第十四章 科学館

 ぴっぴが灯台に帰ってから一月が経った。いつものように工房に向かう朝、お昼ご飯のサンドウィッチを二つハンケチに包んでいた。すると玄関の外で物音がする。ぴっぴは猫のように背筋をぴんとしたが、灯台守だろうと思い構わず支度を続ける。ところが扉をコツコツと叩く音がする。開けるとそこには濁った青リンゴ色のスーツを着た、七三分けの中年男が立っていた。

「なんのごようですか。」

 七三分けを生まれて初めて見たため男の職業を一生懸命想像し、空を見上げる。男はぴっぴの目線の先を一緒に見た。天井に変わった所はみられない。ぴっぴは尚も上を向いたままなので男は気を取り直して咳払いをし

「初めまして、私こういうものです。」

 と伝え、名刺を差し出した。ぴっぴは名刺を受け取るとじっと見た。

「…おさみ。」

 漢字が読めない。男は再び咳払いの後、自己紹介をする。

「建設省職員の渡邉おさみと申します。」

 しかしぴっぴはどれが名前なのかがわからない。

「…おじさんをよんできてもいいですか。」

 男はぴっぴを蔑み、一瞬伏し目がちな表情を浮かべたがすぐに営業スマイルを浮かべる。

「お願いします、お嬢さん。」

 灯台の裏で草むしりをしている灯台守の所まで行くと大きな声で伝える。

「おじさーん、おきゃくさんです。しょうしょくのおさみさんです。」

 灯台守は何故少食の人間が自分を尋ねてくるのか分からなかったがむっくり立ち上がると手に持っていた雑草を一輪車の中めがけて放り投げる。そして手をパンパンと払いながらのしのしと入口へ行く。渡邉は怠そうな顔をしてハンケチで庇をつくった。

「なにカ。」

 灯台守は愛想なく話しかけた。渡邉は声の大きさに驚き振り返る。灯台守を見上げると体の大きさに鳥肌がたつ。しかし直ぐさまスーツの内ポケットから名刺入れを再度取り出すと灯台守に差し出した。

「あの…建設省職員の渡邉おさみと申します。」

 灯台守の身体からすればチョコレートの一欠片ほどの紙である。灯台守は紙に目を落とし、取り敢えず受け取ったが泥だらけの手で触ったためすぐに文字が見えなくなる。

「…で?国のお役人がこんな所に何の用ダ。」

 渡邉は再度たじろいだ。

「え…と…ですね、この度私が伺いましたのは灯台の建て替えについての御案内です。」

 灯台守は眉を顰めて訝しい顔をする。ぴっぴは灯台守の背中にすっぽり隠れている。

「ただ今ファロス島では全ての灯台を建て替える計画を進めております。といいますのもこの度アカデミックシティでLEDを用いた灯台プロジェクトが成功いたしまして、それに伴いファロス島ではいち早くそのシステムを導入する事になりました。」

 灯台守は退屈そうに話を聞いている。

「なんでもこのファロス灯台の歴史は古く、二三〇〇年も前から高性能のレンズを用いてるんだとか。しかしレンズをカットするには莫大な維持費が毎年かかります。先程工房の方も拝見させていただきましたが随分と老朽化が激しいようで、このままでは地震や震災時にあの建物は倒壊する危険があります。そこで市の職員とも話し合った結果、LED灯台を導入する流れになりました。いかがでしょう、少しの間灯台を離れていただく事になりますが、今までのように毎年レンズを交換しなくてもよくなるのは、随分効率がいい話だと思います。この際システムの切り替えにご協力いただきたく思います。」

 渡邉は自慢気に話した。声だけ聴いていたぴっぴは青ざめた。

「おじさん…」

 ぴっぴが話しかけるよりも早く灯台守は手にしていた名刺を後ろに投げ捨てた。竜巻が起こるような凄まじい気迫で渡邉に向かって答える。

「いいか貴様、国の役人だかなんだか知らないガ、この灯台は建て替えたりしネェんダ。耳の穴カッポジッてよく聞ケ。てめえらのように効率ばかり優先しているようなヤツは俺らの生活なんてまるでみてやシネェ。俺らはこのままで幸せなんダ。二度と来るなバッタやろウ!!次俺の前に現れてみロ!漁師用の網で縛りつけてやル!とっとと帰りやがレ!!」

 渡邉は怯えドアに貼り付き、焦りながらも持っていた書類を灯台守の足下にそっと置くと一目散に逃げ帰った。遠くの方で小石を踏み外して転んでいる。ぴっぴはそれを見送るとほっとし、大きな背中は自分を守ってくれたように感じた。灯台守は無言のまま草むしりに裏へと戻って行った。ぴっぴは書類を拾うとサンドウィッチを携え、工房へと向かった。いつものように線路を渡る。ところが曲がり角で立ち止まると振り返り、工房とは逆の方向へ歩き始めた。

「こんにちは。」

 ポッペンの家に来た。返事がないのでドアについていたノックを叩く。

バンバン!!

 すると頭上から声が聞こえる。

「あら、ぴっぴさんじゃない。どうされたんです?」

 上を向くとターニャが二階で洗濯物を干していた。

「一寸待ってくださいね。」

 二重になっているロープに洗濯物を掛けるとずるずると片方を引っぱり、洗濯物を通りの中央まで移動させる。すると大きな赤と白の縞模様のパンツがロープから外れ、ぴっぴの顔に被さった。

「ひょっとほようひゃんがあっへひまひは。」

 

 部屋に入れてもらうとターニャはディのミルクを出してくれた。ぴっぴはアンドリューが搾ってくれたものを思い出す。ごくごくと飲み、口の周りに白い髭がぐるりとついた。

「それで、その方はどうすると仰ってたのですか?」

 ぴっぴは手に持っていた封筒を机の上にそっと置いた。

「おじさんがどなったのでこれをおいてかえりました。」

 封筒の中身を取り出すとターニャは中の書類に目を通す。目線が下の方に移動するにつれ、顔が強張って行く。

「なにかよくないことがあるんですか。」

 ぴっぴが問いかける。

「大変、早く漁業組合に言わなくては。」

 いつも優しいターニャが動揺しているのでぴっぴは不安な顔をする。


 渡邉が置いて行った書類によるとすでに灯台の再建は決定しており、国からもその許可と助成金が下りてしまっているというものであった。地方の村がダム底に沈む時のように、灯台守やぴっぴに拒む権利はない。灯台とレンズ工房は来年から工事が始まる予定になっている。


 夜、ぴっぴは灯台の掃除をしながら灯台守が帰って来るのを待っている。桶のお湯をデッキブラシにつけ、ごしごしと床を擦る。

「とうだいが、なくなっちゃうんでしょか…」

ゴシゴシゴシゴシ…

 ブラシに集中して床を擦っていると入口の扉が開いた。

「おじさん!」

 帰って来た灯台守とポッペンは浮かない顔をしていた。

「…どうでしたか。」

 堪らず灯台守に話しかけるが灯台守は黙っている。横にいたポッペンが気を使って話しかけた。

「ぴっぴさん、今日はもう遅い。先におやすみなさい。わしも、もう少ししたら帰りますから。」

 ぴっぴはしょんぼりと頷く。それから灯台守のベッドを借りて寝る事にした。寝室で電気を消すと、ぴっぴは壁に耳をぴったりとつけ、話を盗み聞きする。隣からは二人の話し声がする。

「あんにゃろウ勝手にどこどこと方針を決めちまいやがっテ!何が来年から工事にはいるダ!なぜ俺たちに相談しなイ!」

 市役所での話し合いはうまく行かなかったようだった。来年からとは急な話である。

「仕方ありませんね…わしらに相談すれば、反対されっことは当然わかっとる。採算がとれないレンズ工房は彼らにとってはただの金食い虫ですからね。こうなっては何か代替案をもってくよりすかたねぇですよ。」

 ポッペンの言葉に短気な灯台守は憤慨する。

「なんだっテおめェ?灯台がなくなっちまってもスカたねぇっていいたいのカ?」

 慌ててポッペンが言い返す。

「そうは言ってねってさ。ほら、ぴっぴさんもねとるんだ、あんまりでけぇ声で怒鳴ったらめぇさめちまう。やや、今日はこのくらいにすて、あすたもいっぺんかんがえってな、な。」そう言うと、ポッペンは入口の扉を開けて帰って行った。灯台守はドタンドタンと物音を立てたかと思うと、その後は静かになった。ぴっぴは壁から耳を離すと、不安な気持ちのまま布団に入り、眠る事にした。

 ニ週間後。年も暮れようとしていたある晩、ぴっぴは夕飯に食べる牡蠣の殻を割っていると、ポッペンが乗り込んで来た。

「灯台守!市長と話をつけてきた。灯台は存続出来るぞ。」

 いつももの静かな灯台守もこの時ばかりはポッペンの顔をすがるような目で見つめた。

「本当カ!どんな凄い手を使ったんダ?」

 輝く目で灯台守に見つめられ、ポッペンは冷静さを取り戻し話し始めた。

「ただし、条件があるんだ。」

 ポッペンの表情は緊張したものになる。二人はじっとポッペンを見つめた。

「なんだ…条件とハ」

 堪らず灯台守が質問する。そしてポッペンはちらりとぴっぴの顔を見ると、ゆっくり口を開いた。

「…条件ってのは…。」

 ぴっぴは目を瞑る。

「条件ってのは…灯台と教会堂を観光地にするってことなんだ。」


 明くる年、灯台と教会堂、そしてレンズ工房は実用を兼ねた科学館になった。カタコンベの横穴には立ち入り禁止のロープが張られ、ぴっぴは動物園の猿のように、仕事場を観られる事になった。遠くの街から沢山の観光客が押し寄せ、ぴっぴはパシャパシャと光るデジカメのストロボを不快に思いながら立っている。

「ちょっとー、早くレンズを削りなさいよ、うちの子が退屈するじゃない。」

 観光客の自分本位な暴言にも関わらず、ぴっぴは相変わらずレンズを削れずにいた。レコードプレイヤー機に油をさしている。灯台も同じ状況だった。灯台の入口周辺には日中観光客が群がり、料理用の竃やドラム缶をべたべたと触ったり叩いたりする。

「灯台の暮らしなんて憧れるけどまっぴらよねー。こんな貧相な家に暮らすなんて、私はご免だわ。」

 灯台守が仕事をしている背後で心ない発言をする観光客は後をたたない。ぴっぴ同様、何かを言い返す事はせず黙々と仕事をしていた。そんな状況のまま二月になった。

 夕方、ぴっぴは観光客が帰った後、いつものようにクリオに祈りを捧げるため教会堂に向かった。今日は随分と日が長い。いつもなら窓の外は群青色の夕闇が迫る時間だ。ところがこの日は日没が遅かったためアトリウムの回廊に掛かっている観光客用の解説文に目が留った。

「こんなとこになにかかいてあります。」

 そしてその横にある肖像画の顔に見覚えがあった。

「ヨルシュマイサ…」

 アクリル板には、あのヨルシュマイサーの肖像画が貼られていた。丁度同じ頃、ポッペンは正面入り口が開いているのを確認すると、右手に大きな魚を携え中に入った。回廊でぴっぴの姿を見つけると、満面の笑を浮かべ呼びかけた。

「ぴっぴさーん、今日はメカジキが捕れたとですよ!」

 しかしぴっぴはぴくりとも動かず、じっと肖像画を見つめている。不思議に思ったポッペンはすぐ横まで来ると左手で肩を叩いた。

「ぴっぴさん?どうなすった?」

 やっとポッペンに気づくと大きな瞳で目を見た。振り返るとぴっぴの大きな瞳に大粒の涙が溜まっている。ポッペンは驚き、持っていた魚をビタンと地面に落とした。

「…ぴっぴさん、何があっただ?!悪いヤツでも…」

 心配事を言いかけたポッペンの言葉を遮り、ぴっぴは口を開く。

「ポッペンさん。これになんてかいてあるか、よんでください、おねがいします!」

 ポッペンは状況を飲み込めなかったがアクリルに書いてある文字を読み上げた。

 ヨルシュマイサーは紀元前三三ニ年、ファロス灯台が建設された当時の造営責任者であり、灯台の設計からレンズ交換の仕組み、ファロス集落とその象徴である灯台との関わり方などを事細かに弟子に伝えた人物であった。それは教会堂が出来るずっと以前の出来事であった。

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