おぎん 芥川龍之介

ノエル

おぎんは神のみ教えを棄てたのではない。救ったのだ。

またまた紅い芥子粒さんの影響を受けて、書いてしまいました。


今度は、決しておちゃらけではありません。ほんとにまじめに書きます。というのも、この話はあまりにも悲しく辛い話だからです。


主人公のおぎんは大阪から越してきて、その間なしに両親に死なれ、じょあん孫七夫妻の養女になります。しかし、彼女の両親はキリスト教の信者でもなんでもありません。ある意味、当時、フツーだった仏教徒に過ぎませんでした。もちろん、彼女もそうあらねばならないはずでしたが、養親がクリスチャンである以上、その感化を受けずにはおりません。彼女も熱心な信者になりました。


そんなある日の夜のこと、役人がやってきました。それは、なたらという、今でいうクリスマスの日でした。彼らは信者であるおぎんたちを捕らえに来たのです。

今夜だけは十字架が祭ってある。最後に後ろの牛小屋へ行けば、ぜすす様の産湯のために、飼い桶に水が湛えられている。

なので、逃げも隠れもできません。役人は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけ、おぎんも括り上げてしまいます。

じょあん孫七、じょあんなおすみ、まりやおぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、天主のおん教を捨てるように、いろいろの責苦に遭わされた。しかし水責や火責に遇っても、彼等の決心は動かなかった。たとい皮肉は爛れるにしても……。


このシーンにわたしは、苛斂誅求を極めた五島列島のキリシタン弾圧の状況を憶い出さずにはいられませんでした。

以下は、孫引きになりますが、『薔薇の名残』(岬龍三郎)の後半にある「愁嘆編」で主人公が五島を訪れて感じた記述を援用しながら解説します。


 大村藩の支配した五島の信者たちは「隠れキリシタン」ではなく、「潜伏キリシタン」という。彼らは表向き明神様や山の神などを祀りながら、密かに信仰の灯を人知れず点していた。しかし、過酷な大村藩は追及の手を緩めることはなく、「浦上崩れ」と呼ばれる強力な弾圧をおこなう。

 その数じつに、一村三千数百人に及んだ――という。


なかでも、わたしを驚かせたのは、「五島崩れ」と言われる全五島弾圧のきっかけになった捕縛事件で「十二畳ほどの狭い牢に二百四名が押し込められた」という、実に悲惨なできごとでした。


著書のことばをそのまま、以下に引用します。

中央を厚い板で仕切り、男牢と女牢に分け、ぴったりと戸を閉めきった言語に絶する狭いものであった。(中略)多くは、ひとの身体にせり上げられて、足は地につかず、さらに身動きすらできない状態であった。

 食べ物も小さな薩摩芋を朝にひと切れ、晩にひと切れ支給するのみで、子供を抱えた母親はそれすら自分の口に入らず、飢えを叫ぶ子どもの手に奪われる。そのような状況のなか、老人子供は飢えと寒さのため、つぎからつぎへと倒れた。最初に死んだのは七十九歳のパウロ助市だった。その死骸はすぐ葬ることも許されず、五昼夜も牢内に棄て置かれ、大勢に押し潰され、ほとんど平たくなってしまった。



閑話休題。それと全く同じ状況に置かれたおぎんは、養父母と一緒に刑場に連れていかれ、太い角柱に括りつけられ、あわれ刑が執行されようとしたとき、おぎんが言うのです。

「わたしはおん教を捨てることに致しました」


縄を解かれたおぎんが続けます。

あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底へ、御両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御傍へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。

おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へ、ほろほろ涙を落し出した。これからはらいそへはいろうとするのに、用もない嘆きに耽っているのは、勿論宗徒のすべき事ではない。じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。


そうなのです。生きるも地獄、死んでも地獄なのです。仮にはらいそへ行けたとして、一体何になるというのでしょう。伴天連の信者でもない両親が神いうところのいんへるのにあったところで地獄に変わりはありません。そのみ教えでは、悪人なおもて往生させてはくれないのです。


それならばいっそのこと、じょあんなおすみの言うように「ただあなたの、――(身内である)あなたのお供を致す」ことだけのほうが、どれほど真情に近いか。おぎんはおん教を「棄てた」のではなく、おん父母の許に行くことで、神を「救った」のです。


出典 https://www.honzuki.jp/book/294341/review/256250/

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