5年後までサヨナラ SideーB

くろろ

プロローグ 約束の指切り

 今でも、ときどき思い出すことがある。


 幼稚園の年長さんの頃の話だ。


 引っ込み思案な性格で、何をするにも誰かの後ろに隠れてやり過ごすことを信条としていたわたしは、年に一回、父兄を呼んで大々的に行われるお遊戯会においても、目立たない場所で目立たないように歌うことを計画していた。


 ところが何回目かの練習のとき、隣の家に住んでいた幼なじみのひいらぎ瑞季みずきくんが、わたしを指差しながら先生に突然とんでもない提案をした。


「スミちゃんは『ショコラ』の歌が上手だから、お遊戯会で歌ってもらおうよ」


 幼稚園児の話はだいたい脈絡なく始まることが多いものだ。それまでスカートの中に入ってこようとする男子を追い払うのに手こずっていた先生は、虚を突かれたのか「そうなんだー、すごいねー」と定型的な感想を述べていた。


 当時流行っていた『ショコラ』という女性アイドルグループのことが大好きだったわたしは、瑞季くんの前でよくそのアイドルのヒットソングを歌っていた。そこから思いついての提案なのだろうけど、突然無茶ぶりされたこちらはたまったものではない。


 さらに、瑞季くんからよくよく話を聞いた先生が「先生も純佳すみかさんの歌を聞いてみたいな。みんなも聞いてみたいよね」などと乗ってきてしまったものだから大変だ。


 クラスのみんなの視線がわたしに集中した。これまでクラスの中心にいるなんて経験したことがなかったから、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。逃げようにも足がすくんで動けない。


 結構長い時間もじもじしていたところ、「歌わないのかよ」なんて男子――先生のスカートの中に入ろうとしていた男子だ――が言い始めて、それを皮切りに騒ぎが大きくなっていった。わたしはその場にしゃがんで目をつむるしかなかった。


 そのときである。『ショコラ』のヒットソングを瑞季くんが歌い出したのだ。僕が先導するから、とでも言うように、わたしの方を見て、大きな声でゆっくりと歌って見せた。


 自分でもなぜそうしたのか分からない。目立つことをなるべく避けたかったわたしなのに、瑞季くんに見つめられたとき、自然と歌声が口をついて出てきたのだ。


 一度歌い始めたら、あとは家で歌っているのと変わらない調子になった。サビに入ったあたりで余裕が出てきたわたしは周りを見渡してみた。自分の歌をクラスのみんなが聴いてくれているのが見えた。


 それはこれまで味わったことのない快感だった。


 歌い終えたとき、「上手だね」と先生やクラスのみんなが拍手をくれた。いつのまにか瑞季くんは歌うのをやめていて、拍手する方に交ざっていた。


 結局、お遊戯会でアイドルの歌を一人で歌うことは難しいとして、瑞季くんの提案は却下された。安堵したのもつかの間、代わりに合唱曲の中にわたしと瑞季くんのソロパートが用意されることになってしまった。


 練習が終わった後、瑞季くんに「なんで、あんなこと言ったの?」と苦情を言ったところ、「だってスミちゃん歌うまいし、歌うの好きでしょ」と悪びれもしない様子で返してきた。そして「僕は日本一のミュージシャンになるから、スミちゃんは日本一のアイドルになってね」と続けた。


 ミュージシャンの意味は当時よく分からなかったけれど、たぶん歌手のことだろうと思ったので、「瑞季くんなら絶対なれるよ」と答えた。


問題はその後だ。


 歌うことは好きだったから、潜在的に歌手になりたいという気持ちがあったことは確かだと思う。でも、わたしはそれまで、アイドルになりたいなんていう具体的な夢は持っていなかった。

 なのに瑞季くんから「スミちゃんは日本一のアイドルになってね」と言われて舞い上がっていたわたしは、とっさに「わたしも日本一のアイドルに絶対なるから」と答えてしまった。


「約束だよ」


 瑞季くんが差し出した右手の小指に、自分の小指を絡めた。二人だけのとても大切な約束。わたしは笑顔でうなずいた。


 お遊戯会の本番では実際にソロパートを歌い、そのとき感じた心臓が壊れちゃうんじゃないかと思うほどの緊張と、それを乗り越えた後の父兄からの温かい拍手はとても印象に残っている。

 しかし今でも思い出されるのは、クラスのみんなの前で『ショコラ』のヒット曲を歌ったときのことと、瑞季くんとの約束の指切りなのだった。

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