわけだけど、正直このやり方はもう限界だと思うんだよね。なんかグループを継続することが主題になっちゃってさ、旬の期間が過ぎて、もうこれ以上人気が爆発することがないことを知っていながら、下火にならないように、ただ人気を持続させるためだけに活動するなんて、やっててつまらないよね。なんか、わくわくしないっつうかさあ」
軽い口調の割に言っていることがどす黒い伊達さんであったが、続けて発せられた発言には意表を突かれた。
「そんなわけで、もう既存のアイドルのプロデューサー、すべて辞めることにしました」
すぐに反応したのは事務局の方たちだった。驚きの声を上げ、慌てたように伊達さんに駆け寄っていく。
「ああ、ごめんごめん、言い方が悪かった。プロデューサーとしての僕の名前は残すんだよな。でもさあ、実際はもうやる気ないからさあ。今後はノータッチでよろしく頼むよ」
自由すぎる伊達さんの発言にスーツ姿の大人たちが右往左往している。それがなんだかすごく滑稽に見えて、つい吹き出しそうになった。
「さて、身辺整理をしてすっかり身軽になった僕が今一番したいことは何か。それはね」
伊達さんがばっと両手を広げた。
「新しいアイドルグループを作ることなんだ。つまり君たちのことさ」
静まりかえる会議室内を見渡した伊達さんはにこりと笑って言った。
「想像してみてよ。まだ誰にも知られていないアイドグループがさ、小さな箱でデビューライブをやって、人気も実力もないからどんな小さな箱でも観客が埋まらなくて最初は苦労するんだけど、メンバーそれぞれのキャラクターが立ってきて、実力も伴ってくると、どんどんファンが増えていくようになるわけよ。
そうすると、右肩上がりに人気が出てくる。我々プロデュースする側もいろんなアクションにチャレンジして、それが当たるとアイドル好きだけじゃなくて一般人にもファンが広がっていく。ライブする箱が大きくなっていくし、メンバーはグラビアとかイベントで露出が増えていく。そして人気がさらに加速していくんだ」
うっとりとした表情をしながら伊達さんは一気にしゃべる。
「僕はこれまで何組ものアイドルをプロデュースしてきたけど、一番興奮するのはドーム公演を成功させたときなんかじゃない。人気が目に見えてどんどん加速していくときなのさ。
どうだい。僕が既存のアイドルグループから降りて、新規にアイドルグループを立ち上げたいと思う理由が分かってもらえたかな?
僕はね、無名だったヒロインたちが、自分が思い描く以上のスピードで日本を席巻していく様を、もう一度見たいんだよ」
伊達さんは、会議室の隅からホワイトボードを持ってきた。マーカーペンで大きく文字を書き込んでいく。
「さて、以上を踏まえて、僕は君たちに要望を出す。要望の内容は契約書にも特別条項として掲載しているから、サインした後で反故にしようものなら、それは契約不履行だ。ひとつでも答えられない項目があったら、互いのためにも勇気を出してあらかじめ示して欲しい」
まずひとつ、と伊達さんがホワイトボードの文字を指し示す。
「活動途中での離脱は禁止だ。アイドルは自分には合わなかった? 学業に専念する? ふざけてると思わないか。アイドルを始めたのなら最後までやり通すのが筋だろうさ。その覚悟がないなら最初からやろうなんて考えるな。はっきり言って迷惑だ」
二つ目として、『全員寮生活』と書かれていた。
「君たちの中には都内に住んでいる人も地方に住んでいる人もいるが、みな平等に寮に入ってもらい、アイドル活動中心の生活を送ってもらう。プライベートはほぼないと思ってくれ。中途半端な気持ちで成功をつかみ取れるほど甘い世界ではない。身も心も、すべての時間をアイドル活動に捧げて欲しい」
そして三つ目だ。「言わずもがなだけど念のため」と言って伊達さんが書いた文字は、『恋愛・スキャンダル禁止』だった。
「これらはアイドル活動の妨げになる最たるものだから当然禁止する。恋愛したい方はどうぞしてくれ。妨げはしない。しかし、このオーディションからは降りてもらう。バレなきゃいいとか考えているとしたら、後で相当後悔することになる。
契約にサインをした者にスキャンダルが発覚した場合、契約不履行でとんでもない額の違約金が請求されることになる。
このプロジェクトにどれくらいの人たちが関わり、どれくらいの投資がされているか考えて欲しい。君たちの浅はかな行動、過ちで台無しにされたくはない」
要望と強調するぐらいだから、もっと特殊な内容を言われるかと思い構えていたのだけれど、まあ事前に注意されるよね、といった内容だったので、多少拍子抜けした感じだった。他の候補者たちも、リアクションを見る限り概ね同じ気持ちだと思う。
これだけの大規模なオーディションを最後まで勝ち抜いてきたのだ。今頃になって、アイドルが自分には合わないかもとか、やっぱり恋愛したいから、とかの理由でこのプロジェクトから降りる決断をする人がいるとはとても思えない。候補者の七人全員、覚悟をしてこの場所にいるはずだ。
そう思ったのだが、候補者の中には別の考え方をした人もいた。最前列の、伊達さんに一番近い場所に座っていた候補者が右手をすっと挙げた。
「質問してもいいですか?」
「もちろんどうぞ」
伊達さんが右手を差し出す。それを受けて、最前列の候補者が椅子から立ち上がった。
「契約期間はどれくらいなのでしょうか。半年契約ですか? 一年契約ですか? 契約更新の際に、改めて伊達プロデューサーの要望に対応できるかを検討してもいいのでしょうか。
脱退禁止、恋愛禁止といっても、契約期間が分からないと検討のしようもないと思うのですが」
わたしは思わず、確かにそうだ、とつぶやいてしまった。
アイドルを目指すのだから当然だと、深く考えず伊達さんの要望を丸呑みしてしまうところだったけど、例えば十年契約なんてことになったら、その間、恋愛もできなければ、プライベートのない寮生活から抜け出せないことになるわけで、二十七歳になってまだ異性とお付き合いしたことがないというのも厳しいなと思ってしまった。
この極限の状況下で、そこまで冷静に思考できることがすごい。わたしは、いま質問した彼女がこのアイドルのリーダーになると確信した。
「あなたの疑問はごもっとも。答えを先に言うと」
伊達さんは、右の手のひらを大きく広げた。五年ということだろう。
「このアイドルユニットの活動期間は最初から五年と決めている。成功しても失敗しても、五年で活動は終わり。だから、今回契約する期間も、五年間だ」
将来のリーダー候補を座らせた伊達さんは、「なぜ五年かと思うよね」と続けた。
「僕はね、女性アイドルが輝けるリミットは五年が限度だと考えているんだよ。例えば君たちの人気が右肩上がりに急上昇したとして、さらには社会現象になるようなムーブメントを作ったとして、ついには国民的アイドルグループになったとしても、五年経ったその瞬間、解散する。理由はさっき言ったとおりさ。人気を持続するためだけの活動を、僕はもうしたくないんだよ」
じゃあ、と先ほどとは別の候補者が声を出した。
「五年を過ぎたら、わたしたちはどうなってしまうんですか?」
伊達さんが答える。
「五年間の活動のあと、このアイドルユニットは発展的に解散する。解散後は、みな自由に活動してもらってかまわない。歌手を続けてもいいし女優になってもいい。引退してもいいし、何なら政界に出馬しちゃってもいい。個人の自由だからね。自分たちの責任で個々の道を決めてくれ。無責任で悪いけど、解散後の君たちを僕はプロデュースする気はない」
伊達さんは他に質問があるか促し、声が上がらなかったことを確認してから、最後の言葉を口にした。
「さて、アイドル候補生諸君。君たちには一ヶ月の猶予を与える。いま僕が言った要望に対応できるかどうか、家族も含めてよく検討して、対応できるという方のみ契約書に押印して提出してほしい。
君たちの、おそらく人生で最高に輝けるであろうこれからの貴重な五年間を僕にくれないか」
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