第五章 失われない私をみつめて
第40話 人間シュレッダー
〈人間シュレッダー〉は、ギロチンのように固定された機械のはずだった。紫苑たちは、ゴキブリを見て身を凍らせる主婦のように、〈人間シュレッダー〉を前に固まっていた。
あの唸り……それこそが、彼女たちを竦ませる。
「こいつ、動くの……?」
狭い道幅を塞いで、〈人間シュレッダー〉が立ちはだかる。紫苑は、手近に逃げられる場所を探そうと、あたりを見回した。
〈人間シュレッダー〉は、二本のアームを左右に伸ばして、天井と床のカプセルを掴んだ。カプセルを根本から引きちぎって、それを粉砕機の鋼鉄の二本の回転刃の間に放り込む。
バリバリバリ! と全てを一瞬の内に挽いて、一歩一歩、紫苑たちに近づいてくる。それでも、彼女たちは動けなかった。
「走れ!」
紫苑が叫んだ。
少女たちは、〈人間シュレッダー〉と反対方向に、未知の続く限りを全速で走った。
紫苑は振り向いた。〈人間シュレッダー〉が奇妙な音楽を流しながら、どんどんと、眠る人間を食い潰し、音のない悲鳴とその悲愴が、〈人間シュレッダー〉の足下に、無惨なごみとなって棄てられていった。
菊本可奈のカプセルの手前まで、〈人間シュレッダー〉が来た。アームが伸びて、カプセルを掴まんとした。
紫苑は、翻った。
「紫苑ッ!」
少女たちの悲鳴じみた叫びを背に、それでも、紫苑は〈人間シュレッダー〉へと走らずにはいられなかった。
死を目の前にして、なおその死に迫ろうとする。紫苑の心は、神風を覚悟した時のように勇ましく澄み、神風を想像したときのように泣いた。
純粋な激情は、行き場を菊本可奈に定めて、紫苑を跳躍させた。
紫苑は、サイボーグの両足を以って、〈人間シュレッダー〉の片方のアームを蹴った。
鋼鉄のアームは、易しく折れはしなかった。
少女たちの中で、最も早く紫苑に加勢したのは、沙耶だった。常時、服の裾に仕込めるのが、沙耶のトンファーの利点であった。花恋と蘭は得物が無い。
アームは、可奈の眠るカプセルを放り出し、紫苑を捕まえようとした。
沙耶は、紫苑が蹴った所を、トンファーで叩いて、〈人間シュレッダー〉のアームを折ろうとした。この硬さは、異常だった。オートメイドの心の中にさえ、生身で抗えなかった人たちの痛みが迸り、頭をどうにかさせてくるようだった。
何度やっても、報われない、虚しさが、焦りに変わって胸が焼かれるようだった。
「ごめん、沙耶。可奈ちゃんをお願い」
「駄目ッ。ここで死ぬなんて許さないよ、紫苑! 私を生かしたあなたと、こんなところで終わりたくないんだから!」
沙耶は諦めなかった。何度でもアームを折ろうとした。
「クソッ! 折れろ、このォ!」
紫苑とて、サイボーグの左腕でハンドを壊そうとは試みた。しかし、力のケタが違いすぎるのだ。花恋と蘭が何かを叫びながら。やっと走ってきている。
よく走ってくれたと、紫苑は思った。〈人間シュレッダー〉の轟音に、何もかも聞こえない今、紫苑は自らの心の声を聴いていた。
――生きたい。
――助けて。
――……梗治!
あの時と同じだった。十年前に殺されかけたときと。紫苑はテロ組織に訴えたのだ。怖がらせて、人を従わせるなんて間違っている。テロの首謀者だったその男は言った。それは、安逸を選ぶ臆病風の論理だ、と。分かるものか、と怒った。
分からせよう、と殺されかけた。
力が欲しいと思った。力が。そうだ。
私には、力があるんじゃないのか?
そう言って、可奈を下した自分が、ここで死ぬのか?
――死ねない!
「く、おお……」
死ねるものか!
生きるんだ! 生きてみせる!
まだ、好きな人からのキスすらもらえずに、
「ここで死ぬもんかぁ!」
紫苑は、自分を挟み込むアームを、あらん限りの力でこじ開けようとした。腕力のみならず、背筋も、腹筋も、この肉の膂力の限りを、内から外へと押し出す力に換えた。
心臓は、ときめきの千倍は高鳴り、肺は血液に酸素という酸素を与え、紅い血潮は、冷えた左腕にすら血を通わせるようだった。
ほんの少し、ハンドが開いた。
が、そこまでだった。
アームはそのまま紫苑を二つの回転刃の間に詰め込み、紫苑の癖毛が、刃に巻き込まれた。
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