第11話 ペダルを回せ!

 今日はお休みなので、ファミリーレストラン《りんごの木》は、シン……と静かだ。


 アリス君は、お店の二階から《かがみ屋》のお家に帰ったし、お客さんもいない。いるのは、ましろとりんごおじさん、そして琥太郎君だけだ。


「本日のおすすめデザート【桃太郎のピーチタルト】です。どうぞ」


 ましろは、琥太郎君の前にそっとお皿を置いた。


 桃奈の家の果物屋さんから仕入れた桃で作ったピーチタルトだ。

 アリス君によると、「ヨーグルトクリームの酸味と桃の甘さが絶妙にマッチ」していて、「小さいタルト台をひとつひとつ焼いているから、見た目もきれい」だそうだ。たしかに、切り分けていないから、タルトカップの中の桃は、花びらのようにきれいなままだ。


「白雪も白雪のおじさんも、すみません。おれと父ちゃんのケンカに巻き込んじゃって」


 落ち着いた琥太郎君は、とても申し訳なさそうにしながら、ピーチタルトを食べている。「うまっ!」と何度も言っているので、気に入ってくれたようだ。


「きっと、おいしいご飯を食べながらなら、お父さんとも仲直りできますよ。早くお父さん、来られるといいですね」


 りんごおじさんは、他のテーブルにたくさんのお皿とグラスを並べて、キュッキュッと布で磨いている。その音はとてもリズミカルで、聴いているましろは楽しくなってくる。


「授業参観は、お仕事を抜けて来てくれてたんだよね。間に合ってなかったけど……。夜ご飯はきっと来てくれるよ!」

「父ちゃん、来るかどうかあやしいって。仕事が忙しくて、帰って来るのも遅いし、学校の行事も全然来ない。いーっつも、行く行くってウソつく」


 琥太郎君は、ピーチタルトを名残惜しそうに食べ切ると、甘いミルクティーをごくごくと飲み干した。


 あの後、琥太郎君のお父さんとは、残りの仕事を片付けて、夜ご飯の時間には《りんごの木》に来るという約束をして別れた。


「コタ! 六時には行くから、待っててくれ。絶対に行くからな! すごいご馳走食べような!」


 琥太郎君のお父さんは力強くそう言うと、大急ぎで会社に戻って行ったのだ。

 そして、琥太郎君は《りんごの木》でお父さんが来るのを待っている。


「参観日は絶対に行くって、言ってたくせに……。おれのことなんて、どうでもいいんだ」

「そんなことないよ! お父さん、琥太郎君のこと大事だよ!」

「うぅん。きっと父ちゃんは、おれなんていなかったら自由なのに、って思ってる。母ちゃんみたいに、子どもから解放されたいって思ってるんだ」


 ましろの胸が、ズキンと痛んだ。


 ましろがとても小さいころに、ましろのお父さんは家を出て行った。


『もう疲れたんだ。自由にさせてくれ』


 そう言って、ましろとお母さんを置いて行った。もう顔は覚えていないけれど、あの時のお父さんの言葉と、ガラス玉みたいな瞳をましろは忘れることができない。


 だから一瞬、琥太郎君に何と言ったらいいか、分からなくなってしまった。


「君のお父さんは、君のことが大好きですよ」


 静かな空間で口を開いたのは、りんごおじさんだ。


 磨き終わったグラスを棚にしまうと、エプロンのポケットから、走り書きのような字が書いてあるメモを取り出した。


「なにそれ?」

「お父さんが僕にくれたんですよ。君の好きな食べ物、苦手な食べ物、アレルギー……。楽しい夜ご飯になるように、お父さんなりに考えてくれたんですね。大事な家族のためじゃないと、できないことですよ」


 りんごおじさんにメモを渡され、琥太郎君は食い入るようにそれを見ていた。そして、おかしそうに笑った。


「ぷっ。おれの好物に野菜炒めが入ってる。父ちゃんがそれしか作れなくてさ。しょっちゅう食べんだけど、おれ、そんなに美味そうにしてたのかな」

「きっとそうですよ」


 りんごおじさんは、「愛がこもっている料理だから」、なんてキザなことは言わなかったけれど、うれしそうにうなずいていた。


「さて、僕は今からディナーを作りますね。琥太郎君とましろさんは、宿題をして待っていてくださいね」


 りんごおじさんは、サラッと宿題をするようにすすめてきた。


 うっ。逃げられない!


 ましろは、琥太郎君とおしゃべりでもしようかと思っていたけれど、大人しく宿題をするしかないようだ。琥太郎君も、しぶしぶ算数ドリルをランドセルから引っ張り出している。




 そして、ましろが算数と国語の宿題を終え、うとうとと居眠りから目覚めると、夜の六時を少し過ぎていた。


「あれ! 約束の時間、過ぎてる!」

「ほら、やっぱ父ちゃんはうそつきじゃんか」


 ましろの隣では、琥太郎君がしょんぼりした様子でうつむいていた。


「仕事は先ほど終わったと、お父さんから電話がありましたよ。ただ、駅の方で事故があって、バスがなかなか来ないので、走って来られるそうです」


 りんごおじさんは、お店の奥で電話を取っていたらしい。琥太郎君の近くにやって来て、「きっともう少しですよ」と声をかけた。


「駅から走るとか、父ちゃんバカかよ」

「いても立ってもいられなかったんでしょう」


 りんごおじさんはそう言うけれど、たしかに駅から《りんごの木》まで走って来るのは大変だ。たしかアリス君が「オレが自転車を爆走させたら二十分だ!」と言っていたので、人の足だともっと時間がかかるし疲れるだろう。


 それに《りんごの木》は、おとぎ商店街の中でも少し引っこんだ所にあるため、初めて来る人は、とても迷いやすいことも心配だ。


「わたし、琥太郎君のお父さんを迎えに行って来るよ!」


 ましろは、パッとひらめいた案を口にした。


「駅までの道は真っ直ぐだから分かるし、きっと途中で会えると思うんだ。わたしが案内した方が、早く来てもらえるよね!」

「たしかに、入れ違いになる道でもないですし、それはそうですが……」

「りんごおじさんは、お料理の用意して、琥太郎君と待ってて!」


 りんごおじさんは少し迷っていたが、ましろに押し切られて「気をつけて行ってください」と、オッケーを出してくれた。


「では、僕は料理の仕上げをします。琥太郎君にお手伝いをしてもらいましょうか」

「え? あ、はい!」


 戸惑う琥太郎君をキッチンに連れながら、りんごおじさんはましろに手を振ってくれた。


「ましろさん、よろしくお願いします」





 ***

 ましろは、張り切って《りんごの木》を飛び出した。


 少しでも早く、琥太郎君と琥太郎君のお父さんを会わせてあげたかった。二人を笑顔にしてあげたかった。


 走れ走れ! がんばれ、わたし!


 お店の赤いエプロンを付けっぱなしだと気がついたけれど、脱いでいる時間ももったいない!


 お父さん、琥太郎君を安心させてあげて!


 とっても大切な家族なんだよって、言ってあげて!


 心の中のモヤモヤとズキズキを取っ払いたくて、ましろは全力で走った。


「はぁ、はぁ……っ!」

「あら、ましろちゃん? そんなに走ってどうしたの?」


 おとぎ商店街を抜けた辺りで、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「恩田さん!」


 パートの恩田さんが、自転車を押しながら歩いていたのだ。


「じ、実は……」


 ましろは、息を切らしながら事情を話した。

 すると恩田さんは、「協力するわ」と、素早く自転車を駅の方向に反転させた。


「ましろちゃん、後ろに乗って! 息子のヘルメットかぶってね」

「えぇっ⁈ いいの⁈」

「息子を塾に送って行ったとこだから、時間はあるわ。何より、お店の仲間ががんばってるんだから、手伝いたいじゃない」


 恩田さんは男前にグーサインをすると、ましろをひょいと抱き上げて自転車の後ろに乗せてくれた。


「ありがとう! 恩田さん!」

「あ、口は閉じといた方がいいわよ。舌かんじゃうかもしれないから」


 ん? どういう意味?


 ましろがヘルメットを付けることを確認した恩田さんは、質問のヒマも与えてくれずに自転車を急発進させた。


「私なら、駅まで十分かからないから! 同級生のお父さん見つけたら、肩叩いて教えてねーっ!」


 アリス君より断然速い!


 シャカシャカシャカーーーッ! 

 ビューーーーーンッ!


 恩田さんが、信じられない速度でペダルを回し、信じられない速度で景色が後ろに流れていく。


 速い! 速すぎる!

 これが主婦の自転車⁈


 ましろは必死に恩田さんにしがみつき、目では琥太郎君のお父さんの姿を探した。気を抜くと、見逃してしまいそうだ。


 その時、視界のすみっこに、スーツ姿のおじさんがチラリと映った。汗をかきながら走っている。


 琥太郎君のお父さんだ!


 ましろはあわてて恩田さんの肩を叩き、自転車を止めてもらった。


「琥太郎君のお父さん! 迎えに来たよ!」

「君は、《りんごの木》の……⁈」

「《りんごの木》の特別送迎サービスよ! って言っても、ここからはセルフでお願いしますね!」


 恩田さんは自転車から降りると、琥太郎君のお父さんに代わりに乗るように促した。


「乗って行ってください! 道案内は、後ろのウエイトレスがしますので。自転車は、お店に停めておいてくれたらいいです」

「え! そんな、申し訳ない……」

「琥太郎君が待ってるんだよ!」


 ためらうお父さんだったが、恩田さんとましろの二人から急かされ、自転車を発進させた。


「恩田さん、ありがとうーっ!」


 自転車の速度は、恩田さんの半分よりも遅かったけれど、それでも琥太郎君のお父さんは一生懸命にペダルをこいでいた。




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