想像しただけで

獣の接近に、俺はナイフを握りしめながら腹を括った。いざとなればリーネを囮にしてでも逃げる覚悟だ。


こういう時は、命を懸けても少女を救うのが格好いいんだろうが、そんなもん、フィクションの中だけの話だ。ほとんど丸腰に等しい人間なんざ、クマやイノシシの前じゃ、案山子かかしと大差ない。いくら実戦向きのでかいナイフを持ってたって、クマに薙ぎ払われたら、イノシシに猛然と突進されたら、一巻の終わりだ。


後は、仕掛けた罠にかかってくれるかどうかだが、イノシシまでは何とかなるとしても、クマでも、子熊なら何とかなるとしても、成獣相手じゃ話にならない。そこまでの罠じゃない。


そうなった時には、結局、リーネが食われている間に逃げるってのが一番確実なんだよ。胸糞悪かろうが<卑怯者>と言われようが<腰抜け>と罵られようが、自分の娘でもないのを命がけで助ける理由があるか。ましてや自分が犠牲になるとか、バカのすることだ。


することなんだが……


『たぶん、夢見は悪いだろうな……』


とも思う。今のこの時点でも、リーネがクマに食われるのを想像しただけで、腹ん中にギリギリと硬いものが生まれるのを感じてしまう。


『死なせたくは、ないよな……』


というのも正直な気持ちではある。その気持ちも感じながら、ナイフを握りしめ、すぐさま跳び上がって逃げられるように準備した。リーネはまったく気付く様子もない。


そうして、獣がさらに近付いてきた気配があったその時、


バシン! ガサササッッ!!


という、何かが弾ける音。


罠だ。罠が作動したんだ。そして、


「ビキィィィーッッ!!」


甲高い、金属音のような悲鳴。イノシシの声だ。近付いていたのはイノシシだったか。


「ビキッ! ギピィッッ!!」


悲鳴を上げながら激しく暴れる気配。罠に足を取られて宙吊りのままもがいてるんだろう。


その声に、さすがにリーネもビクンっと体を竦ませて頭を起こした。そんな彼女に、


「声を上げるな。大丈夫だ。イノシシが罠に掛かっただけだ」


俺は頭を撫でながら告げた。それと同時に、自分でも無意識のうちに、彼女を抱き締めていた。


「怖かったら耳を塞いでお祈りでも捧げてろ。当分、収まらないぞ」


囁くように声を掛けると、彼女は両手で耳を塞いで本当にお祈りを口にし始めた。


俺が言ったように、イノシシが何とか罠から逃れようとひたすら暴れている気配が伝わってくる。星明りがあるだけのほとんど真の闇だから、人間の目じゃロクに見えないが、まあうっすらと何かが無茶苦茶に暴れてるシルエットは感じ取れなくもないな。


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