第6話 有栖川白兎の夢

 ましろは、五時半にもう一度、《りんごの木》にやって来た。りんごおじさんと夜ご飯を食べるためだ。


「りんごおじさん、来たよ!」

「ましろさん、いらっしゃい。さぁ、晩ご飯にしましょう」


 りんごおじさんは、バックヤードに料理の皿や飲み物を手際よく並べていく。ディナータイムが始まる直前だから、本当はとても忙しいはずなのに、動作はとてもていねいだ。


 これが、大人の余裕ってやつ?

 でも……。


「今夜のご飯は【一寸法師の具だくさんみそ汁定食】ですよ~」

「ねぇ! その料理の名前、何なの⁈」


 ましろは、気になってたまらなかったこと──、料理に付いている少し変わった名前について、りんごおじさんに質問した。


「あぁ。今日は、肉団子やお野菜をたくさん入れたおみそ汁なので。一寸法師におわんが出て来るでしょう?」

「そうじゃなくて、全部だよ! メニューにあるやつも、全部!」


《りんごの木》のメニューは、【桃太郎の~】とか【シンデレラの~】というような、物語のタイトルが入っているものばかりなのだ。


「なんでそんなにファンシーなの?」


 ましろは「いただきます」と手を合わせ、おみそ汁をひと口すすった。


 おいしい。とってもおいしい。


「えっ? もしかして、変ですか?」


 りんごおじさんは信じられないくらいショックを受けた顔をしながら、おみそ汁をすする。うなずいているから、きっと納得のおいしさなのだろう。


「普通におみそ汁とかスパゲティとかでいいのに、ごちゃごちゃしてて覚えにくいよ」


 肉団子、すっごくおいしい!


「ちなみに、覚えているのは?」


 りんごおじさんは、白ご飯をもりもりと食べる。


「初めて食べさせてくれた【白雪りんごのチキンステーキ】と、えーっと……」


 ナスの漬物をぽりぽりと食べながら、ましろはアリス君に渡されたメニューを必死に思い出そうとした。しかし、なかなか頭に浮かばない。そして一か八かで言ってみた。


「【三匹のこぶたのポークステーキ】?」

「ましろさん。そのセンスはどうかと思いますよ。ブタたちが気の毒です」


 たしかに! オオカミのご飯になってる!


 りんごおじさんがため息をつくのも分かる。ましろだって、自分で言ってから食欲が減ってしまった。


「僕が料理を考える時は、子どもたちが喜んでくれたらいいな……、家族の楽しい話題の一つになったらいいな、というのを意識してるんですよ。そんな心を持って、暗記に臨んでみたらどうですか?」


 りんごおじさんは、にこやかにアドバイスをくれた。


「なるほどね。りんごおじさんになりきったつもりでやってみるよ」


 自信はないけれど、やるしかない! 

家に帰ったら、もう一回メニューの暗記だ!




 ***

「な……、なかなかやるな」


 火曜日の夕方、《りんごの木》のバックヤードには、アリス君の悔しそうなうなり声が響いた。


「ペーパーテスト、全問正解だ」

「やったー!」


 ましろは飛び上がって喜んだ。りんごおじさんのメニューノートを見て勉強したかいがある。


「どんな料理なのか、ちゃんと知った上で覚えてくれましたよ。まだ食べさせてあげることはできていないので、それは追々ですね」


 チラッと様子を見に来たりんごおじさんは、「頑張りましたね」と、うれしそうにましろをほめてくれた。


「店長が手伝うなんて、不正だ!」

「手伝ったらダメとは聞いてませんよ?」


 アリス君は不満そうだったが、りんごおじさんは楽しそうだ。そして、ましろはご機嫌だ。


「アリス君! 次は何する? 接客の練習?」

「うーん……。時間あるし、やるか。店長、店使わせてもらっていいっすか?」

「どうぞ。ディナータイムまで時間がありますから」


 アリス君は、仕方ないなというオーラを出しつつも、ましろに接客を教えてくれる気になったらしい。ましろをお店の中に連れて行き、気合いの入った声で「同じことは二回は言わないからな!」とましろに忠告した。


 そして、サラサラのチョコレート色の髪を手ぐしで整えて、

「まずは、お客さんが来た時。オレのん、見とけよ。……いらっしゃいませ!」

 と、きれいなお辞儀を見せてくれた。


 さっきまで猫背気味だったのに、背筋を伸ばして、顔付きも心なしか優しくなっている。まるで別人だ。


「いらっしゃいませー!」


 ましろも見様見真似でやってみたが、アリス君の目がとんでもなくつり上がったのを見てしまった。


 こ、怖い!


「も、もう一回……。いらっしゃいませぇ!」

「ませーって、伸ばすな!」

「いらっしゃいませ!」

「アイコンタクト! こっちに目線!」

「いらっしゃいませ!」

「首を曲げるな! 頭と背中は一直線! 角度は三十度!」

「いらっしゃいませ!」

「いつまで頭下げてんだ。二秒経ったら、顔上げろ!」


 ひぇぇぇーっ! 厳しい! 


 アリス君は、スパルタだった。「いらっしゃいませ」を何度も何度も繰り返した後は、「ありがとうございました」。その後は歩き方の練習で、お店のテーブルの周りををぐるぐると何周も回らされた。


「アリス君、疲れたよーっ!」

「これくらいで弱音はいてたら、店には立てない……って、その靴じゃしんどいか」


 ましろの靴は、ちょっと底が重たいオシャレなスニーカーだった。おじいちゃんとおばあちゃんが、引っ越しの直前に買ってくれた靴だ。


「日曜までに、店ではく軽くて滑りにくい靴、親に買ってもらえよ」


 親……。そっか、アリス君は知らないんだ。


 ましろは、一瞬言おうかどうか迷った。けれど、この楽しい時間を壊したくないと思い、笑顔を作って返事をした。


「そだね! アリス君のみたいな、かっこいい靴がほしいな。りんごおじさんにお願いしてみる」

「あぁ、そうしろ。立ち仕事だからな」


 ふわぁぁ~っと、アリス君はあくびをすると、壁の時計をチラリと確認していた。ディナータイムまでの準備時間を計算しているようだった。


「ましろ、すぐには帰らないよな?」

「うん。なんなら、夜ご飯までここで学校の宿題したいくらい」

「ふぅん。そっかそっか」


 アリス君、そわそわしている。どうしたんだろう。


 ましろがきょとんとしていると、アリス君は照れくさそうにキッチンに入って行く。そして、冷蔵庫からデザートのストックを入れている容器を取り出して来た。


「オレのおごりだ。食べようぜ」

「わーい! いいのーっ⁈」


 ましろは思わず大きな声で喜んだ。

《りんごの木》のデザートを食べるのは初めてだ。どんな味なのかわくわくする。


「りんごおじさんが作ってるやつだし、変な名前が付いてるんじゃない?」

「【アリスのお茶会カップケーキ】……。オレだよ! 店のデザート作ってんのは!」

「えっ! アリス君が⁈ 大丈夫なの⁈」

「お前、失礼だな! 先月から任せてもらって、けっこう評判いいんだぞ!」


 アリス君は、お菓子作りとは縁がなさそうなお兄さんに見えたため、ましろは思わず疑ってしまった。けれど、アリス君がムキになっているから本当なのだろう。


 とにかく食べさせてもらおうと、ましろはかしこまってカップケーキを拝んだ。


「おいしそう。お店のやつみたい」

「店のやつだっての」


 それは、ましろの手のひらに乗るくらいの大きさの三つのカップケーキだった。それぞれ、クリームとクッキーでデコレーションされている。


 一つ目は、プレーンのケーキにピンクのクリーム。上には、ピンクのうさ耳の形をしたクッキー。


 二つ目は、プレーンのケーキに白いクリーム。てっぺんにはリボンの形をした空色のクッキー。


 三つ目は、ココアのケーキにウグイス色のクリーム。ななめに濃い緑色のシルクハットのクッキー。


「カラフルですっごくかわいい! どうやって色が付いてるの?」

「クリームは、苺とマスカルポーネクリームチーズと抹茶。クッキーはアイシングって言って、まぁ、それ用の粉を使うんだけど……、って聞いてんのか⁈」


 ましろは質問しておきながら、かわいいカップケーキの観察に夢中になっていた。


 これって、インスタ映えってやつじゃない⁈


「アリス君すごいね! こんなの作れちゃうんだね! 写真撮る?」

「いいから、早く食べて感想聞かせろ」

「やったー! 任せてよ! いただきまーす!」


 そんなお願いなら大歓迎!


 食べるのがもったいないけれど、ましろは大喜びでカップケーキにかぶりついた。


「ん~!」


 クリームが思ったよりさっぱりとしていて、バターたっぷりのケーキと相性バツグン! 上のクッキーもサクサクでおいしい。


 ましろはぱくぱく食べ進め、あっという間にカップケーキはなくなってしまった。


「おかわりは⁈」

「これ以上ほしけりゃ、注文しろ」

「えぇーっ! もっと食べたいよー!」


 いくらでも食べれてしまいそうで、少し怖いくらいおいしい。 


「アリス君って、お菓子作りが上手なんだね。すごい!」

「店長のおかげだよ。あの人が教えてくれたから、どんどんお菓子作りが好きになったし、お客さんに出せるレベルになったんだ」

「じゃあ、アリス君はりんごおじさんの弟子だね!」

「弟子……。うん、そうだな。店長はオレの師匠だ」


 アリス君は、照れながら言葉を続ける。


「オレは料理人じゃなくて、将来はパティシエになれたらいいなって思ってる。専門学校で勉強して、フランスにも行きたい」


 パティシエは、お菓子の職人さんのことだ。なんてステキな夢だろう!


「きっとなれるよ! わたしが保証してあげる!」

「ましろの保証で、ホントにパティシエになれたらいいんだけどな。世の中、厳しくて難しいんだぜ?」


 アリス君は、なぜかちょっとだけしょんぼりとした顔をした。しかし、それはほんの一瞬のことで、すぐにニヤッと笑ってみせた。


「オレのカップケーキで疲れもふっ飛んだだろ? 明日は注文を聞く練習するから、イメトレしとけ」

「うん! 分かった!」


 ましろは、赤いエプロンを付けるアリス君を見守りながら「あっ」と思い出した。


「ごちそうさまでした!」

「お前、えらいな」




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