epilogue

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 ある日曜日、駅舎を出たわたしは、近々行われる選挙に向けて駅前広場で演説をしている候補者のオッサンのうるさい声に耳を塞ぎながら、駅西口前にある公園に足を踏み入れた。時計を見ると約束の時間までまだ十五分ほど余裕がある。田丸と中沢はいつも五分前くらいに現れるので、それまでここで待っていることにしよう。ガムやら鳩の糞が付いていないことを確認してからベンチに腰を下ろすと、大きく伸びをして、春のうららかな陽気を全身に受け止めた。

 こうして三人で街に繰り出すのはもう何度目だろう。本日の目的は受験勉強のための参考書を買うことだ。まあ、そのあたりは適当に済ませて、その後どこで遊ぼうかということにより多くの関心が向いていたけども。

 それにしても、この公園に来る度に思うことがある。あの殺し屋は一体何者なのだったのだろう、と。

 あの日、袋小路であるはずの場所から忽然と姿を消して以降、殺し屋には会っていない。この街に来たらまた遭遇するのではないかと危惧していたのだけど、今のところそんな事態は起こっていない。

 今となっては、殺し屋が存在したのかさえ疑わしく思えた。田丸と中沢に聞いてみたものの、二人とも黒ずくめの男なんて見ていないと言うし……。もしかするとあれは、わたしの「死んでもいい」という願望が生み出した幻だったのだろうか。

 だとしても、あのとき感じた死への恐怖は本物だった。それだけはまぎれもない事実だった。

 あの後も、こうしてわたしは生き続けている。それが殺されないことを選択したわたしの義務であるように思えたから。

 でも、時々その決断は間違いだったのではなかったかと後悔することもある。だって、生きていくというのは決して楽しいことばかりではないから。

 例えば、きのうのわたし――

 朝、寝坊した(起こしてって言ったじゃない)。弁当の中身を巡って母親と口論した(きのうの晩の残り物ばかり入れないでよね)。電車で痴漢に遭った(このエロオヤジ、わたしばかり狙いやがって)。学校に遅刻した(今月これで五回目かよ)。数学の時間、わからない問題を当てられた(あの数学教師はわたしを目の敵にしているのではなかろうか)。体育は持久走だった(別にオリンピックを目指すわけでもないんだから、こんなに走らせるなよ)。男子が授業中に手紙を回して『クラス一の美女は誰だコンテスト』をやっていた(うざい連中め)。掃除当番の半数がさぼった(こいつらの机だけ汚いままにしておこうか)。帰り道、本屋に寄ったら毎月買っている雑誌が売り切れていた(もっと多く仕入れておきなさいよね)。晩ごはんに嫌いなおかずが出た(お母さん!)。風呂に変な毛が浮いていた(お父さん!)。隣の家のテレビの音量がでかかった(眠れんわ!)。

 まあ、こんな感じ。些細なことばかりだけど、本当に嫌になる。こんなだったら、いっそのこと死んじゃったほうがよかったのかなぁ……なんて思ってしまう。

 でも、同時にこんな一日でもあった――

 朝、テレビの占い運勢がよかった(金運、ラブ運、仕事運パーフェクトか)。痴漢が現行犯で捕まった(捕まえた私服の婦警さん、格好よかったなぁ)。板書した数式が間違えていて数学教師が恥をかいた(指摘してくれた中沢、ありがとう!)。持久走で三位になった(ま、わたしが本気を出したらこんなもんよ)。弁当がおいしかった(この大根の煮物、きのうより味が染みこんでいるな)。〈クラス一の美女は誰だコンテスト〉で二位になった(まあ、わたしの魅力からすらば、当然の結果だよね)。本屋にずっと探していた文庫本があった(もう絶版になっていると思っていたのに、ラッキー)。お母さんにわたしの作ったみそ汁を誉められた(そのうち三つ星レストランから誘いが来るかもね)。お父さんが出張先で買ってきた〈湯の花〉の入ったお風呂が気持ちよかった(あぁ、身体が芯まで温まるよ)。何をやっているのかと思って付けたテレビの深夜番組が思いのほか面白かった(この若手お笑いコンビは要チェックだな)。

 まあ、こんな感じ。やはり些細なことばかりだけど、それでも今日一日生きていてよかったなと実感することができた。

 結局のところ、人生ってそういうものなのかもしれない。嫌なこともいいことも、双方対になって存在しているのだろう。その割合は決して半々ではない。六:四、もしかすると七:三くらいで嫌なことのほうが多いかもしれない。その現実に直面した時、人は人生に絶望し、死を選びたくなるのだろう。

 だけど、ほんのわずかであろうともいいことだってあるんだと知っていたなら、きっとめげずに生きていけると思う。それは暗闇に差し込む一筋の光のように、先へと進む道しるべとなってくれるはずだから。

 でも、その光を見失ってしまったらどうするかって?

 そんなとき、わたしには殺し屋がいる。わたしが人生に退屈し、また死にたいと思ったなら、必ずやあの優しい殺し屋が殺しに来てくれることだろう。

 その瞬間、わたしが死を望むかどうかはわからない。だけど、殺し屋の存在がわたしが今たしかに生きているのだという実感を教えてくれるはずだ。そのことを忘れさえしなければ、きっと大丈夫!

 ……たぶんね。

「麻美ちゃーん!」

 不意に名前が呼ばれ、わたしは我に返った。

 声がした方を向くと、公園の入り口で元気に手を振っている田丸と、その隣で遠慮がちに小さく手を振っている中沢の姿が見えた。

 まったく田丸のやつ、そうやって大声でわたしを呼ばないでって言っているのに。……まあ、わたしを恥ずかしいモノローグ地獄から引き戻してくれたことについては感謝するけどさ。

 こちらも手を振って応えると、わたしは二人のもとに向かって走っていった。その足は思いのほか軽かった。


 さてと、今日も一日生きてみますか。

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わたしの殺し屋 大里トモキ @osatotomo

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