第1話 ひきこもり女子高生

 あれから十年が過ぎた。


 今でも幼稚園の頃のことを思い出すということは、それ以降に楽しい記憶がないということの裏返しでもある。

 実際そのとおりで、暗黒の小中時代を過ごした現在のわたしは、アイドルを目指すどころか不登校のひきこもり女子高生になっていた。


「へえ、言われなければひきこもり少女には見えないけどね」


 イタリアンファミレスのパスタを頬張りながら、目の前に座るショートカットの女性が意外そうな表情をした。


「ということは、その、言われたらそう見える、ってことですよね?」


 わたしが意地悪く質問すると、「そうだね」とすぐに肯定してきた。


「一見明るく努めているけど無理してる感は否めないし、時折見せる暗い目つきときょどっぷりにネガティブオーラをすごく感じる。言われたらだけど」


 はあ、とため息が出る。やっぱり隠そうとしても、そういう雰囲気は外に出てしまうものらしい。


 エアコン慣れした身体には、九月の気温も十分暑く感じられた。早く涼もうと飛び込んだ平日真っ昼間の店内は驚くほど客が少なかった。


 出かける前、このファミレスはわたしの家から結構近い場所にあるから知ってる人に会ったらやだなと思っていたけど、まったくの杞憂だった。

 もちろん同級生は高校に通っている時間だから会うはずがないし、わざわざそういう時間帯を選んで会う約束をしたのはわたしだ。


「この店に来るのも大変だったんです。外出自体二年ぶりくらいなんですから。呼吸が苦しくなったらどうしようって思うと、なかなか、その、玄関から外に出ることができなくて……」

「でもこうやって近所とはいえ外出できたんだから、もう治ったも同然じゃないの?」

「ユウナさんに会いたい一心で、なんとかここまでたどり着きました。そして、本物のユウナさんに会ったらびっくりして、その、病気のことも忘れてしまって」

「びっくりするほど、がっかりした?」

「とんでもない! すごく綺麗で、大人で……。女のわたしから見ても、ほ、惚れちゃいそうです!」


 両手を握って熱弁するわたしを見て、ユウナさんは「照れるじゃんか」と笑っている。オンラインゲームの中で会うユウナさんと同じ口調だ。それを聞いて、ああ、本当にリアルでユウナさんと会ってるんだなあ、なんて今更ながら感動してしまった。


 外に出られないわたしにとって、オンラインゲームは外の世界とつながる唯一のコミュニケーション手段だ。

 現在主戦場にしているのは、ファンタジー系MMORPGの『レムリガルドオンライン』で、自分の分身であるアバターを操作して剣と魔法の世界である『レムリガルド』を冒険する内容なのだけれど、あまりに居心地が良すぎて、冒険というよりはゲーム内で生活しているような状態になっていた。


そこで出会ったのがユウナさんだった。昨年のことだ。


 アバターの姿が女戦士の格好をしているのに、まるでナンパのような軽いノリで話しかけてきたものだから、てっきりリアルは男なのに女性キャラを選ぶやつなのかなと思って逃げ回っていたところ、別のフレンドから「ユウナは本当に女性らしいよ」と教えられて、それから一緒に冒険するようになった。


 波長が合うのか、二人きりで会話をしているだけで数時間経っていることもあった。少しずつプライベートなことを話す中で、自身が中学三年生であること、学校に通えていない状況にあることなどを伝えるほど、ユウナさんを信頼するようになっていった。


 それから十ヶ月。高校生になったわたしは、相変わらずひきこもり少女のままだった。


「カスミは、『レムリガルド』にはどれくらいの頻度で行ってるの?」


 現実のユウナさんが聞いてきた。ちなみにカスミとはわたしのゲーム内のハンドルネームのことで、本名である雨宮あめみや純佳の「スミカ」を並び替えた安直なネーミングだ。


 ユウナさんはわたしの本名を知らないし、わたしもユウナさんの本名を知らない。現実世界でも、わたしたちはゲームの中の名前で呼び合っていた。


「いつログインしてもいるからさ。気になってたんだ」

「起きてる間ずっとです。時間はたっぷりあるので……」

「さすがひきこもり。贅沢な時間の使い方だなあ。どおりで新職業が追加されてもすぐにレベルカンストするわけだ」


 ユウナさんの言葉には、年下の女子高生相手だとか、ひきこもり相手だとかいう偏見チックなニュアンスが感じられず、それが話していてとても居心地が良かった。

 専門学生だと言っていたユウナさんには大人の余裕と色気があり、それがすごく魅力的で、勇気を出して会うことを決めて本当の良かったと心から思った。


 ゲームで知り合った者どうしが直接会ったりすることをオフ会といって、わたしも何回か誘われたことがあったりもしたけれど、外に出るのが怖くて現実に参加したことはなかった。

 でもユウナさんから「都合つけるから、日中にでも会おうよ」と誘われたときは、会ってみたいという気持ちが外出する恐怖を上回っていた。


 それまでのゲーム内の会話から、二人の住居の位置関係が結構近いのではないかということは分かっていたので、わたしの家の近くで会えそうだということもあり、またユウナさんからの提案があまりに魅力的だったことから、今回リアルで会うことを決意したのだ。


 ゲームのイベントやフレンドのことなどでひとしきり盛り上がった後、ユウナさんはスマホの時計を見て「やあ、もうこんな時間か」とつぶやいた。


「どれ、忘れないうちに当初の目的をやってしまおうか」


 唇についたデザートのチョコアイスをぺろっとなめると、ユウナさんはバッグの中からポーチを取り出して、わたしの横に移動してきた。


「は、はい。あの、よろしく……お願いします」


 ユウナさんは背筋を伸ばして待ち受けるわたしに「そんなに緊張しなくていいよ。カスミは思った以上に元の素材が良いから、下手に手をかける必要ないし」と声をかけつつ、ポーチからいくつものメイク道具を出してテーブルの上に並べた。


 発端は「一緒に遊ぶ友達いないし家の中にずっといるしで、メイクなんてしたことない」というゲーム内の会話だった。

 ユウナさんが「なんともったいない! 女子高生を無駄遣いしている!」と抗議(?)してきたので、「どうせ外に出ないのだからメイクをしても意味がないので」と返したら、「ああ、メイクの素晴らしさを直接教えたいわー」となったのだ。


 わたしも興味ない素振りを見せてはいるものの、そこは女の子の端くれ、メイクで自分がどれくらい変わるか見てみたいという気持ちになり、ぜひお願いしますという流れになったわけだ。


 メイク道具それぞれの名前と用途の説明をした後、ユウナさんはわたしの顔をのぞき込み、うーんと唸った。


「最初に会ったときから思っていたけど、カスミってすごい小顔だよね」


 あまりにじろじろ見られるので、「いやその、他の人と比べたことないので分からない、です」とつい顔を逸らしたら、ユウナさんは両手でわたしの頬を押さえた。


「何このすべすべの肌。スキンケアいらなくないか? そしてこの整った顔。なんかむかついてきたぞ。まさかこちらも――」


 ユウナさんは視線をわたしの胸に向けて、うんと頷いた。


「よし、こっちは勝ってる」

「ど、どこ見てるんですか!」

「そんな気にしないでいいよ。まだ育ち盛りなんだから、これから大きくなっていくって」


 顔の大きさも含めこれまで本当に気にしていなかった部分だったのに、今後はそうもいかなくなりそうだった。


 ユウナさんから「ビフォーの写真、撮っていい?」と聞かれたので「はい」と答えた。撮影する音が店内に響く。


「じゃあ始めるとするか。さあて、どう変身するか楽しみだな」


 いま撮ったばかりの、どこか自信なさげなわたしの顔の画像を見せながら、ユウナさんはうれしそうに笑った。

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