第43話 『地図』
食後のコーヒーを啜りながら俺の送ったメールを読んでいる先輩を横目に、俺は夢の中で知り得た知識からダンジョンの氾濫時期について推測できないかを考えていた。
前提として、俺が夢で見ている異世界の情景は、リアルタイムの情報ではない。これは、ドラゴン肉が【今まさに売れた瞬間】を夢の中で目撃できたことでも明らかだ。
このドラゴン肉は、俺が夢を見る前日に購入したものだ。
マーケットボードで得た売り上げ金は、商品が売れた瞬間タイムラグなく入金される。
夢の始まりで、カイム君は必至で集めた枯れ葉や枯れ枝を売ってお金を稼いでいた。あの時点でカイム君のマーケットボードには、芋をようやく買える程度のお金しか入っていなかった。
ドラゴン肉の売却金が入金されたのは、芋を買った時から薬を購入するまでの間。つまり、俺が夢を見ている最中のことだ。
以上のことから、あの時の夢はリアルタイムの光景を見ていたわけではなく、過去に起こった出来事を見ていたのだと推測できる。
では、昨日見た夢はどうか。
覚えている限り、商店街を歩いていた人々は厚着をした人ばかりだったように思う。落葉した木々の様子を見るに、季節は秋か冬先あたりだろうか。
カイム君達兄弟は、夏の日照りによる凶作が原因で口減らしのため捨てられており、服装も袖の無い涼し気な恰好をしていた。
南半球と北半球くらい離れた土地だった可能性もあるが、夢の中で冒険者の言っていた「人類の生存圏がまた大きく削られる」というセリフが気になる。あちらの世界で人類が安全に暮らせる場所が限られているのなら、カイム君達の現在地と、昨夜夢で見た街は、気候が変わるほど離れた地域ではないのではないか。
それにあの商人達の会話で出てきた、砂糖の専売をしていた商会の倒産の話。
かの商会がマーケットボードで砂糖の自動買い取りをしていたという話だったが、俺が出品した砂糖が出品後即売却されなくなったのは、昨夜、100袋あった砂糖が8割程売れた後だった。恐らくこのタイミングで商会の資金が尽きたのだろうと思うが、それから数時間で店が潰れ、あまつさえ噂になるものだろうか。
商会の資金が尽きたと言っても、それはマーケットボードに入金していた資金だけだ。まあ、マーケットボードを金庫代わりに利用していた可能性もあるが、それでも大きな商会であればリスク管理で資金をいくつかに分けておく程度のことはしてあるだろう。
俺が砂糖を売って得たお金はかなりの金額になったし、それが原因で資金繰りが厳しくなるのは十分あり得る話だ。しかし、即日倒産ということにはならないだろうし、噂が回るにはさらに時間を要するだろう。
つまり、信じがたいことではあるが、昨夜の夢は未来の情景を見ていた可能性がある。
もしくは、こちらとあちらでは時間の流れが違う可能性もあるか……。うーん、そうだとすると、ダンジョンの氾濫時期を推測するのはかなり難しいかもしれない。
「……篠崎君」
考え込んでいたせいで反応が遅れる。慌てて顔を上げると、唇を引き結んで難しい顔をした先輩がこちらを見つめていた。
「あ、はい。どうしました?」
「すまないが、少し図書館まで付き合ってくれないか?見てほしい物がある」
「図書館って『箱庭』のですよね。いいっすよ」
「ありがとう」
そう言って僅かに厳しい表情を和らげた先輩だが、眉間の皺が消えない。基本、未知の知識には好奇心が先立つ先輩がこの態度って、これ絶対ヤバい話出てくるやつ……。
先輩の様子に恐々としながら向かったのは、図書館の3階にあるバルコニー席だった。
昨日の探索では1階から眺めたのみで直接足を運ばなかったこの場所だったが、階段を上り切って開けた空間を見渡せば、先輩が俺に見せたかった物が何であるのか一瞬で理解した。
「これ……」
壁際にびっしりと並ぶ本棚だが、一部だけ壁の見えている場所があった。
そこに飾られていたのは、幅2m以上あるだろう古びた地図。描かれた見たことのない地形の大地には、無数の赤と、それに埋もれるように一握りの緑の光が点々と灯っている。
「異世界の地図……と、もしかして……」
「ああ、恐らくはダンジョンの場所と、コアモンスターの有無を示す魔道具だろう」
地図に近寄った先輩の指先が何かを探すように彷徨った後、緑の光の集まっているあたりをそっとなぞる。
「これがシュジール、ドルトゼント、ダウンサート。そしてこの3国に囲まれているのがフロウダーケンだ」
俺には未だ読めない異世界文字で、恐らく国名が記されているのであろう。
先輩の隣に立ち指で示された辺りを見れば、地球の世界地図と対比すればうちの県より小さいだろう国が並んでいた。そのどれもに、ダンジョンを示す光が数個ずつ灯っている。
一番面積の小さいシュジールには赤が2つに緑が1つ。ドルトゼントは6つある光のうち5つが赤色だ。そして一番国土の広いダウンサートは10ある光の全てが赤く染まっている。
その3国に囲まれたフロウダーケンだけが、唯一4つの光全てに緑を灯していた。
「俺が夢で見たの、フロウダーケンって国にあった街っぽいっすね」
「唯一国名の出てこなかった国だが、会話内容からして恐らくな」
シュジール、ドルトゼント、ダウンサートの3国を差して周辺諸国と言っていた。
未討伐ダンジョンの話をしていたにしては本人たちにあまり切迫感や焦燥感が無かったのは、恐らく自国の安全が早々に確保されていたからだろう。
改めて地図全体を眺める。
大別して4つほどの大きな大陸に分かれているが、国を示す文字と境界線が描かれているのは、2つの大陸の、更に一部の地域のみ。陸地全体の5分の1程度の面積しかない。ざっくりとした地形が描かれるだけの残りの大地を、未討伐ダンジョンを示す赤が埋め尽くしていた。
自分の表情が強張っているのを感じ、ぐりぐりと頬を揉んで力業で緊張をほぐす。
「……ネットの情報故に信憑性に疑問は残るが、日本に出現したダンジョンの中には出現した時点で緑の光を灯していたものもあった」
「日本に出現する前に、そのダンジョンのコアモンスターが討伐されていたってことっすよね」
「ああ。これは地球に出現したダンジョンが、新規に生み出されたまったく新しいダンジョンではなく、元々は異世界に存在していたダンジョンであることの証左だ」
「なるほど。地球に異世界のダンジョンシステムが導入されて、新しいダンジョンが出現するようになったわけではなく、異世界に元々存在したダンジョンが転移してきてるってわけっすか?」
「そこだ」
先輩がくるりと振り向き、顔の横で指を一本立てた。
「君は今【転移】という言葉を使ったが、転移というのは物質の移動――つまり元の場所からそれが消え、別の場所に移動することになるわけだが……」
「……夢の中の冒険者達の会話を聞く限り、ダンジョンが突然消失した、なんて現象は起こってなさそうっすよね」
「その通りだ。未討伐ダンジョンが例年より多いという話より、ダンジョンの大量消失の方が普通に考えれば大事件だろう。しかし彼らの会話にはそんな事件を匂わす話題は一言も出てこなかった」
「未討伐ダンジョンなら人の居ない僻地にあった可能性もありますけど、討伐済みの緑のダンジョンも出現している……。討伐済みってことは、人の出入りのあるダンジョンってことっすからね。流石にそれが消失したことに誰も気づかないわけがないか」
うーん、つまりどういうことだ?転移ではないが、異世界にあったダンジョンが地球にも出現している……。
同じダンジョンへの入り口が異世界と地球にそれぞれ1つずつ開いてるってことか?
「ダンジョンの中は『箱庭』みたいな異空間で、異世界と地球にそれぞれ入り口が開いて同じダンジョンを共有しているって感じっすかね?」
「同じダンジョンを共有しているという部分は、恐らくその通りだろう。しかし……これは完全に推測になるが、異世界と地球では、同じダンジョンに入っても位相や次元といったものがズレているんじゃないかと考えている」
「位相と、次元っすか?」
「レイヤーとでも言うべきか。入り口が違うだけの同一のダンジョンに入っているなら、中で異世界人と地球人が鉢合わせることもあるだろう?しかし、そんな様子もない」
「あー、確かに。警察とか自衛隊がダンジョン潜ってるっぽいですけど、もし中で異世界の冒険者に遭遇してたりしたら、もっとダンジョン周辺の警備を厳重にするとかの動きがあってもいいっすもんね」
夢の中で聞いた会話の中にも、ダンジョンの中で最近変な連中を見かけた~とか、そんなことを伺わせる会話はなかった。
警察とか自衛隊とかならがっつり武装してダンジョン潜ってるだろうし、装備の時点で異世界人に擬態して接触するのは無理がある。目撃されれば相当噂になるだろう。
先輩の表情はいよいよ深刻さを増している。
同一のダンジョンながら異世界と地球では次元?レイヤー?が違う。このことが深刻な事態に繋がりそうだと考えているのだろうが、どちらの言葉も馴染みが無さすぎて、俺にはイマイチ理解できずにいた。
「センパイは、その、レイヤー?が違うことでどういった事態が起こると考えてるんすか?」
「……君が送ってくれたメールの中に『これほどコアモンスターが見つからないのは前代未聞だ』と言った会話が出てきただろう」
「あー、そんなようなこと言ってましたね。……え、まさか……」
「ああ、コアモンスターが地球側に存在するせいで、異世界でどれほどダンジョンの中を探そうと見つけられなくなっているのではないかと考えている」
絶句する俺の様子に気付かず、いや気付く余裕もなく、先輩は言葉を続ける。
「コアモンスターの全てが地球側に存在するとは思わない。事態はもっと深刻だ。異世界側と地球側で、コアモンスターの所在が半々に分かれてしまっているとしたら……」
「異世界側にコアモンスターが居た場合、地球側でどれ程探索してもコアモンスターは見つからず、氾濫は防げない……」
改めて、壁にかかった地図を眺める。
――人類の生存圏が大きく削られている――
この異世界の住人のセリフが、地球に居る俺たちにこれほど重くのしかかってくるとは考えても居なかった。
地図に緑の光が灯っている地域は本当に一部だけ、ほとんどの場所が真っ赤に染まっている。
あちら側では、そこに人類は生存していない。ダンジョンを攻略する人間も居ない……。
「……この、人類の生存圏外にたまにある緑。これって地球側でコアモンスターを倒したダンジョンなんすかね」
「もしくは異世界の方で、陸の孤島のように生き残っている国や人々が居るのかもしれんな」
俺も先輩も、しばらくの間無言で地図を見つめた。
先輩の言うように、異世界の生存圏外で細々と生き残っている人たちが居るのなら、きっと一番近場のダンジョンだけを攻略することに注力し、なんとか生存圏を確保しているのだろう。
だが、地球にダンジョンが出現したことで、そういった人たちの生存も危うくなるかもしれない。
ダンジョンも人の居る地域ばかりに出現するとも限らないのだ。
ジャングルの奥地や険しい山々の合間、最悪の場合海中なんかにも出現する可能性もある。
陸地であるならばまだ攻略も可能だが、深海などに出現されてしまえば手の出しようがない。
「……この仮説が正しければ、地球に出現する全てのダンジョンの氾濫を防ぐことは、事実上不可能だ」
「こうなれば最低でも、出現したダンジョンの半分は氾濫するものと思って備えておいた方がいいっすね」
「ああ。しかし私たちだけが備えたところで意味がない。各国の政府にも動いてもらわねば」
「何か考えが?」
見つめ合ったオニキスのような瞳に、キラキラと星が瞬くような真摯な光が灯っている。
正直俺が抱え込むには重すぎる情報ばかりで、今すぐ全てを投げ出したいような気持ちなのだが、この強い意思の煌めく光を見ているだけで、そう悲観したものではない、なんとかなるんじゃないかと思えるのだ。
「君さえよければなのだが、この地図を世界に公表したい。無論、これそのものではなくコピーして、こちらの正体を隠した上でだが」
「これを?俺は別に構いませんけど……」
異世界の地図を公表して、何か意味があるだろうか。
一部の人間にはこれが異世界の地図であり、赤と緑の光はダンジョンであると気付くだろうが、こんな赤でいっぱいの地図を公表すれば、意味の分かってしまう一部の人達は恐慌状態に陥ってしまいそうだ。
地球に出現したダンジョンの場所を調べた地図を作り、この地図と照合して未発見のダンジョンの場所を割り出すとか?
俺の疑問に頷くと、先輩は「それもある。が、むしろ積極的に恐慌状態に陥らせたい」と酷いことを言い出した。
「各国の政府は氾濫のことも知っているのだろうが、まだまだ見通しが甘い。恐らく、軍を投入して全てのダンジョンの氾濫を防ぐ方向で動いているのだろう」
「……でも、どれほど戦力を投入しても、絶対に氾濫を防げないダンジョンが存在する」
「そうだ。今後政府には、ダンジョンの氾濫は防げないという前提で動いてもらわねば。そうでなければ犠牲が増えるだけだ」
「センパイ、もしかしてダンジョンの一般開放を目標に動くつもりっすか?」
「ああ。ダンジョンが氾濫した場合、軍や警察だけで一般人を守り抜くことは不可能だろう。戦える人間は多ければ多い程良い」
「掲示板とか見てると、ダンジョン入りたがってるヤツ結構いましたもんね」
「まあ、ああいった層が本当に戦力になるかと言うと、微妙な所なんだが……」
そう言ってしょっぱい顔をした先輩を見て、強張っていた口角がやっと上向いた。
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