07

 三人を順に見回し、ケルベロスの視線はパタで止まった。

 顔に斜めに入った四本の傷が赤く滲んでいる。

「……成程な」

 爪が折れ、血に染まっている自身の前足へ目を落とす。



 深くため息をつき、ケルベロスの中央の頭は顔を上げた。

「降参だ」

 少年二人がえっと声を上げる。007はドリルの手のままケルベロスへ歩み寄った。

「そうですか。では」

「まっ、待ってっ!」

 回転しているドリルをパタは強引にも素手で掴んだ。少量の血しぶきが上がってドリルは回転を停止する。一瞬目を細め、パタはケルベロスを見下ろした。

「どうして、急に」

「この爪でその程度の傷しかつけられぬ相手、あがいたところで無駄だろう」

 思い出したようにパタは手で顔の傷に触れた。表皮の削れた手から滲む血が頬にはっきりと赤い手形を残した。

「……煮るなり焼くなり、好きにするがいい」

 地面に座り、ケルベロスは威厳のある表情で真っ直ぐと前を向いた。


 その胴体を007が細い腕に軽々と持ち上げる。

「そんな変な趣味はございませんよ」

 手袋をはめた左手の人差し指をケルベロスの首の分かれ目へ突き刺す。素早く抜くと、ケルベロスはがくりと二つの頭を007の腕に持たれかけた。

「なっ、何したの」

「ただの睡眠薬注射でございます」

 手袋の破けた指先の針を指の中に戻す。熟睡中のケルベロスを抱え上げたまま、007は洞窟の入り口へと歩き出した。

「そ、その……どうするの」

 立ち止り、007はパタに振り返る。端正で機械的な無表情。

「兵士の元へ連行します」

 告げて再び歩き出そうとした007をパタが止める。

「きっと……絶対、殺されちゃう」

「それだけの罪を犯したのですから。致し方ありません」

 俯くパタ。007は首を360度回転させて洞窟内を見回した。ところどころに黒い乾いた血のあとがあり、人骨が小さく積み上げられている。

「大勢を殺せば死刑になるのは人と同じことです」

 前を向いて暗い洞窟の道を歩き出した。しかし、あ、と声を漏らして立ち止まる。





「……あれ」

 橙色の夕焼け空に灰色の雲が浮かんでいる。

 茂みの向こうには鎧を着た兵士が四人、今朝と同じように門の前に立っていた。

「何で、森に……」

 倒木の上に座っていたパタは立ち上がって辺りを見回した。木の葉の隙間から光が漏れ、森全体が薄い橙色だった。

 ルノへ視線を移す。ルノは地面に座り込み、茫然とした様子でパタを見上げていた。パタの手を握る小さめな手が微かに震えている。

「え、ルノ、どうしたの……?」

 握られている自身の両手に目を落とす。

 不意にパタは顔を上げ、007の方を見た。

「さっきのケルベロスは」

「連行しました」

 パタは言葉を失った。ゆっくりと頷いた頬を涙が伝う。

「……比較的人造魔物への理解があるという西の国へ引き渡しました」

 後ろへへたり込み、丸太の上に座り直す。引こうとした手は強く握られていた。

「……傷は」

 パタの顔に斜めに刻まれていた傷はすっかり消えていた。

「007が回復した」

 力んでいたルノの手が緩む。パタが顔に手を触れてみると、傷があったところに沿って肌がしっとりと濡れていた。

「007、ありがとう」

 言い、パタは顔を俯ける。

「礼には及びません。それより、そろそろお召替えになられてはどうでしょうか」

 うん、と頷きパタはおさげのゴムを外した。茂みの向こうには兵士がいるのにもかかわらず、その場で立ち上がって水色のメイド服をたくし上げる。



 着替えたパタ、ルノ、007は南の国を背後に森の獣道を進んでいく。

 上空を飛ぶコウモリは人造魔物であったが、唯一気が付いた007は見て見ぬふりをしていた。

 次第に赤くなっていく夕焼け空の下、パタは足元へ視線を落として歩いている。ルノは横を歩きながら定期的にパタを横目に見ていた。ふとパタの手が強く握られる。

 震えるほど強く握られた手からルノは視線を外す。







 森の奥からフクロウの鳴き声が聞こえてくる。

 007の手から飛び出した懐中電灯の明かりを頼りに獣道を進む。懐中電灯の明かりは点滅しだし、ついには消えてしまった。

「あ、電池切れですね」

 懐中電灯を手に戻し、007はパタの方を向いた。

 パタは後方で立ち止っていた。

「パタ、どうしたんだ……?」

 ルノと007も足を止めた。お互いの姿を確認するのも困難なほどの暗さだった。

 木の葉が月明りを遮り、森はまさに漆黒の闇の中。


 パタはナイフをケースから引き抜いた。

「来ないでっ!」

 その目は前を見ていない。絶叫、と共にナイフを振って横に立ち並ぶ木をなぎ倒す。

 立ち上る土煙、舞う葉っぱ。

「……成程。暗闇が例の幻覚症状の引き金になってしまっていたようですね」

「れ、冷静に分析してる場合じゃねえだろ……」

 銀髪についた木の葉を払いながら007はパタの暴走を眺めているのみ。だがルノも言っただけで止めに入ろうとはしない。

「どーせ敵うはず無いですから」

 斬り倒されていく木々。使用武器がナイフとは思えぬ手際の良さだった。

 というか、普通は短刀で木は切れない。

「……朝になるまでに森が持つかどうか……だな」

 その作業スピードはまるで生きる製材所……否、それを優に超えていた。



 轟音の中、煙と木の葉の向こうから近づいてくるランプの灯り。

「な、なんでしょう? こんなところで工事でも……」

 ランプを持っていた女は土煙に咳き込む。その灯りにパタは手を止めた。

 007が両目を青く光らせて女を照らす。

「夜中に森の中で、彼女も旅人でしょうか」

 両目が青く光っている様はいかにもロボ。

「そんな機能あったなら先に使えよ……」

 もっともなルノの呟きに007はなんとなく、と言ってライトを消した。

「あ、あのぉ……もしかして、旅人さんでしょうか?」

 女は目をしばたかせながら倒木を踏み越え、三人がいた獣道まで出てきた。

 大きな丸眼鏡に持ち上げたランプの灯りが映る。

「すっ、すみません! 暗いの苦手で……つ、つい」

 すっかり正気に戻ったのかパタは慌てて謝罪する。しかし眼鏡の女はパタの手に握られているのがナイフなのを見て、口に手を当てて軽く笑った。

「まあ、旅人さんたらご冗談を。でも……本当に何があったんでしょうか」

 眼鏡の女はランプで照らしながら半壊状態の森を見回した。反対の手には木製の杖が握られており、髪は緩くまとめられている。

 あの、と説明しようとしたパタの口に007が腕からみかんを発射して放り込んだ。


 切り株から目を離し、女は旅人三人に視線を移した。

「あ、それは果肉の一部なので剥かずに食べてください」

 みかんを食べようとしたパタに間違った知識を吹き込む007。それを横から困惑した様子で眺めている、のみで止めはしないルノ。真に受けてパタはそのまま噛り付いた。

「……そうだ!」

 突如手を叩いた女に、三人は顔を上げた。 

「皆さん、今夜は我が校の宿舎に泊まっていきませんか?」

「わ、我が校……?」

 不思議そうに繰り返したパタに、あっと声を漏らして女はカーディガンのポケットから紙を取り出した。丁重にパタ、ルノ、007の三人に紙を手渡す。

「私、すぐ近くの寄宿学院で院長兼、魔法科の教師をしているんです」

 手渡された紙にはレンガ造りの校舎が描かれ、その上には上品な装飾がなされた文字で『南の国国立寄宿学院』と書かれている。入学試験有り、学費は無料。

 入学可能年齢は七歳から十八歳までと幅広く規定されている。

「もしよろしければ、生徒たちとお手合わせ願いたいと思いまして……」

 袖に半分入った手を合わせ、女、改め院長は眼鏡越しに目を輝かせて三人を見た。


 ふとルノが呟く。

「これ、木切ったこと……実はバレてんじゃねえか……?」

 院長の視線は特にパタに集中していたとか。

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