幕間(リース視点)、呪われた名前
◇ ◇ ◇
「ふんふーふ、ふんふふん♪」
今宵はとてもいい月夜だ。
ボクは喜びを隠しきれず、ちょっと飛び跳ねながら宿への道を急ぐ。
宿泊しているのは、街の外れにある安宿だ。部屋はとても狭いし、
「初めての仲間。初めての仲間だ……!」
今日、自分に初めての仲間ができた。名前はシグルイさん。
少しだらしがないところがあって酒場のイーシャさんに怒られてばかりだけど、冒険者としての知識も腕も一流のすごい人だ。
引退して無職だって言っていたけれど、十分に——いや、十分以上に強い。
「へへっ、かっこよかったな……!」
あの恐ろしい山羊頭の悪魔を前にして、一歩も引かずに戦い抜いた。しかも自分というお荷物を守りながら。
悪魔を相手に正面から立ち向かうあの人の背中を思い出すと、なぜだか胸が高鳴った。不思議な感覚だ。
また明日も、明後日も、一緒に冒険に行けることがとても幸せだ。
街外れの人気のない通りに出た時、背後に気配を感じてボクはとっさに振り返った。
『なーお』
物陰から現れた黒毛の猫がひと鳴きして、再び夜の闇に溶けて消えていく。
「なんだ、猫か……」
ボクは自分を落ち着かせるように、深く呼吸をした。それでも早鐘のように鼓動する心臓は収まらない。冷えた汗が滴り落ちる。
父からの追っ手かもしれない。
そんな考えが頭をよぎってしまったからだ。
「大丈夫、大丈夫……ここは家じゃない。ボクを縛り付ける場所じゃないんだ」
自分を落ち着かせるようにひとり呟く。
それでも体の震えは止まらない。またあの場所に連れ戻されるかもしれないと考えてしまっただけで、足が動かなくなる。
『リースレイン。お前に剣を習わせたのは、強い子を産ませるためだ。冒険者の真似事をさせるためではない』
『リースレイン。いい加減、子供のような考えはやめろ。お前はこの家のために人生の全てを捧げなくてはならないのだ』
『リースレイン。お前の嫁ぎ先が決まった。相手はずっと歳上だが、ありがたいことに美しくもない未成熟なお前を気に入っている。我が家との繋がりをより強くするためにも、お前はそこで飼われるのだ』
父の冷酷な声が耳に残って離れない。ボクは道の端でうずくまると、剣を強く抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫……ボクは冒険者なんだ。お父様の道具じゃない」
耳の奥で嵐のように渦巻く父の声。その中で、まるで灯火みたいに一つの声がふっと揺らめいた。
『勇者になるっていうのは特別な力を授かることじゃなくて、厳しい試練を与えられることなんだとよ』
ボクの目を見ながら言ってくれた、シグルイさんの言葉だ。
家から逃げて、船の積荷の中に身を隠していていた時、ボクの右手に勇者の証『一輪の紋章』が刻まれた。ボクはそれを運命だと思った。自分がこれから向かう未来を示す、運命だと。
だからどんな困難だろうと、立ち向かってみせる。小さな頃から憧れ続けた、世界を救う勇者になるために。
「これは、試練だ。乗り越えなきゃいけない、試練なんだ」
ボクは剣の鞘を腰に戻すと、左手で『一輪の紋章』が刻まれた右手の甲をぎゅっと握りしめる。ようやく体の震えが収まった。
強い思いが持てるようになったのは、あの人がくれた言葉のおかげだ。
自分は負けない。
リースレイン=ファラシオン
この呪われた名前にも——
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