57.幾度と無く暗転する世界

× × ×


 ――――最悪だ。いや、大変なことになってしまった。

 もちろん、計画は思い付きだった。それでも、今の俺にとって考え得る中では、一番の妙案だったはずなんだ。この世界で得た二人の友達と一緒に、始めたばかりだった壮大な計画は……俺たちの予想しないところで、いきなり頓挫しそうになっていた。


「ハァ…………ハァ…………」


 粗末なベッドに身体を横たえたアニーが、白い肌を紅潮させ、苦しそうに息を荒くしている。その傍らには、小さな切り傷だらけの壮亮とレラの他に、薬草師だという老婆と、老婆を紹介してくれた黒髪の少女が佇んでいた。


「うぅむ……」


「ど、どうなんですか……?」


「古い毒か……あるいは、流行病はやりやまいの類か……。残念じゃが、いずれにせよ、あたしが診たことのない患者だね」


 壮亮が青ざめた顔でアニーへ視線を落とす。つい数時間ほど前――――棒切れ一本に跨がったはるか上空で、身震いしながら、今と同じ顔をして彼女の身体にしがみつき、やれ『臆病者』だの『ケダモノ』だのと罵られていた頃に戻りたい――――と、切に願っているに違いない。


「……で。ねーちゃんは? このまま死ぬのかよ」


「死なないだろ!! し、死なせるかよ……絶対……ッ」


 老婆が答えるよりも前に、壮亮が大声を張り上げてレラの軽口を制止する。アニーから視線を外さず、嫌そうに、気怠げな手付きで大げさに耳を塞いで見せるレラ。


「分からんな。少なくとも……今夜は、峠じゃろう。打てる手は尽くした。後は、あんたら二人の傷薬と……これも置いていくよ」


「これは……?」


「今はまだ必要なかろうて。じゃが、最悪の場合……安楽らくに“息の根を鎮める”薬丸だ。決して、安易に飲ませるでないぞ。……行く末、その娘がさらに悶え苦しむ姿に、お前さんたちが、あまりに哀れと思うのなら、飲ませてやりなさい」


 レラが、薬丸の乗った木皿が置かれたテーブルから身を遠ざける。壮亮は青い顔をしたまま、俯いて震えている。最後に、アニーの額に滲む汗を優しく拭うと、薬草師の老婆は曲がった腰で杖をつきながら、静かに部屋を出て行った。


「……いいよ。今日は泊めてあげる。その子も、あなたたちも」


「……おい」


 アニーを見下ろしたまま、少女にお礼も、レラへ返事もしない壮亮。


「……りーな。見ず知らずの、しかもこんな無愛想な客なんか泊めてもらってさ」


「いいよ。レムゼルクに向かって、隣の村まで行けば宿があるけど、無理だろうから。それに、村までの丘は……夜になると、凶暴な野犬だらけ」


「こわ」


 レラが、苦し紛れに口笛を吹く。黒髪の少女は、頭に被った黒い手拭いを外し、鍛冶道具の入った重そうな革の前掛けを壁のフックに掛ける。顔も手先も煤だらけの彼女は、引き出しから綺麗に畳まれた手拭いを二枚取り出すと、さらにもう一枚、一生懸命探し始める。


「三人は、旅の人?」


「あー。ま、そんなとこさね。それより、アンタは? こんなとこで鍛冶屋なんて、商売成り立つのかい?」


 レラが、流暢に話を逸らす。モノクロウ火山までの飛行中、突然、みるみる体調を崩したアニーが箒のコントロールを失い、近くの藪に墜落したのだ。そんな三人を見つけて介抱してくれた恩人相手とはいえ、互いに素性の知れない状況で、身の上話などしたくはないのだろう。無論、旅の目的が目先の儲け話だということもある。


「うん。問題ない」


「あっそ」


「うん」


「………………」


 レラが、何度か小さく咳払いする。お決まりの、頭の上で腕を組み、遠慮がちに床を蹴りながら壮亮の周りをウロウロしたり、アニーの顔色を伺ったりしてみる。


「……どう思う」


「あ?」


 壮亮が、レラにだけ聞こえるタイミングで小さく呟く。眉をひそめながら、壮亮の言葉に耳を傾けるレラ。


「俺たちさ。ここまで全部、アニーの魔法と土地鑑任せだったんだ……。俺も、お前も、ここがどのあたりの村で、歩いてモノクロウ火山までどのくらいなのかすらも分からない……」


「ごもっともさね。なにせ、こちとら都会っ子なもんで」


「それでも、当然、ルドルフは、最初に決めた期限までしか待ってくれやしないんだ……」


「だろーね。正直、トンズラするつもりが無いなら、ここで油売ってるヒマなんてねーよ?」


「アニーは置いていけない。絶対にだ」


 壮亮が震える拳を握りしめる。墜落した際に負った切り傷が開き、血が滲む。


「……あっそ。なら、どうすんの」


「……今日は泊めてもらおう。今夜が峠ってことは、それを越えて明日になれば良くなるんだろ。常識的に考えて……」


「そーなの?」


「いや、知らねーけどさ……。でも、原因不明だから特効薬になる薬草とか、無いって……さっきのばーちゃん言ってたし……。それに――――」


「……それに?」


 それに、こんな科学の発達していない異世界の医療なんて、程度が知れているのだから、本当にヤバい病気なら、どこの医者に診せても、助からない。最悪だ。


「……いや。今はまだ、薬は無いだろうって。治す薬は……」


 何かに気付いてしまったように、テーブルの上の薬丸へ、恐る恐る視線を向ける壮亮とレラ。しかし、壮亮は、少し経ってから思い立ったように薬丸を木皿ごと手に取り、市場でアニーと一緒に選んで買った――――荷物を仕分けるための小さな布袋に突っ込んで、帆布製の旅鞄の奥へ仕舞い込んでしまう。


「お風呂……どうする?」


 壮亮とレラが振り返ると、畳まれた手拭いを三枚差し出し、黒髪の少女が無表情で首を傾げていた。


「温泉が湧いてるの。来るなら、案内する。私も入るから」


「いいね。身体中、草むらの青臭いニオイと血まみれでうんざりしてたし。どーも」


 手拭いを一枚受け取るレラ。壮亮は、相変わらず苦しそうな息遣いで床に伏すアニーを申し訳なさそうに見つめている。


「でも、アニーが……」


「手拭い、その子の分もある。拭いてあげたら?」


 少し考え込んだ後に、壮亮が頷く。


「ありがとう。助かるよ」


 真面目な顔をして手拭いを二枚受け取った壮亮から、レラが一枚、乱暴に奪い取る。そして、何かに気付いたように慌てふためく壮亮。


「ヘンタイ……」


「い、いやいや!? そんなつもりじゃねーよ!? そりゃあ、最初からお前に頼むつもりだったさ!! 当たり前だろ!?」


「分かったから。さっさと行ってこいよ。ねーちゃんはあたしが診てる」


「……ああ。頼んだ」

 

 壮亮は、旅鞄から小さな布袋だけ取り出して自分の懐に仕舞い込み、あとの荷物を全部、レラに預けた。

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