おしゃべりしましょ

あんび

良い休暇を

 

「おーそこのあんにゃ」

後ろからフードを無造作に掴まれた。振り返る。街灯に照らされた、大学生位の、背の低い女の子。色白でちょっとふとましい。声を掛けられるまでいる事に気付かなかった。

「…………」

「ちょっこら話相手なってくんにぇ?」

この辺の訛りなんだろうか。馴れ馴れしい。ぐっとフードを引っ張られる。

放っておいてくれよ。でも、抵抗するのも面倒臭い。橋の欄干から引き剥がされた俺は、近くのベンチまでずるずる連行された。




周囲は森に囲まれている。ベンチの横には自販機が一台。明かりに誘われて虫が何匹もひっついている。

「何か飲んべ。何がいい?」

「…………。いらないです」

「分かった」

がたんと衝撃音。次いで、頬に硬い感触。

「……俺、いらないって」

「うん。でも5月入って蒸し暑くなってきたからさ」

保冷剤代わりに使えと300mlのボトル缶を押し付けられる。オレンジ味の炭酸ジュース。子供の頃に飲んだっきりの銘柄。

それを両手のひらで包む。自販機の調子が悪いのか若干ぬるい。滑らかな缶の丸みに妙な柔らかさを感じた。


横に座った彼女は緑茶のペットボトルを傾けている。

「あそこの橋さあ。物思いに耽るのにちょうどいいした?ほんだがらか分がんねえんだども、うっかり落っこっちまう人がいてよお」

「うっかり、ですか」

「うん。ぼーっとして我を忘れて、ほんで取り返しつかなくなっちまう事ってあっからな」

彼女はぷは、と息を吐く。

「だから、考え事ついでに見回りしてんのよ。ここらはうちの私有地だからさ」

私有地。そうだったのか。

よく考えれば、そういう場所だって噂を聞いたからここへ来ただけだった。それ以上の情報を俺は知らない。

「まあ周りからは公道みたいに思われてっけどねえ。あんたも悩み事?」

「……まあ」

「ふうん」


「私も色々あってさあ。家のこったの身体のこったの……」

「大変ですね」

「あんただって大変なんでねえの?」

「…………」

「まあさ、誰だって苦労してるよねえ」

誰だって、苦労してる。

そうだ、俺ばかりが苦労してる訳じゃない。なのに、……

「あー、勘違いしないでな?」

ぐり、と蓋をしたペットボトルの先端で頬を突っつかれた。思考が現場に戻ってくる。顔に出ていたのだろうか。

「辛さは比べるもんでねえし、まして『辛いの耐えてる人いんだから自分も辛いとか言っちゃなんねえ』なんて馬鹿な話はねえからな」

「……月並みだなあ」

つい、意地の悪い言葉が零れた。いやそもそも、こんなお節介でおおらかそうな年下相手に肩肘張らずともいいのかもしれないけれど。

「はは!そこはさあ、 “真理” とか言ってくんにぇ?」

彼女が気を悪くした様子は無い。背を反らしながらけらけら笑う。釣られてしまい、俺の唇の端もほんの少しだけ持ち上がった。





「会社、辞めたんだ。3月に」

「うん」

「もう色々ついて行けなくなって。10年は勤めたんだけど。退職するってなって、沢山の人に迷惑かけたと思う」

「うん」

そこまで言ってしまってから、口をぐっと閉じた。

「なじょした?」

「……こんなん人に聞かせるもんじゃ」

虫の声だけが一帯に満ちる。

気付くと、彼女が俺の背を撫でていた。はっとすると同時に肩が大袈裟な位跳ねる。こんな風に人に触れられるのが久々過ぎて、どう振る舞うべきなのか分からない。

「安心しなあ。どうせ朝には他人同士さ。よく知らん奴のが愚痴んのに都合いいだろ?」

ここに来てやっと。初対面の、一回りは年下だろう女の子に宥められている状況が酷く情けなくなって。顔を下に向けて背中を丸める。

わざわざ他人の為に夜出歩いているなんて本当お節介でしかないのに。その癖彼女はこちらへ無理矢理踏み込んでこようとはしない。何でなんだろう。


結局。全部吐き出した。

前の職場が自分に合わなかった事も、肉体的精神的疾患を患っている事も、新しい勤め先が見つからない事も、家族から冷ややかな目で見られている事も。

全部、全部。


俺が話している最中彼女は頷くだけだった。やっとこちらの言葉が切れた所で、残っていた緑茶を全部飲み干し小さく唸る。

「……ちっとだけ、思ったこと言ってもいい?」

「勝手にしてくれ」

「じゃあ。あんたさあ、自分への優しさだとか客観性が、足りてねえんでね?」

そろそろと探るような言い方だった。

「これ以上何を甘やかせと」

「だってまず、やっちゃくねえって思いながらずうっとお勤め頑張ってきたんだろ?」

「仕事頑張らなきゃならないのは当然だろ」

「……で、今心と身体弱っちまってんだよな?だったら尚更よお、自分を労んなきゃなんねえっした」

「でも、休んでられないし。そもそも俺がもっと強くてしっかりしてりゃこんな事にならなかったんだ」

「あ゛ー」

ばっと彼女は立ち上がりがりがりと頭を搔く。それからその辺りをうろうろした後、俺の正面で仁王立ちになった。


「もっと、怒ったらいいんでねか?」

周囲の虫がぴたりと黙った。彼女は焦れったそうにあーとかうーとか言っている。

「もう十分苛立っている」

「違う、自分にじゃね。多分な、心身が弱ったのは会社のせいでもあっし、勤め先見つかんねえのは流行病と運のせいでもあっし、家族が冷てえのはそいつらが無理解で性格悪いからでもあっし……」

彼女は指を折りながらずらずら言葉を並べていく。

何故だか、何も返答が出てこなかった。そうだともそうじゃないとも言えずただぼうっとしてしまう。

「ともかく。あんたが自分の事責めてんのは分かった。実際、んまぐねえとこがあったかもしんねえ。だげんちょも、全部を全部自分のせいにすんのはさあ、いい加減だろ」

「いい加減……」

「うん。そうだ、気晴らしに叫んでみっか、な?」

「……は?」

唐突が過ぎる提案だった。しかし彼女は満面の笑みでこちらの手を取る。

「あっちのがいいかなあ」

やたらに冷えた温度が伝わってくる。先程のように引き摺られたくはなかったので、大人しく立ち上がり、橋の真ん中まで並んで歩いた。





「叫ぶって何を?」

「何でも。青いお空のばっきゃろー!みてえな奴さ」

「古いな」

「うっつぁし!とにかくさあ、不満とか不安とか、ぜーんぶぶつけちまえ」

ひゅうと強い風が吹いた。足場が揺れる。下を覗き込むが、何にも見えやしなかった。

「その下の岩ってみーんな尖ってっからよ、当たったら痛いとか思う間なくばらっばらなっちまあ」

「……そうか」

手すりをしっかり捕まえて、ほんの少しだけ身を乗り出す。視線を上げて胸いっぱいに空気を詰め込む。黒い空に、小さな点がぽつぽつ見えた。



「ばーーーーーーか!」



こだまが真っ暗な山に響いた。斜め後ろで彼女が静かに拍手してくれる。こんなに大きな声出したの、生まれて初めてかも知れない。

何度も何度も、息が切れて喉が痛くなっても無理矢理叫んで。そうしていたら、本当に馬鹿みたいに目元が濡れだした。膝に力が入らなくなりその場に崩れる。肩に軽い感触が乗った。

「どーよ?」

「全部、馬鹿らしくなった」

そもそも叫ぶという行為が。こんな場所まで来てしまったのが。周囲の奴らの顔色伺ってばかりだったのが。彼女に会えるまで、胸中のわだかまりを誰にも打ち明けなかったのが。どれもこれも、心の底から滑稽に思えて仕方ない。


視点が低くなってやっと気付いた。足元に枯れた花束やら未開封の飲料やらが散乱している。急に背に氷を入れられた心地になって、余計に動悸が早くなった。

ぼたぼた顔から汁が垂れる。格好悪くって仕方ないのに、止まらない。ぐちゃぐちゃのそこを袖で繰り返し拭った。





最後まで付き合うと言って聞かないので、仕方無く山道の入口まで送ってもらった。入口まで出たところて懐中電灯で周りを照らしてみたら、確かに『この先私有地』の古びた看板が立っている。

背中を優しく押される。振り返ると、数歩離れた位置で彼女はにこにこしていた。

「君さ」

「ん?」

「死ぬな、って。何で俺に言わなかったんだ?」

責めてる訳じゃない。ただ、それが一番てっとり早い言葉だったろうにと思うのだ。

ぱちぱちと、彼女の目が瞬く。

「わせっちまったのか?初めに言ったべした、あそこから落ちんのは『うっかり』だってえ」

そう言って彼女はゆっくり首を捻って。今来た道を戻っていった。

 

駐車場まで出てから貰った缶に口を付けた。甘ったるい。完全に常温になってしまっているうえ、どこで汚したのか底に砂が付いている。

結局なんにも解決してやいないけど。帰りは事故に気を付けようと素直に思えた。


今更になって、彼女、暗い山道を1人きりで平気なのかと考えるのだが。

きっと大丈夫なんだろう。なんとなく、そう感じた。

 

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おしゃべりしましょ あんび @ambystoma

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