第6話 五ヶ月後

 当たり前だがアイドルは簡単になれる職業ではないのである。


 特にわたしが目指しているのは、その実数すら把握できないような地下アイドルや各地方に存在するご当地アイドルではなく、大物プロデューサーによる表舞台が約束されたアイドルなのだから、普通に考えれば競争率はちょっとした宝くじ並みのはずだ。


 今回のオーディションの応募はSNSアプリからのみで、全身写真一枚とバストアップ写真二枚(澄まし顔と笑顔)が第一次審査のすべてだった。ずばり見た目の第一印象勝負ということだ。まずはこれを通過しないとお話にならない。


 ユウナさんからは、素顔に近いナチュラルメイクと身体のラインが分かるファッションが有効であることや、高価な下着を使った胸の盛り上げ方などの見た目部分のほか、表情の見せ方、よく見える立ち姿、効果的な写真の撮り方などの書類選考を通過するテクニックを教えてもらった。


 まるで業界人のようなユウナさんの知識にびっくりしたわたしは、「何でそんなに内情を知っているんですか?」と本人に聞いたところ、「業界人じゃないけど、いろいろ知っている立場にいたわけよ」なんてはぐらかされた。

 突っ込んでほしくなさそうだったから、わたしもそれ以上は詮索しなかった。


 ランニングと筋トレで締め切りギリギリまで身体を作り、自分に合うファッションを模索した。奇跡の一枚を目指し、何百枚も写真を撮った。

 最終的にユウナさんも太鼓判を押す写真が撮れたので、それを使って応募したのは締め切り直前のことだった。


 選考結果は通過者にしか通達されない決まりだった。ホームページに二次選考の日程がアップされても連絡がない場合は不合格ということだ。

 わたしは通過することを信じて、自己PRなどの面接練習や歌唱審査のためのボイストレーニングを二次選考対策として行いながら吉報を待った。


 書類選考を通過したという連絡がきたのは、年が明けた二月中旬のことだった。 

 それから最終選考までの五ヶ月間は、わたしの十七年という人生の中で、最高に濃密で刺激的な五ヶ月間だった。


    ※


 金曜夜のアーケードは賑やかだ。


 わたしはファストフード店の二階にある窓際のカウンター席を陣取ると、アイスカフェオレの容器を手に持ちながら、窓の外、少し離れたところで行われている路上ライブに目を向けていた。店内にもわずかに歌声が聞こえてくる。


 暑いさなか、今日も瑞季くんはいつもの場所でギター片手に歌っていた。毎週金曜日の夜七時に行っているという法則性が判明してから、時々こうして歌を聴きに来ている。アイドルになるという目標に自信を失いそうになったときは、瑞季くんの歌を聴いてモチベーションを保っていた。


 いつもはアーケードの、瑞季くんの視線の届かないところに立って歌を聴いているのだけれど、今日は待ち合わせだったので店の中から彼を見ていた。


「お疲れ」

 隣の席に座ったユウナさんが声を掛けてきた。


「あれ。早かったですね」

 仕事が終わらないって連絡がきていたから、会えるのはもっと遅くなると思っていた。ちょうど金曜日ということもあったから、それならアーケードのファストフード店で落ち合いましょう、ということになったのだった。


「女子高生を遅くまで一人にしておくわけにはいかないと思って、早めに切り上げてきたんだ。彼のライブ、最後まで聴いてく?」

「はい。せっかくなのでお願いします」


 初めて見かけたときに比べ、はるかに場慣れしている瑞季くんのライブを聴きながら、すっかり覚えてしまった歌詞を無意識に口ずさむ。


「もうさ、いま声かけちゃったら? カスミにはその権利あるじゃんか」

 ユウナさんの魅力的な提案に、思わず乗ってしまおうとする自分がいたけど、すぐに振り払った。

「そうできたら、いいのにな」

 彼から目をそらさずに、わたしは小さな声で言った。


    ※


 レストラン「穴蔵」を予約してくれたのはユウナさんだった。人気店なのかたくさんのお客さんで店内は混み合っていた。入店する際、ユウナさんが「店員に知り合いがいるからさ、無理いって席とってもらったんだ」と言っていた。


 個室に通されたわたしたちは、ビールとアップルジュースで乾杯をした。

「最終審査突破、おめでとー」

「あ、ありがとうございます。ユウナさんのおかげです」

「うれしいこと言ってくれるじゃん。トップアイドルになっても、そう言ってくれる?」

「はい、絶対言います。本当にユウナさんのおかげですから」

「いや冗談だって。恥ずかしいから絶対言わないで」

 照れくささを隠すようにビールを飲み干すユウナさんの姿を見て、わたしはすごく幸せな気分になった。


 一次選考から三次選考まで、通過したと分かったときは毎回ユウナさんがお祝いしてくれた。昨日の最終選考で条件付きながら合格をもらい、アイドルデビューする七人に選ばれたことが決定したことを報告したときは、まるで自分のことのように喜んでくれた。


「昨日の最終審査って、どういうことしたの? やっぱり三次審査でほぼ決まってた感じ?」

 二杯目のビールをテーブルに備え付けのタブレットで注文しつつ、彼女が聞いてきた。

「ユウナさんの言うとおりでした。最終審査はデビューすることの確認というか、事前説明のようなもので、その前の三次審査でデビューする七人は決まってたみたいです」


 うんうんとうなずいていたユウナさんは、

「いやー、まさか本当にアイドルになっちゃうなんてね。あ、もちろん合格するって信じてたよ。でもさ、二万人以上もあった応募の中から七人に残るなんてさ。正直びっくりだよね」

「わたしが一番びっくりしてると思います。三次審査には綺麗な人、スタイルの良い人、歌やダンスが上手な人がたくさんいて、勝ってるとこないって思いながら審査の順番待ちをしていたぐらいですから」


 他のことは負けても、アイドルになりたいっていう気持ちだけは負けたくなかった。逆にそれぐらいしか、他の子に勝っているところが見つからない状況だった。

 だから、わたしが選ばれたと分かったときは、興奮よりも冷静が勝った。


「本当にわたしでいいんですかって思うぐらいで。現実感がなくって」

「そういうもん? 選ばれた経験ないからよく分かんないけど、でも――」

 ユウナさんはわたしの顔を伺うようにのぞき込んだ。

「なんだろう。あまり、嬉しそうに見えないんだけど」

 やはりユウナさんには見抜かれていたようだ。たいして飲んでいないアップルジュースのストローから指を離した。


「今日の最終選考なんですけど」

「何かあったの?」

「はい。そのことでユウナさんに相談したくて」

「それでか。昨日、どうしても会いたいなんて連絡してくるから、合格だけじゃなくて、何かあったかなとは思ってたんだ。ごめんね、昨日のうちに会えなくて」

「すみません。忙しいときに連絡してしまって」

「気にすんなって。で、何があったのさ。あ、もしかしてプロデューサーの伊達がセクハラしたんじゃない? あのロリコン親父、とうとうデビューもしてない女子高生を襲ったか。オーディションに応募する前に、伊達Pの性癖を教えとくべきだったね」

 最低、最悪とユウナさんが毒づく。


 確かに伊達プロデューサーは、自分が育てたアイドルに手を掛けることで有名な人だった。噂の域を通り越して事実であると流布されているこの手の話は、わたしも当然知っている。彼がプロデュースするアイドルとしてデビュー目前となったわたしにとって、現実レベルで最上級に危機管理が必要な案件といえる。


 だけどユウナさんへの相談事はそのような噂とはかけ離れた話だった。


「もっと重大なことなんです。言ってみれば、わたしのアイドルとしての適性についてなんです。もしかしたら、わたし、アイドルになれないかもしれません」

「ちょっと待ってよ。最終審査に合格したんでしょ? アイドルになれないかもって、いったいどうゆうこと?」


「実はですね・・・・・・」


 わたしは最終審査があった事務所の会議室での出来事を思い出していた。

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