第106話

「すごい! こんなに高いんだ!」


 展望台のガラス窓から外の景色を覗き込み、咲は珍しく大きな声で歓声を上げた。

 宗司にあれこれ相談した挙句、二人共行ったことが無い都内の観光へ咲を連れ出した。まずは日本で一番高い電波塔の展望デッキへ。良く晴れた夏の空はお誂え向きだった。


「咲さん、そんなに窓に貼り付いたら落ちるよ」

「え? うそ? ……ってそんなわけないでしょう、もう」


 柊の脅し文句に一瞬慄いて身を引くが、近代的な観光施設でそれはないだろうと気付いたらしい。柊も声を立てて笑い、咲の隣に立つ。


「高すぎて下が良く見えないね。うちの高校くらいは見えるかと思ったんだけどな」

「方角的にはあっちだよね。大きな建物なら見えるんだろうけど。あ、東京タワーだ」


 咲が指さしたほうに赤い色の先代電波塔が見える。

「大人の人って東京タワー好きだよね」

「そう? うーん、好きっていうか、そうね、ずっとシンボルみたいなものだったし。ライトアップすると綺麗だしね」

 ノスタルジーの感じ方の違いすら淋しさを覚えるが、今こうして一緒にいられるならそれでいいと思い直す。


「もう一段階高い展望台もあるんだよ。そっちも行く?」

「私はここで十分だわ……、柊くん行きたい?」

「俺もいいわ、ここで。じゃあ次は水族館にする? それとも少し移動して浅草に行く?」

「そんなに慌てなくても……。今日しか来られないわけじゃないのに」


 お互いに都内在住なのだから、来ようと思えば来れるし、柊は自分じゃなくても一緒に来る相手には事欠かないだろう。むしろ初めて行く場所をすべて自分とめぐってしまうのは申し訳ないような気もした咲は、駆け出しそうな勢いの柊の手を掴んで引き留める。


「暑いし、少しお茶しようか。お昼には早いから、食事は後でもいいけど……柊くん?」


 不意に握られた手に柊の全神経が集中する。まるで手が心臓になったように、血流まで集中している気がした。それでも咲の温もりを逃したくなくて、細い指や、夏なのにさほど熱くない体温をゆっくりと味わうようにそっとなぞる。


「聞いてる?」

「うわっ!」

 下から覗き込まれ、その顔が普段より近く感じて驚き、叫び声をあげてしまった。びっくりしたのは咲のほうで、思わず手を離してしまう。

「ごめん、なんかぼーっとしてたから……、やっぱりどこかお店行って休もうか」

「え? 店?」

「全然聞いてなかったんだ」


 きょとんとしている柊に苦笑いしながら、きゅっと鼻をつまむ。イテッと小さく悲鳴を上げる柊が面白くて、もう一度摘んだら睨まれた。


「下降りてお茶しない? って言ったんだけど」

「あ、ああ、うん、そうだね、うん、そうしよう……」

「大丈夫? 顔赤いよ? 具合悪いかな」

「そんなわけないじゃん、ほら、降りるんだろ」


 顔が赤らんでいることを指摘され、それ以上突っ込まれないために先に立って歩き始める。その時どさくさに紛れて今度は自分から手を繋いだ。先日同様、咲は振り払ったりしないでそのままにしてくれていることが、何よりも嬉しかった。


◇◆◇


「柊の奴、ウチに黙って出掛けやがって……」


 土曜の朝。

 きっとまた咲が遊びに来るだろうと決めつけて桐島家を訪うと、先日は不在だった福田が柊の外出を教えてくれた。


「えー?? もう? 九時前なんて普段寝てるじゃん」

「今朝は学校に行く時くらい早かったですよ。どちらへ行かれたのかはおっしゃりませんでしたが」

「ちくしょー、逃げられた」


 チッ、と小さく舌打ちをしつつ、楓は思案を巡らす。福田が行先を知らないということは、今日は柊の父は一緒ではないのだろう。それでは柊一人で咲と会っているのだ。場所が咲のマンションなのか、違うところなのかはわからない。


 ただ、先日の自分の忠告は全く聞き入れてもらえなかったことへの落胆と、何事も起こらなければいいのに、という不安の二つが、楓の胸の内を渦巻いていた。

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