ユグドラクロニクル〜無職なオレが、女勇者に懐かれたら〜

三ツ葉

第1章「無職なオレと、駆け出し勇者」

1-1、無職に人助けは似合わない

 

 金はないが働く気はない。

 しかし、酒場通いをやめる気もない。


 今日も今日とてツケ払いで酒を飲み、酒場の娘に白い目で見られながら店を後にする。ほろ酔い気分で外に出ると、真っ黒な夜の空から冷たい小雨から降っていることに気がついた。


「ハァアア……めんどいなぁ」


 オレは空を見上げてため息をついた。

 『めんどい』『めんどう』『めんどうだ』の三段活用はここ最近の口癖だ。何をするにしてもやる気というものが湧き上がってこない。きっと生命力がもはや底を尽き始めているのだろう。


 小雨に濡れながら、夜の街を歩いて寝ぐらを目指す。

 家路を急ぐ住民や一仕事を終えた商人たちとすれ違うが、まるでオレのことは見えていないかのようだ。誰も浮浪者みたいなオレには一瞥をくれない。


 これでいい。

 オレの人生は無色透明。誰にも知られることなく、誰にも顧みられることなく、野垂れ死ぬまでの時間をひっそりと過ごす。それがきっとオレの最期だ。


 何も守れず

 何も救えなかった

 みじめなみじめなオレにふさわしい末路だと——そう思っていた。


「いや! 離して……離してください! なんで、こんなことをするんですか!」


 夜の街に、少女の声が響いた。


 興味本位で声がした方へ歩いてみると、建物と建物の間の影になっている場所で、身なりの悪い3人のごろつきどもが1人の少女を取り囲み、腕を掴んでいる。少女はなんとか振りほどこうとしているが、腕力の差は歴然としているようだった。


 どうせ、酔った勢いで女を口説こうとして相手にされず、逆恨みして暴力に走ったとかだろう。相手がまだちっこいガキだってのがいい趣味してるけどな。

 オレは見なかったことにして、その横を素通りしようとした。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。人助けなんて殊勝な行いは、クソ野郎のオレには似合わない。


「やっぱりだ! こいつ、!」


 その声を聞き、オレは足を止めた。

 ごろつきの1人が少女の右手を掴み、手袋を奪っていた。女神に選ばれた者には共通して手の甲にある印が刻まれる。ごろつきたちは少女の手にその印を見つけたのだろう。


「なぁ、おい、お前は恥ずかしくねえのか⁉︎ 弱っちいくせに、ただ偶然選ばれたってだけで偉そうにしてよぉ!」


「違う! ボクは偉そうになんて——」


「うるせえ! その紋章を見せびらかしてるだけで偉そうなんだよ! 偉そうで虫酸が走るんだよ! いいよなあ、勇者サマはなんの苦労もせずタダで力をもらってよぉ! ケッ、勇者なんてのは全員腰抜けだらけだぜ!」


 ごろつきが腕を振り上げ少女を殴りつけようとした時、オレはわざと大きな足音を立ててそいつらの前に姿を現した。


 雨足が強くなっていく。どこか遠くで、雷が落ちる音が轟いた。

 その場にいた奴の視線が一気にオレに集まる。注目されるってのは嫌なもんだね。


 側からすれば、ごろつきどもを止めに来た正義漢に見えるだろうか。だが、別にオレは人助けをしに来たとか、そんな気持ちは一切ない。

 ただ少し……イラついただけだ。


「なんだぁ、お前は。つまらねえ正論を言いに来た偽善者か? それとも一緒にこの勇者のガキを殴りに来た同胞か?」


「別にどっちでもねえさ。ただ強いて名乗るなら——」


 ごろつきの問いに、オレは何も持っていない両手を広げて答える。






「通りすがりの無職だよ」




      ◇  ◇  ◇




 聖樹ユグドラ歴1221年、緑翠ノ月。

 寒さもすっかり和らぎ、春の陽気が踊っている。


「はぁ〜、働かずに飲む酒はたまんないですなぁ」


 その日もオレは午後の早い時間から行きつけの酒場に入り浸り、一人酒杯を傾けていた。飲んでいるのは店で一番安い葡萄酒だ。味はどうでもいい。酔っていい気分になるのが目的なんだからな。


 昼過ぎに起きて

 だらだら散歩して

 酒場で飲んで、あとは寝るだけ。


 最近はそんな生活をずっと続けている。仕事はもちろんしてないし、職探しもしていない。やる気はないし、根気もない。ないない尽くしの充実な毎日だ。

 しかし、そんな素晴らしき無職生活ワンダフルライフにも不穏な影が忍び寄ってきていた……!


「シグルイさーん! シグルイ=ユラハさんはこちらにいますかー!」


 スイングドアが勢いよく開き、元気な少女の声が薄暗い酒場内に響いた。しかもその声はオレの名前を呼んでいる。連呼している。

 店にいた2、3組の客が驚いて入り口の方を見て、オレは逆に顔を逸らした。まーた来やがった……勘弁してくれよ。


 短い藍色の髪に、宝石みたいな翡翠色の瞳の少女だ。あどけなさを残した顔は、小柄な体格も含めて全体的に小動物のような印象を受ける。


「あ、いた!」


 くりくりした大きな目が、オレに向けられた。やべぇ、見つかった……!

 気づかないふりをして葡萄酒を飲むが、小動物風の少女は真っ直ぐに近づいてくる。身に着けた軽鎧と、腰に下げた長剣がカチャカチャと軽快な音を立てた。


 少女は、剣士だった。


「シグルイさん! よかった、やっぱりここにいた!」


「……シグルイ=ユラハは不在デス。またの機会にお越しください」


「えぇ⁉︎ 不在って……ここにいるのに? 一体どういうことなんだ……?」


 オレの返事に、少女は混乱している様子だ。素直というか、アホの子というか。


 数日前、オレは小雨が降る夜にごろつきどもに絡まれていたこいつを助けた。もちろん、人助けをしたつもりはない。気まぐれというか、虫の居所が悪かったとか、そんな理由だ。


 しかしこいつは拾われた子犬のようにオレに懐いてしまい、こうして付き回されているワケ。いい迷惑とはこのことだ。

 名前は確か……リースといったか。


「やっぱりここにいるじゃないですか! もう、ボクが子供だからってからかわないでください。今はまだ成長途中だけど、こう見えてボクは“勇者”なんですから!」


 リースが手袋を外し、右手の甲に刻まれた印を誇らしげに見せてくる。


 花弁を象ったその印の名は『一輪の紋章』。

 世界を侵略する混沌の軍勢と戦うことを宿命づけられた者に、秩序の女神イサナから贈られる証だ。その証を持つ者は、古来からの伝統で勇者と呼ばれている。


 少女は剣士であり、そして勇者だった。


「……どうでもいいけど、あんまり紋章そいつは見せびらかすなよ。余計な面倒ごとを生むからな」


「え、あ、そうでしたねっ。隠しておきます!」


 リースは外したばかりの手袋を素直にはめ直した。

 魔物どもと戦うことを生業にしたからといって、全員が勇者になれるわけではない。一部の資質を持った者だけが、女神の気まぐれのように紋章を与えられるのだ。


 勇者は英雄のように敬われる一方で、選ばれなかった者からの不満も多い。詳しい内容は知らないが、ゴロツキどもがリースに突っかかってきたのも、勇者の紋章を見たがゆえのことだったという。


「オレに紋章を自慢する用事は終わったか? だったらすぐに家に帰りな。母ちゃんが昼飯作って待ってるぜ」


「そ、そんなことのために来たわけじゃないですよ! 本題はこれからです!」


 慌てた様子のリース。小さな声で「それに、ボクは帰る家なんてないし」と呟いたのを聞いたが、オレは聞かなかったことにした。面倒そうな気配がする。

 リースは仕切り直すように咳払いをすると、やや緊張した面持ちで言った。


「シグルイさん、ボクと一緒に冒険に行きましょう!」


「やなこった」


 即答。

 リースは氷の精霊術でもくらったかのように、コチンと固まる。ここ数日何度も勧誘されているが、断るたびにこの反応が返ってくる。どれだけ衝撃ショックを受けてるんだか。


 確かにオレは冒険者だった。だが、それは昔の話だ。

 引退した今はただの無職。戦いの場に戻るつもりはない。


 カミサマの奴隷なんて、二度とごめんだ。

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