綺麗事としてじゃなく

ところで、『生きてる』という話になると、当然、食うものを食えば出るものも出るわけで、それについては、丸太をナイフで削って作った<おまる>に用を足して、庭に穴を掘ってそこに捨ててっていう形をとってる。


実は、俺達の村じゃ<個室のトイレ>ってのがなくて、割と皆、適当に部屋の中とかで済ましてたんだ。で、各自、庭とかに掘った穴に捨てて軽く土をかぶせる感じで始末してた。そして、用を足してるところはじろじろ見ないのが<マナー>だった。


もうそれが当たり前だと、別に誰も気にしないんだ。俺も、最初は戸惑ったが、前世の記憶が戻った時にはまだ五歳の子供だったしな。開き直ったら平気になったよ。


とは言え、リーネにそれをさせるのはなんだかはばかられて、部屋の隅を補修用の板で囲って、簡易のトイレにした。その中でおまるに用を足して、裏庭に穴を掘って捨てるんだ。


リーネもそれで気にせず用を足してくれてる。これも生きてるからこそだよな。


清潔なトイレで水を流せばそれで終わり、シャワートイレすら当たり前になった時代の記憶がある人間にはちょっと辛いが、むしろそんなのになったのはごく最近だったんだよな。


すーっとこの感じでやってたんだ。人間も。




なんて話は食事の前にすることじゃないだろうが、いやはや、<慣れ>って怖いな。


リーネが夕食を作ってくれてる間、俺は三個目の鍋を作ってた。で、それがある程度の形になった頃、


「できました♡」


彼女の弾んだ声。


「おう♡」


俺もつられて声がうわずる。それに気付いて照れくさくなるが、リーネはそんなことを気にしない。


まずは、血のプディングだった。使える鍋が一つしかないから一度に二つの料理が作れないんだ。で、まずはそれをいただく。


「くっそ~! 美味いじゃねえか!」


俺は、ガツガツと一気に半分食べてしまった。それからリーネに鍋を返すと、彼女も血のプディングを食べる。ウサギの命を取り込んで、彼女が生きる。大事なことだ。


他の命をいただいて生きているんだから、自分の命を無駄にするのは、これまでいただきてきた命への冒涜にもなるよな。綺麗事としてじゃなく、皮膚感覚でそれが分かるんだ。


そうして血のプディングを食べきると、今度はいよいよ、ウサギ肉と野草のスープに取り掛かる。


俺も、結局は今回は間に合わなかったが三個目の鍋の仕上げに取り掛かる。それぞれにそれぞれの役目を果たす。こうやって俺達は生きてる。生きてるんだ。


そして俺が三個目の鍋を完成させた時、リーネも、ウサギ肉と野草のスープを完成させてくれたのだった。


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