第21話 『動地』



 エントランスを出てすぐの中庭で、男の悲鳴が響いた。

 弾かれたように先輩と顔を見合わせ、反射的に悲鳴の聞こえた方向へ走り出す。

 うちの大学の中庭は結構な広さがあり、石畳の通路の両脇に芝生が広がっており、植えられた木やベンチ、休憩用のガゼボが点在している。

 悲鳴は芝生スペースの奥、別学部の使用する棟の方向から聞こえてきたようだ。

 先輩を置き去りにしないように加減して走り、現場と思しき場所にたどり着くと、そこは異様な雰囲気に包まれていた。

 穴がある。芝生の上ではない、石畳の通路の上だ。そこから頭と顔だけを出した男が、地面に爪を立てて必死にしがみ付きながら助けを求めている。悲鳴の主はこの男だろう。

 さらに異様なのは、周囲にそれなりの数の人影があるにも関わらず、誰もかれも凍り付いたようにその場に立ち尽くし、誰も救助に動こうとしないことだ。

 状況がイマイチ理解できず戸惑っていると、要救助者の男が再び悲鳴を上げた。


「ぎゃあッ!!!痛ッ、離せよくそ!!だれっだれか……っ!!」


 穴の中で何かが起こっている。


「センパイはそこに居て!」


 迷ったのは一瞬で、隣に居た先輩に声をかけると、返事を聞かずに駆け出した。

 男の腕を掴もうと手を伸ばすと、逆に必死の形相で腕に縋りつかれる。できれば両手を掴んで引きずり出したかったが、今の筋力なら多少バランスが悪くても人ひとりくらいなら持ち上げられるだろう。

 重心を落として力を入れようとしたその時、横から伸びてきた手が男の襟首を掴んだ。先輩だ。

 なんで来たんだとか、文句は後回しにして、っせえので男を引き上げる。

 急勾配の坂のように斜めにあいた穴に、腹ばいに寝そべるような態勢の男を一息に引きずり出すと、男の膝裏に乗り上げるように張り付いている何かが見えた。


「ッ、下がって!」


 先輩を片手で下がらせるのと同時に、周囲から悲鳴が上がる。

 黒い体毛にサイズは中型犬程度だが、犬ではない、小型の熊のような体躯をした見たことのない獣だ。男の足に張り付いた何かは、鋭い牙で男の太ももに嚙みついていた。そこから夥しい血が流れている。

 なんとか引き剥がさなくてはと、手を伸ばそうとした瞬間、それは黒い粒子となって一瞬で霧散した。



≪経験値の取得によりレベルが+1されました≫

≪レベルの変動によりスキルシステムが解放されます≫


≪ドロップアイテムの取得を確認しました≫

≪ストレージ機能が解放されます≫



「「は……?」」


 思わず口から零れ落ちた声が先輩と重なる。光りながら降りてくるタブレットを前に呆気に取られていると、足元から呻き声が聞こえた。そうだ、呆然としている場合じゃない。

 しゃがみ込んで気絶したらしい男の怪我の具合を確認していると、先輩がハンカチを手渡してくれる。

 太ももを縛って止血をするが、焦って力加減を忘れていたにも関わらず、ハンカチを引きちぎるようなこともなく、丁度良い締め具合で止血できた。というか、気を付けて行動している普段よりも上手く加減ができていた気がする。

 男は血の色と出血量から見て動脈が傷ついているかもしれない。顔色が白く呼吸も浅く早い、出血性ショックの症状が出ている。かなり危険な状況だ。足の付け根を両手で圧迫しながら周囲を見渡した。

 逃げ出したやつも多いのか、先ほど到着した時よりも大分人が減っている。俺は一番近くに居た気弱そうな男子学生に視線を合わせると、怒鳴るように叫んだ。


「そこの人、消防と救急に電話して!早く!」

「は……はいぃ!」


 男子学生がほとんど悲鳴のような返事をして、震える手でスマホを取り出すのを確認して、俺は先ほどから何かごそごそとやっている先輩の方に向き直る。

 先輩はカーディガンの裾で上手いこと男の顔を周囲の視線から隠しながら、先ほど購入したばかりのポーションの瓶を男の口に突っ込んでいた。


「(ちょ、センパイ!?なにやってんすか!)」

「(緊急事態だ、許せ!このままだと死ぬぞ!)」


 小声で怒鳴り合う中、今にも息絶えそうな顔色をしていた男の顔は、僅かばかり血色を取り戻していた。出血も心なしか弱まった気がする。図らずも人体実験になってしまったが、確かにポーションの効果はあったようだ。後は副作用などが出なければいいのだが……。

 暴挙とも言える先輩の行動だったが、そのおかげで目の前で失われかけていた命が拾い上げられたことに、僅かに肩の力が抜ける。その瞬間を狙いすましたようなタイミングだった。

 視界の端で何かの影が動いた。

 ぞわりと全身が粟立って、弾かれたように顔を向けると、そこはぽっかりとあいた穴の奥だった。

 引っ張り上げている最中は男の体が邪魔をして中は見えなかったし、その後はじっくり観察しているような暇もなかったので気付くのが遅れたが、穴の奥は地中にはあり得ない赤い光に薄っすらと照らされ、人工物としか思えないような、石積みの門のような物の一部が浮かび上がっていた。穴が斜めなので全容は伺えないが、門の奥にはかなり広い空間が広がっていそうに見える。そこに、何か黒い影が蠢いていた。

 背筋に冷たい物が走り、じわりと冷や汗が滲む。この場から少しでも離れたいが、両手で止血して何とか保たせている状態の男は簡単には動かせない。


「……止血は私が代わろう」


 同じく穴の中を警戒していた先輩が交代を申し出てくれたので、俺は立ち上がり、穴と二人の間に陣取って何が飛び出してきても対処できるように集中する。

 結局俺は、遅れてやってきたと思ったら速攻で逃げた事務員が持って来た刺股を構えながら、救急車が到着するまでその場で警戒し続けることになったのだった。

 いや、おかしくない?警備員どこ行った。




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※急転動地……驚天動地の誤字ではなく造語です。


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