第224話

「やっぱり……泊りはダメ、だよね?」

「ダメ」


 カーテンの外はすっかり暗くなっていた。もう少しで夕食の時間だ。無論、食事をしていくくらいなら問題ないし、咲としても楽しいのだが、そうすると今までの柊のパターンでは、ズルズルと長っ尻を続けて帰ろうとしなくなる。

 ここ最近の自分たちの関係性なら、忠道に泊りを咎められることはないだろう。しかし咲は、柊ほど『バレなければいい』と開き直ることは出来なかった。


「分かってるけど、そんなに強く即答しなくてもいいじゃん」

「ダメ。これはルールにしよう?」


 ね? と、上目遣いにお願いされれば柊に断れるはずはない。不承不承、二ミリくらい微かに首を動かして頷いた。

 しかし、ただ黙って受け入れるのも癪だった。


「いつまで?」

「いつ?」

「このルール、いつまで続くの?」


 頷いたそばから、柊の手は咲の腰に回って自分に引き寄せている。これだから自分がしっかりしなければいけないと、名残惜しさを感じつつも柊の手を押しのける。


「高校卒業まで」


 口をへの字にしてあからさまにがっかりした様子の柊は、怒っているというより、おもちゃを取り上げられた子どものようで、頭を撫でてやりたくなる衝動を咲は必死で堪えていた。


◇◆◇


「おう、お帰り。早かったな」


 柊が帰宅してリビングに顔を出すと忠道に声を掛けられた。


「別に……、もう飯の時間だし」

「いや、咲さんのお宅に行ったなら、もっとゆっくりしてくるのかと思っただけだよ」


 今まではその通りだった。青少年健全育成条例に引っかかる時間の寸前で家に着くように咲に帰されるか、または我儘を通して泊ってくるか、だった。


「毎回遅くまでお邪魔したらご迷惑だしな。お前もその辺は分かってるんだなと思って、な」


 柊は形だけ頷くが、咲にかかる本当の迷惑は、夜遅くまで居座ることでも食事の世話になることではない。そして一年前と違って、今の二人には、お互いの節度以外にストッパーはなかった。特に、柊の側には。

 いや、柊は節度を持って自分を制していたわけではない。ただひたすら、勢い任せに手を出して咲に嫌われるのが怖かっただけだった。


 昼間の咲の質問を思い出す。


『お父さんに言える? 楓ちゃんは?』


 あの時は問題ないと思っていた。自信をもって言える、と。

 しかし冷静になると、否定される可能性もゼロではないことに気が付いた。

 もう会うな、と言われることはないかもしれないが、良識がないと思われても仕方がない。何より、大人である咲が批判されることは耐えられなかった。


(卒業まで、あと半年、か……)


 卒業したら、高校生ではなくなる。十八歳は今では成人だ。法律上では結婚も出来る。しかし自分はまだ学生のままで、父の脛を齧り続けることに変わりはない。


『君の考える大人って、何?』


 再び小出沙紀の言葉が甦る。まだ明確な答えは見出せていない。

 しかし、そこには絶対に咲が存在する。

 咲無しで、自分の思い描く『大人』はあり得なかった。


◇◆◇


「んむ?」

「だから、桐島っちがさー、って、あんた食べ始めるの早!」

「もむもむ……、だってお腹空いてたんだもん。……で、柊が何?」

「彼女とか、いないの?」

「あむ……、またその話ー?」


 楓は、いい加減にしてほしいとあからさまに表情に浮かべながら、興味ない返事をした。


「ウチが知る限り、いない」

「ほんとにほんとにほんとーーに?」

「しつこいなー、何、あんた柊のこと好きなの?」

「えっ?! いや、違う、うん、でも格好いいし、あんたと付き合ってるのかと思ってたし……」

「じゃ、告れば?」

「え? い、いいの?」

「ウチに関係ないし。あ、仲を取り持って、っていうのはやんないよ。あんたとも柊とも気まずくなりたくないから」

「……てことは、ほんとにいないのかー」

「もむもむ……、なんでそんなに気になるの?」


 ごっくん、と口の中の唐揚げを飲み込みながら尋ねると、急に友人の目が泳ぎ出した。


「あんた、なんか隠し事してる? ウチに」

「楓って、ごくたまに賢くなるよね、ほんと、たまに」


 むう、と、楓が口を尖らせた。

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