憂鬱女王と変人共の事件簿

匿名希望

第1話 憂鬱女王と変人達のとある昼下がり

少しだけ開いた窓から風が吹き込み、繊細に編み込まれたレースのカーテンが風に弄ばれて静かに揺れる。そして穏やかな昼下がりの雰囲気が漂う窓際にどこかぼんやりとした様子で佇む、前髪を少し編み込んだ金髪の少女が穏やかな中にもどこか幻想的な雰囲気を付け足していた。彼女の服装は全身に細かなレースやフリルが施されており、正にアンティークドールが着るようなドレスに手袋、靴、ヘッドドレス…その全てが、靴下に至るまで徹底的に真っ黒であった。そして極めつけにその漆黒に映える陶器のように滑らかで白い肌とゆるく巻かれた金髪、宝石のような翡翠ひすいの瞳、微かに開いた薄い桃色の唇…と、彼女はまるで精巧な西洋人形のように美しい少女であった。神話の一場面を切り取ったように神秘的な光景を掻き消すようなノックが三回、音楽ひとつない静かな空間にはやけに響いた。

**

折角一人で穏やかな昼下がりを楽しんでいたのに、もう帰って来たのかしら…あの変人たちは。

「ただ今昼の散策を終えて帰って来たところさ。ミス・アガサ。どうか入れてくれないか?」

この声は…家頭いえがしらね。

「…お帰り、家頭。鍵は開いてるわ、好きに入りなさい。」

ドアが控えめに引き開けられ、声の主である家頭が顔を出す。全体的に細い輪郭と鋭い印象を与える青い瞳が特徴的な、神経質そうな男。彼は阿笠探偵事務所ウチの顧問探偵、家頭樵麓しょうろく

「…いやはや、少し渋谷の駅前をぶらついてきたのだが…やはり、人の多さには驚かされるね。これほどまでの人々がいる都市もそう無いだろう…こんなに人が密集していれば、犯罪にはならないまでも奇妙な小事件は身近に隠れていると思うよ。…そういえば、気分屋の彼等は何処に行ったのだろうか。」

瞳を閉ざしていても分かるほどの我が物顔で私の隣にある赤の肘掛け椅子に腰掛け、あまつさえ自分側の椅子の傍にある蓄音機も勝手に鳴らし始めた家頭は呟くようにそう漏らし、胸のポケットから取り出した金の重苦しそうな懐中時計を見つめた。ほんの少しの静寂の間、蓄音機から漏れ出したサックスの軽快な音色が応接間を包む。

「……そう。」

私はこめかみの辺りをこつこつと右手の人差し指で叩きながら答え、「…さあ?彼らのことだし、また何処かをほっつき歩いてるんじゃないのかしら。」軽くあしらう調子で言葉を返しながら自分の肘掛け椅子から降りる。(…今の様子は他人から見ればきっと、私が肘掛け椅子から飛び降りているように見えるのでしょうね。)椅子から降りた後はキッチンの方へと向かい、派手ではないけれど上品な食器棚からウェッジウッドのティーカップを二つ取り出す。「…家頭。貴方は珈琲で良かったかしら?」キッチンから応接間の方に答えを求めない質問を飛ばす…が、「気遣い有り難う、ミス・アガサ。君の腕前は素晴らしいし、君の淹れてくれる珈琲は僕の活力だ。」と別に期待してもいなかった気障な答えが返ってくる…それは無視したまま、普段家頭に淹れているコーヒーの豆を挽く。ティーカップに湯を注ぎ、家頭の分の珈琲を淹れ終わると次は私の紅茶を淹れる番だ。ダージリンを入れてある茶葉の缶を棚から取り出し、蓋を開けてあらかじめ湯を注いであるティーポットに茶葉を入れる。しばらく待ってからティーカップに紅茶を注ぎ、レモンを添えてからティーカップを二つ持って応接間へと戻り、家頭の前に珈琲を入れたティーカップ、紅茶のティーカップは私の座る椅子の目の前に置く。

「…ねえ家頭?今の言い回し、少し気持ち悪かったわよ。…自覚がないのかもしれないけれど、あなたも彼らと同類だわ。気難しくて扱いづらい気分屋。」

肘掛け椅子に戻り、紅茶を入れたティーカップに口を付けながら愚痴を漏らすように呟くと家頭も珈琲を入れたティーカップに口を付け、若干眉を下げながら不思議そうな口調ではあるが「そうかい?僕としては君を褒めたつもりだったんだが…言い回しが良くなかったのかな。」全く気にも留めていない様子で言葉を返してきた。「…まあ、確かに君の言う通りかもしれないね。僕も彼等のことをとやかく言える立場とは言えない…だからこそ、彼等と衝突しないようにだけは気を遣っているつもりさ。」何も答えずにぼんやりと外を見つめているとティーカップを置く音が聞こえ、ほぼ同時に肘掛け椅子から立ち上がる音が聞こえた。

「そろそろ部屋の書類を整理しなければ…」

私はちらりと目線だけを家頭の方に向ける。

「そう。私はここで依頼人と彼らを待ってるわ。」

「……やはり、いつもと比べて人数が少ないからか…やけに静かに感じるね。」

「…まあ、気長に待ちましょう。彼等の事だもの、今にふらっと帰ってくるわよ。」

カップに入った紅茶の良い香りに鼻をくすぐられて少し口許が緩み、瞳が細くなる。

「ああ。彼等の噂もすればなんとやら、だ。」

私の言葉を聞いていたのか、窓の外をぼんやり眺めていた家頭が首を縦に振った。

「しかし…何も起こらないのに越したことは無いが、仕事が無いのには退屈してしまうな。」

そう漏らした後に苦笑した家頭が「これは一種の職業病というやつだろうね。」と付け加える。

「…もし今日が何も起こらない日なら、退屈しのぎにバイオリンでも弾こうかな。」

彼がやけに上機嫌な様子で練習曲の一節を口ずさみ始めた時、どうやら家頭が閉め忘れていたらしい扉の隙間からするりと和装の壮年そうねんが穏やかな笑みを湛えつつ姿を表す。雰囲気は物静かそうで目尻に細かい皺が目立つ、正統派の和装を身に纏ったその壮年の男は懐から藤と桜が描かれた扇子を取り出し、穏やかで乾いた笑い声を上げる。彼は私の父の親友で、阿笠探偵事務所では一番年増の探偵…夏原京介なつはらきょうすけ

「やあ、クリスティさん。少し散歩をしていたら遅くなってしまってね。」

夏原は事務所を一通り見回した後家頭に目線を向け、「おや…クリスティさん以外で来ているのはまだ樵麓くんだけかい?ならば私が二番手だね。」と微笑んだ後私の近くにある籐椅子に声を上げながら腰掛ける。

「ははは…もう歳かもしれないね。最近は声でも出さないと座るのが辛くて。樵麓くんやクリスティさんはこんな年寄りにならないよう気を付けなさい。」

そう苦言を呈した夏原に家頭はとんでもないとでも言いたげに手を振り、答える。

「いえいえ、ミスター・ナツハラはまだまだお若いですよ。」

変人たちはそんな他愛の無い会話を繰り広げていた。と。

「阿笠さん!ただ今戻りました!」

…一番厄介なのが帰って来たと思う暇も無く扉が開け放たれ、一見すると冷静そうにも見える琥珀色の瞳をした男が依頼人らしき女性を引き連れて姿を現す。彼の名は…森青蘭もりせいらん

「青蘭、後ろの方は依頼人かしら?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憂鬱女王と変人共の事件簿 匿名希望 @YAMAOKA563

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ