第8話
あれから。咲という名の女に会って、そのまま別れてから、柊はその時のことばかり考えていた。
普段バイトで会う女たちとは見た目も言動もあまりに違い過ぎる女。正直、地味すぎて風景に溶け込んでしまいそうだ。ただ、それは何も知らなければ、だ。
思いがけないきっかけから二人でホテルに入り、互いに小さな打ち明け話をした。咲にとってはどうだか分からないが、柊が自分から母親のことを他人に話したのはあれが初めてだった。何故話したのか、理由も覚えていないのだが。
そして咲も。まだ若そうなのに子供がいたとは驚いたが、しかも既に故人だという。ずっと涙を流しながら自分に笑いかけ続けた不思議な表情が、脳裏から消えない。
また、会いたい。
しかし、当然ながら連絡先は知らない。客とサービス外で会うことは宗司から禁止されている。
会いたいが、基本こちらから客を指名することは出来ない。咲が次も柊を指名してくれれば会えるが、それは分からない。嫌われたとは思わないが、互いに触れられたくない打ち明け話をし合ったが故の気まずさはある。
咲が自分とは違う男を指名するかもしれないと想像すると、いても立っても居られないほど気持ちがざわついた。
「めずらしー、柊がおこだ」
唐突に視界を塞ぐほど間近に顔を寄せてきた楓に、柊は驚いた。そのタイミングで、そうか、もう放課後かと、柊は辺りを見渡す。既にクラスメイトは半分ほどいなくなっていた。
「なんかあった? ていうか昨日めっちゃ帰り遅かったじゃん、どこ行ってたのー?」
口をへの字にして問い質してくる楓を、柊はいつものようにスルーして帰り支度を始めた。
「また無視するー。ね、今日は? 昨日ドタキャンされたんだからいいよね?」
後ろから飛びついて来ようとする楓を躱す。
「用あるから」
顔も見ずにそれだけ言って、教室を後にした。
◇◆◇
校門を出て駅へ向かいながら、どうしたらまた咲と会えるかを考える。まさか宗司に聞くわけにはいかない。とすると、昨日待ち合わせたカフェくらいしか手がかりが無い。
(あそこにまた来ることあるかな……。確率低いけど、他に方法がないしな)
そのまま柊は、昨日のカフェへ向かった。
「喪服の女性、ですか……」
「あ、いや、喪服かどうかは分からないんだけど、黒いワンピース着て、肩くらいの髪で、昨日一人で来てたんだけど……」
柊は件のカフェの店員に、『昨日ここで会った女性の忘れ物を拾ったから連絡先を教えて欲しい』と、思い付きの嘘をついて情報を聞き出そうとしたが、店員は、うーん、と首を捻っているだけだった。
(常連じゃ、ないのか……)
柊も、咲の特徴と言えば上から下まで真っ黒な服装と真珠のネックレスくらいしか思いつかない。顔も覚えているが、言葉で表現出来るほど目立つ特徴がある顔立ちではなく、柊も似顔絵が描けるような特技はない。
「まあ、よろしければこちらでお預かりしますよ。探しに来られたら渡しておきますから」
店員としては当然の申し出を、柊は断った。忘れ物なんて預かってないし、もしあったとしても渡してしまえばそれでこの口実は使えなくなる。
「いえ、大丈夫です。すいませんでした」
柊はカフェを出て周囲を見渡す。昨日の待ち合わせ時間とほぼ同じ時間帯だが、咲らしき人影は見当たらない。
(でも、ここしか手がかりは無いんだ)
柊は家の方向へ踵を返す。
また明日も来よう。何度も通っていれば、いつか会えるかもしれない。
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