第一章完

私の考えは甘かった。

人生のどん底にいるなんて言っている人は、どん底にいない人だ。


なぜなら人生にどん底なんてない。

あるのは底なしの黒い沼。

永遠に広がる悪夢に、光なんて届かない。


底なんて見えない地獄の大穴。

その大穴の縁にしがみつくのが生きるということだ。


一歩間違えたら底なしの悪夢に落ちてもう戻れない。

時には誰かを蹴落とし、時には誰かに蹴落とされる。

それが人間の人生だ。


そして、誰かに蹴落とされることはあっても、誰かに助けてもらうことなんてない。


私の家を焼いているの? そんな! 嘘! やめてよ!」

「黙れ」

ケンは冷たく言い放った。

氷のように冷たい言葉(パワーワード)は私の喉笛を切り裂いたような気がした。


それから私は泣きじゃくりながら必死で頼んだ。

だけど誰も私の家を燃やすのをやめてくれなかった。

何かが焼けたような焦げ臭い匂いが鼻を刺す。


轟々と燃え盛る火炎の中で、時折何かが弾けるような音が聞こえてくる。

絶望の炎は私の力の無さを、まじまじと私に突きつけた。


しばらくすると、私の家は完全に消滅した。

もう原型が残らないほど焼き尽くされた。

ただのゴミと燃えかすだけになった。


廃墟となった私の家は、まるで私の心を表しているようだった。


私の唯一の帰る場所は、惨たらしく破壊された。


一人で泣く私の元にケンが歩み寄ってきた。

私の力ない肩を掴むと、私のことを立たせた。

呆然とする私にケンは、

と、言って手を引く。彼は私を街の方に連れて行こうとしているみたいだ。


「どこに連れていくの? 街になんか行きたくない! また悪口を言われるだけよ!」



そして、嫌がる私は、彼に連れられて町中を引きずり回される。

私は引き摺り回されながら人生の最悪な一ページが更新されていくのを肌で感じる。

悪口を言われ、罵られ、悪意の雨を頭から浴びせられる。


ヘドが出るほどの最悪な出来事は、私の心を八つ裂きにする。

最低最悪な気分がよりその色を濃くする。

黒いヘドロのような何かが心の中にどくどくと沈殿していく。

もうこれ以下なんてないくらい最悪な気分になる。




だが、実際は、私が街に行くと誰も悪口を(前ほど露骨には)言わなくなっていた。

「こんにちは。アリシアちゃん」

雪だるまのように太ったおばちゃんが私に挨拶をした。


私はこの人のことを知らない。

「こ、こんにちは」

私は戸惑いつつも、生まれて初めての挨拶を返した。これでよかったのだろうか?



それからケンと一緒に街の中を回った。

すると街に住む人たちが私に挨拶をしてきた。


恰幅のいいおじさん。

杖をつくおばあさん。

綺麗なお姉さん。

かっこいいお兄さん。

お金を持ってそうなゴテゴテしたおばさん。


いろんな人が私に声をかけた。


嫌な思い出しかなかった街は、いつもと違う様相を見せた。


「パワーワードの分類は大きく分けて三つだ。一つは通常ありえない主語と述語の組み合わせ」

と、ケンが唐突に言った。


「何が起きているの?」


「二つ目は矛盾する一文だ。さ、ぞ」

私たちは瓦礫の山が散乱している空き地に着いた。


「着いた? 着いたってどこに?」

「アリシアのだ」


そういうとケンは瓦礫の山の中に入っていった。

瓦礫の塊をいくつか抜けて奥に進んだ。


まるで手作りの迷宮みたいだ。


そして、私たちはおよそ家とは言えないような物体の前にたどり着いた。

「ケン、あなたの?」


と、笑顔を見せ、椅子をうまい具合に噛み合わせながら作ったオンボロの家のオンボロのドアを開けた。


ドアももちろん椅子を加工して作ったものだろう。


軋む建物は風が吹くたびに大きく揺れる。

今にも壊れそうな椅子でできたぼろ家はどこか温かいように感じた。

「ほら、とっとと入れ!」

ケンが戸惑う私の背中を強く押す。そして、


「「「「「!」」」」」


椅子の中には会ったことのない人たちがいた。

どの人も私とケンと同じくらいの歳だ。

「た、ただいま。あなたたち誰?」


「僕たちはアリシアちゃんと同じような孤児だよ! これからよろしくね!」

「アリシアちゃん、聞いていたよりも可愛いね! よろしく!」

「わっ! 本当に綿棒を着ているんだね! すごいや!」

私はまだ自分の身に何が起きているのかわからないでいた。



「アリシア。街の人に聞いた。

お前がはもう帰ってこない。

あんな家に帰っても、誰も帰ってこないんだ。

お前の両親は、お前のことを両親はもうとっくに死んでいる」


私は何も答えられなかった。冷たい沈黙がゆっくりと私の皮膚を通り抜ける。


「そんなことお前が一番よくわかっているはずだろ」


「うん」


私の弱々しい返事と共に、心の中に感情の濁流が渦を巻く。

その濁流は飛沫を上げて心を濡らす。


そして、涙となって心の底から解き放たれた。


「お前がどれだけ一人で泣いていても、どれだけ我慢しても、どれだけ待っていても、辛い過去が変わることは決してない。

あそこで一人ぼっちで生きていても友達も家族も絶対にできない」


そんなことはわかっていた。わかっていてそうしたんだ。


「何もしないで我慢することは、一番楽な選択肢だ。

現状を受け入れて、ただ辛い日々に耐えるのは、頑張って何かを変えることよりずっと楽だ」


そうだ。そんなことわかっている。

思考を停止して立ち止まるか、茨の道を歩き続けるか、どっちの方が楽かは私でもわかる。



「もう人の邪魔にならないように生きるのをやめろ。

お前の人生は誰かのオマケじゃない。

お前は血の通った、生きる価値のある存在だ。

お前のことを否定する奴は俺が絶対に許さない、それがたとえお前自身でも、を侮辱するな!」



私は短い人生で何度も泣いた。

家に帰って大声を上げて泣いた。

悔しくて、悲しくて、自分がどうしようもなく惨めだった。


いつも辛かった。

心が引きちぎれそうなほど苦しかった。


だけど、今私が流している大粒の涙は、いつもの苦しみの涙ではなかった。

「ありがとう」

私は小さく、弱く、声を出した。


?」


パワーワードの分類の最後の一つは、その人の人生にとって意味のある一文。そして、それは


『パワーワードを感知しました。アリシアの能力が大幅に向上します』


涙腺がちぎれるくらい泣いた。

視神経が歪んで機能しなくなるくらい泣いた。

網膜が濡れてしわくちゃになるくらい泣いた。


目が痛くなるほど泣いた。

間違いなく一生で一番泣いた。


私の小さな体の中から破裂した感情が立ち上る。


心の中に沈殿していた黒いヘドロはいつの間にかどこかへいった。


その代わりに、私の心の中には、心地の良い風が吹いた。

もどかしいほどの幸福感が私の心を抱きしめた。



[パワーワードのルールのおさらい(読み飛ばしても構いません)]


パワーワードとは?


一、通常ありえない主語と述語の組み合わせ。例えば、“ちくわを飲む”

二、矛盾する一文。例えば、“あり得ないなんてあり得ない”

三、その人の人生にとって意味のある一文。例えば、“お前のことを愛している”


パワーワードで強くなるには?


一、二人以上の人間がいる場で行うこと。

二、パワーワードつまりインパクトのあるセリフを口にすること。

三、口にしたパワーワードにまつわる能力と身体能力が向上する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る