第29話 『研究者の箱庭4』



 巨大卵について俺の心の中は大荒れであったが、実際には何があったわけでもない。今のところご都合主義が過ぎる憶測にすぎないし、杞憂で終わる可能性が高いと自分に言い聞かせて心を落ち着けているうちに、屋敷の玄関ポーチにたどり着いていた。

 両開きの扉の片側だけ開いていたのを、左右両扉開け放つ。錆びて軋んだ音を立てていたドアは、そんな過去は忘れたようにスムーズに滑り道を開いた。

 まず目に飛び込んできたのは、大階段の奥、正面の壁の上部3分の2を彩るステンドグラスの窓と、そこから差し込む光で虹色に煌めくシャンデリアだった。

 3階まで吹き抜けになった広大なホールの頭上は天井画で彩られ、その中央から垂れ下がる優に幅4mはあるだろうシャンデリアは、無数のクリスタルが逆円錐を作り出していた。

 その奥に見える大階段は、ドレスの裾の様に広がった上り口からなだらかな段差が踊り場まで続き、そこから左右斜めに分かれる。そしてその踊り場から上の壁が、一面ステンドグラスになっていた。ステンドグラスといっても、教会の礼拝堂にあるような極彩色のものではなく、無色の磨りガラスをベースに落ち着いた色彩で風景画が描かれている。

 中央に聳え立つ天を衝くような大木に後光が差し、周囲を祝福するように小鳥が舞う構図は、その木が神聖なものであることを無知な鑑賞者に如実に示す。その神樹を透かした光が照らし出すのは、計算され尽くしたパターンで組まれた大理石の床だ。最初に見た時には積もった埃に埋もれて一面真っ白になっていた床だが、現在は周囲の光を反射するほどに磨き上げられ、シャンデリアの真下には、象嵌細工で色とりどりの石が嵌め込まれた円形の幾何学模様が姿を現している。


 絢爛豪華としか言いようのない光景に言葉を失っていた俺達は、フラフラと吸い寄せられるようにホールの中央まで足を進めた。その場で振り返れば、玄関扉の上部にも縦長の大きな窓がいくつも取られ、部屋の二辺から入り込んでくる日光を金細工の施された白い石柱が反射し、部屋中に光が溢れているように感じる。

 ぐるりと部屋全体を見渡せば、他の部屋へ繋がるドアが4つと、左右に向かう広い廊下も確認できた。

 にしても、あちこちに飾られている調度品がいちいちお高そうなんだけど。これぜってー猫連れてこれないやつじゃん。うちの子たち部屋飼いなんだけど……ペットルームにできそうな部屋あるかな?

 きょろきょろと室内を見まわしていた俺と違い、しゃがみ込んで熱心に床を観察していた先輩が口を開いた。


「この床の模様、恐らく魔法陣だな」

「ぅえ!?思いっきし踏んじゃってたんすけど!」

「床にあるんだから踏んでも問題ないようになっているだろう。それと、あの天井に見える円、あれもそうじゃないか?」


 先輩の言葉に慌てて円の中から飛びのいた俺に笑いながら、先輩が頭上を指さす。見上げた先にある天井画には、確かに周囲の絵と上手く調和するように円形の幾何学模様が描かれていた。よーく集中して見てみると、床の円も天井の円にも、薄っすらと魔力が集まっているのを感じる。


「確かにこれは魔法陣っぽいっすね。建物自体になんか魔法かけてんのかな?掃除しなくても部屋が綺麗に維持される魔法とか?」

「常時魔力を消費しているようだからな、可能性はある。他に家にかける魔法といえば護りの魔法や結界の類か?いや、鍵を持っている者しか入れない『箱庭』では必要のない機能か」

「何の魔法陣なのか、調べるにも知識が足りないっすね。やっぱ先に図書館行きましょ」

「そうしよう。それにしても、どこを取っても興味深い屋敷だな。玄関に入った途端にこれなら、いったいどれほどの魔法陣や魔道具が組み込まれているのか」

「既に見てきた中にも見逃してるところがあるかもしれないっすね。魔道具って、てっきりダンジョンから入手するものしか存在しないのかと思ってたけど、あの卵の魔道具とか完全にこの『箱庭』に合わせて作った感じでしたよね」

「人の手によって作られた魔道具か。興味深いが、私にはあまりその手の才能はないんだよなぁ」

「うちの甥っ子が物造りとか好きなんすよね。魔道具とか、めちゃくちゃ食いつきそう」


 そんな会話をしながら、止めていた足を動かし歩みを再開する。大階段の裏手に回ってそこにあったドアを抜けると、予想通り中庭に出た。先ほど確認した円形の建物を指さすと、パッと表情を明るくした先輩が勢いよく駆け出す。随分と明るくなった中庭の様子を確認しながらのんびり追いかけたが、俺が建物の入り口にたどり着いた時には、既に先輩は壁一面に設置された書架に張り付いていた。

 最初に予想した通り、この建物は図書館で合っていたようだ。内部はワンフロア吹き抜け式の縦長のドーム型で、母屋と同じく3階建ての建物の壁面には天井までびっしりと本が詰め込まれている。天井の天辺は丸い天窓になっており、日の光を存分に取り入れる造りは読書には最適だが、本には悪影響じゃないかと思うんだが、ざっと見た感じ収納されている本の背表紙が色あせているなんてこともないし、本の材質か魔法によるものかは分からないが、日焼けしないよう状態保存はされているらしい。

 1階部分は広々とした空間で、壁面以外にも端の方に本棚が並んでいるが、空間の大部分はゆったりと読書の楽しめそうなくつろぎスペースで、ソファーやフロアランプ、コーヒーテーブルの置かれたリラックスして読書できそうなスペースもあれば、キャレルの並んだ集中して勉強できそうなスペース、ディスカッションにも使えそうな大きなテーブルと複数の椅子が並んだスペースなどもあり、本当にこっちの世界の図書館のようだ。

 2階、3階部分は基本的に壁沿いにぐるりと張り出した通路があるだけの床面積の少ない空間なのだが、入り口から一番遠い一か所だけ、バルコニーというかテラスというか、広く取られたスペースにソファーや椅子の置いてある空間があり、わざわざ1階まで下りずとも座って読書ができるようになっている。

 その空間の下、1階部分は、よく見れば壁で区切られており、ドアもついている。本棚の間に埋もれるようにドアがあるので気付かなかったが、どうやら奥にもう一部屋存在するらしい。閉架書庫かな。


「センパーイ、俺ちょっと奥の部屋みてきますけど」

「んー……」


 本に集中しすぎて聞いてんだか聞いてないんだか分からない様子の先輩に一応声をかけてから、奥の部屋を覗いてみることにした。

 俺もここの本には興味はあるが、文字が読めないので見ても理解できないだろうし。翻訳スキルを手に入れようと思うなら、ただ本を読むより、先輩がやったようにタブレットで日本語と異世界語を比較翻訳する手が有効だろう。これはまた暇を見てチャレンジせねば。

 向かった先、扉の奥は、書庫というより書斎や研究室といった雰囲気の部屋だった。書類の山ができ、ついさっきまでここで誰かが書き物をしていましたといった風情で資料の散乱しているデスクや、書籍ではなくバインダーのようなものが詰まった本棚等、興味深い物は色々あったが、一番目立つのはやはり壁一面に描かれた大樹の壁画だ。


「これ、玄関ホールのステンドグラスにあったのと同じ木か?」


 正直似たような木の区別などつかないが、いかにも神聖なものであるといった雰囲気で描かれているところなんかはそっくりだ。

 何か意味のあるものなのか、気になりつつもデスクに散乱する資料を漁ると、こちらにも壁画やステンドグラスと同一のものであると推測できる大樹のイラスト資料を発見した。どうもこの木は、この屋敷の前の持ち主にとって特別なものであったらしい。

 こちらの資料にはイラストの入っているものも多いので、文字が読めずともなんとなく内容を推測することができたが、どうやら植物関連の研究をしていたらしい。木だけでなく、草花の挿絵が入っているものが多くある。

 屋敷の外れには大きな温室があったが、あそこで育ててたの普通の花とかじゃなくて、貴重な草花や、もしかしたら薬草なんかも育てていたのかもしれない。前庭の花壇には種が残ってたのかポツポツと花が復活していたが、温室の方も少しくらい何か残ってねーかな。

 俺は未だマーケットボードで見かけたことのないМP回復用のポーションのことを思い出す。異世界ではМPポーションが存在しないのか、それとも貴重品でマーケットボードでは取り扱われていない商品なのかは分からないが、どちらにしろマーケットボードに出品がないなら、現状手に入れられない品であることに変わりはない。もしかしたらダンジョンで入手できるかもしれないが、そのダンジョンにも当面入れる当てもないのだ。

 貴重な薬草なんかがあれば、もしかしたらマーケットボードでは取り扱われていない薬品も自作できるようになるかもしれない。

 今後世界がどうなって、俺たちがどういう生き方をすべきかはまだはっきりとは決めてないが、家族や知り合いが安全に生き延びられるよう、どんな事態にも対応できるだけの準備は進めていきたい。


「屋敷ん中調べたら、もっぺん温室も見に行ってみるか」


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