第27話 プランテッドたちの戦い

 紫苑と由紀子は、睨み合っている。

 由紀子はそれまで見た事のない険悪な顔をしていた。

 紫苑の上体が前のめりになり、飛びかかるかと思った矢先、由紀子は一つ瞬きをして、いやらしく笑みをこぼした。その直後、紫苑は途端に力が抜けたように膝をついた。両耳を塞いで、頭を掻きむしっていた。


「やめてっ!」


 沙耶が咄嗟に駆け寄ると、由紀子は蛇の如くに沙耶を睨んだ。沙耶は蛙のように身を竦ませてしまい、由紀子はその一瞬で身を翻して去っていった。

 二人が怯んでも、逃がすわけにはいかない。アレクは一人、由紀子の後を追う。雨は季節外れの土砂降りに変わった。靄が立ち、視界が霞んでいく中で、寄道由紀子に傘を差す一人の影が現れた。


「由紀子! 紫苑に何をやった――」

「言ったはずだ。もう帰っていいと」


 整った顔立ちの折笠悠が、そう言った。悠は由紀子を傘に入れて、彼女の肩を抱いた。


「悠……?」


 悠は頭を振ると、顎の下に手を持って来て、その面を剝がした。

 首筋に、体液が漏れる。べりべりと、顎が、頬が、唇が、鼻が、その肌色の皮を剥がされて、血のような液がワイシャツの襟に溜まっていく、


「――!」


 メタルで造られた頭蓋骨に、紅い双眸が輝いている。首から上の機械ずくめを露わにさせて、彼はくつくつと笑った。自分が相手にしていたのは折笠悠を模したオートメイドだったのだと、アレクは認めた。そういう周りくどい接触を図る人間といえば、心あたりは一人だけだった。


「染井――正化か……? じゃあ悠は!」


 オートメイドは、アレクの問いを一笑に付した。


「君ノヨウナ男ガ来テクㇾテ、少々厄介二思ウヨ。ダガ面白クナリソウデモアル」

「悠を殺したのは、お前だな」

「私ノ理想ヲ描クノダ。多少ノ犠牲ハ、次へノ糧トイウモノ。君ミタイナ男ニハ分カルマイ」


 アレクは、オートメイドに詰め寄ろうとした。オートメイドは由紀子を連れて下がっていく。アレクは次第に歩調を早めて、ついに走った。それでも下がろうとするオートメイドにアレクは飛び掛かって、マウントを取るとその胸倉をつかんだ。


「答えろ! 染井正化ァ!」


 オートメイドは、紅い眼を決してアレクに合わせようとしなかった。それは機械的

 であるからではなく、意図して逸らしているようにアレクには思えた。


「いちオートメイドが話すには、随分込み入った話をしてくれたじゃないか、ええ? どこかでこのガラクタを操っているんだろ? 悠をどうした? 言え! この野郎!」


 しかし、オートメイドはけたけたと嘲笑った。


「アイツハ死ンダ。葬式ニ行ッタナラ、知ッテイルダロウ?」


 アレクは、頭の中が真っ白になっていた。咄嗟に携帯端末を取り出して、折笠悠を呼んだ。雨音の中、コールが鳴る。オートメイドの胸元から規則的な震動音がする。オートメイドは上着のポケットに手を入れて、端末を取り出した。そして躊躇いなくその端末を握りつぶした。

 そして、アレクの耳元でコールが止んだ。


「おかけになった電話は、現在電源が入っておりません。おかけになった電話は、現在電源が入っておりません…………」


 アレクは、電話を切った。


「貴様ァ! ……由紀子! こいつは死者を! 君の婚約者を侮辱しているんだぞ!」


 由紀子は、オートメイドの落とした傘を拾い上げて沈黙を続けていた。アレクを見つめるその目は、切なげであった。アレクの耳朶は、雨音とは別に、どこかで重く唸る音を感じていた。


「プランテッドニトッテ、殺シハ食事ノヨウナモノダ。ソウダ。人間、誰ダッテ殺シヲスル。君モ、私モ。人間ハ生キルタメニ他ノ生物ヲ殺ス。殺シタ命ヲ糧ニシテ、身体ヲ満タス。当タリ前ノ営ミナノダ」

「人殺しを正当化できるものか! 生きるために殺すなど――」

「真理ダ! プランテッドノ辿リ着イタ結論ナノダヨ。彼ラハ人間トシテ生キルタメニ、人間ヲ殺シ、生キ血ヲ啜ル。ソウシテ死ンダ老人ノ代ワリニ、若イ姿ノオートメイドヲ街ニ住マワセル。日ニ日ニ老ケ込ムコノ街ヲ、オートメイドガ再生サセル。ソノ社会ニ、君ノ入ル余地ナドナイノダ」


 アレクは歯嚙みした。正化の断行を認めてはならない。狂った人格や主義による人間の虐殺は、家畜の屠殺とは違う。マシーンによる食人カニバルを認めるならば、それは十年前の彼女の死を、当たり前の営みだと認めることになる。アレクに、それは出来ない。

 アレクはオートメイドの顎を殴ろうと、拳を振りかざした。しかしその拳は瞬時に解かれて、飛んできた何かを掴んだ。矢だった。


「貴様ガ戦イニ身ヲ置クノハ、何故ダ?」

「てめぇが犯人なら、話は早いがな!」


 アレクはそう言って、オートメイドの胸に矢を突きたてた。立ち上がると、傍にいたはずの由紀子は遠のいていた。矢の来た方向は、由紀子の方ではない。雑居ビルと建物の隙間にキラリと光るものが見えて、アレクは悠のオートメイドから離れた。新しい矢が、アレクの立っていた所のアスファルトを突いて跳ねた。


「出てこい! 一人二人にやられる俺じゃないぞ!」

「ならば、死あるのみッ」


 というしゃがれ声は、アレクの背後から聞こえた。アレクは前に転がり込んだ。直下地震が起きたように、足元が揺さぶられた。

 やっと振り向くと、さっきまでアレクが立っていたアスファルトが砕けていた。

 ソフトボール大の鉄球がアスファルトに叩き付けられていた。その鉄球から鎖がじゃらりと伸びて、持ち手を握る手は女のものだった。

 女は、紺色のセーラー服をまとっていた。その顔をうかがおうにも、白いお面を被っている。ウェーブのかかった金髪を胸元まで下ろしていた。


「二対一か。上等だ」


 セーラー服の女が、地面から鉄球を抜いてブンブンと振り回した。鉄球は、雨粒を弾いて光っている。あれならば、たとえ鍛えられたアレクの身体であっても、容易に砕いてしまうだろう。


「その余裕、いつまで持つかしら」


 彼女はそう言って、再び飛びかかってきた。鉄球の鎖を短く持ち、小刀で薙ぐようにアレクに振り回した。

 アレクは道沿いに下がりたかった。しかし、脇の雑居ビルの方に曲がりながら下がった。案の定、思っていた進行方向に矢が飛んで来たのだった。がつんがつんと打たれるのを避けながら、アレクは間もなく、壁に追い込まれた。

 追い詰めたセーラー服の女は、大きく振りかぶって鉄球を叩き付けた。アレクが大振りをかわすのは訳ない。鉄球は、これまでとは比較にならない強打によって、アスファルトの中にうずもれた。

 今が隙だ。アレクは拳をつくり、セーラー服の女の、白い仮面に殴り掛かった。お面のひしゃげた部分から白の表面がぽろぽろと落ちて、基盤のようなものが見えた。

 だが女はものともせず、鎖の持ち手をアレクに投げた。持ち手が錘となってアレクの左腕に巻き付く。

 しまった、動けない――とアレクが思った刹那、彼の鳩尾に女の蹴りが入った。


「ッ!」


 アレクは何とか堪えて、次にくる攻撃を予想した。矢が来るはずだ。身動きが取れない間に、必ず攻撃が来る。

 アレクは巨躯を踏ん張らせるなかで、紫苑と沙耶に意識を向けた。あの二人は由紀子に慄いていたが、もう収まっているだろうか。今は数の差が苦しい。

 セーラー服の女が伏せた。アレクの正面、ビルの隙間から矢が光るのが見えた。アレクは足を動かそうとした。動かなかった。

 彼の両足を、セーラー服の女が抱きかかえて抑えていた。唯一自由の利く右腕を動かした途端、狙い澄ましたように矢が彼の右腕に刺さった。

 矢はレザージャケットの袖を貫き、だらりと垂れた彼の手元まで血がどくどくと滴り落ちた。

 アレクは堪えた。このくらいの痛みが何だ。十年前の彼女が味わった苦しみに比べれば、こんなものは何でもないんだ。

 アレクは、次の矢先の光を確かめた。鎖を引きちぎろうと左腕を引っ張った。

 矢が飛んでくる。アレクは覚悟した。

 雨音を遮るように、風を切る音がした。そして、

 妃沙耶が、アレクの前に飛び込んだ。彼女はトンファーで矢を弾いたのだ。そのまま、射手の方向に叫んだ。


「蘭! 目を覚まして! 仮面を外すんだよ!」


 沙耶が言い終わると同時に、アレクは左腕の鎖を引きちぎった。そして、自分の足を抑え付けるセーラー服の女に手を伸ばした。その顎とお面の間に太い指を突っ込み、めくり上げた。お面は、ゴムバンドを耳に掛けるように出来ていたので、簡単に外せた。

 セーラー服の女は、色白の頬のうえに緑の瞳を湛えて、彼を抑えるのをやめた。

 沙耶が屈み、頽れるセーラー服の女の頭を、両手で支えた。沙耶はアレクを見て、


「花恋を、助けてくれたの?」

「倒すつもりだった。この仮面を外すまではな。……攻撃が止んだか?」

「ミックが向かってる」


 見れば、紫苑がビルの隙間へと走っていた。


「紫苑!」


 アレクは、紫苑の後を追って走りだした。左腕に鎖、右腕に矢の刺さった彼の走りに、弱った様子はない。沙耶は、仮面の取れた花恋を立たせて彼を見遣った。

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