監視社会

 アランは私の答えを待たずに続けた。

「新型のウイルスが世界を混乱させていたときのことだ。ウイルスを押さえ込もうと世界がやっきになっている中で、君の故郷は成功をおさめていた。最初にウイルスが確認された地ではあったが、数ヶ月も経つと他の地域の感染者の数が次々と君の故郷を追い抜いていった。

 成功の鍵は、強権的な防疫体制だ。街中のカメラや携帯端末のデータを当局が集め、監視し、感染の鎖を次々と断ち切っていった。ひとりでも感染者が見つかれば、都市の封鎖さえ厭わなかった。自由主義の中で育った私のような人間には、ぞっとするような監視社会と全体主義だと思っていたよ。

 そんな私はある新聞の記事を読んで考えを改めた。

 その記事に登場するのはひとりの父親だ。彼は家族で飲食店を営んでいた。地元の人が集まり繁盛する店だったそうだ。そんな彼がウイルスに感染した。不幸なことに彼がその都市での第一号感染者だった。当局は直ちに都市を封鎖すると同時に、感染の連鎖を洗い出すために彼の個人情報を公開した。氏名はもちろんのこと、彼の行動履歴も。少しでも彼と接触した可能性がある人は当局に申告するようにと。

 彼のもとには罵詈雑言が届いた。特に問題視されたのは、彼が発症の二日前に隣の都市を訪れていたことだ。そのとき、隣の都市では第一号感染者が発見されていて二四時間以内にロックダウンが行われるのではという話がネット上に流れていた。そのようなときに彼は隣の都市を訪れた。そんな彼の行動について、市民としての自覚が足りないとネット上には批判の声があふれた。彼に向けられた刃はデジタルの世界だけにとどまらず、彼の店には石がいくつも投げ込まれたという。昨日までの近所の常連が、自分に刃を向けてくる。そうとう苦しかったに違いない。

 ここまでであれば全体主義の末に生まれた悲劇で終わる。しかし、この話には続きがある。

 事態を重く見た当局は、さらに一歩踏み込んで彼の家族情報を公開した。彼には妻がいて、二人の息子がいる。長男は11歳で地元の学校では神童と言われるほどの優秀な少年。次男は8歳だが、学校に通えていない。次男は難病を患っているからだ。その難病の治療薬は隣の都市でしか手に入らず、父親はその治療薬を手に入れるために、封鎖直前の都市を訪れたのだと。

 その情報を当局が公開すると、批判は止んだという。自由主義の国では考えられない対応だと思ったよ。けれど、有効な方法だとも思った。個人情報保護の名の下に、いくら自由主義が紳士的に振る舞ったところで、感染者の情報はどこかから流れる。そんなとき、感染者が事実無根な批判に晒されても、自由主義には彼らに手を差し伸べる手段がない。

 となると、全体主義と自由主義、どちらがいいのだろうかという疑問が私の中に浮かんだ。もちろん、この話は当局が監視社会を正当化するためのプロパガンダに過ぎないのかもしれないが」

 私は黙ってアランの話を聞いていた。

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