第2話:ルナコ

 京都市三条通り――そこから延びる細い路地の奥にあるマンションの一室。


「ははは……久津クズ月弧ルナコさん? この金額は……?」


 俺は自分の口座に振り込まれた闇大会の取り分を見て、思わず引き攣ったような笑みを浮かべた。


「ん? 正当な報酬だと思うけど?」


 そう答えたのは、広いリビングが丸ごとパソコンやらサーバーやらよく分からない七色に光る箱やらで埋め尽くされたサイバー空間の真ん中で、主の如く座っている一人の少女だった。


 否、既に成人しているので少女と呼ぶのはちょっと語弊があるな。

 彼女は成人女性にしては背が低く、そのわりに大きな胸部がサメのプリントが入ったパジャマを遠慮無く盛り上げて、谷間を露わにしていた。伸びっぱなしでボサボサの金に近い明るい茶髪――染めているのではなく地毛――を雑に後頭部でまとめていて、その下には日本人離れした幼いながらも端正な顔。その黒色の瞳は窓を潰してでも取り付けられた五枚の巨大モニターに向けられていた。


 白く細長い指が四枚のキーボードを華麗に叩き、リズミカルな打鍵音が部屋に響く。


 どうでもいいが腕は二本しかないのに、キーボード四枚もいるのか……?


 それはともかく彼女は――K大学の大学院で〝情報材料工学〟なるよく分からないものを研究している俺の後輩で、俺とは学生の時から訳あって行動を共にするようになった。


「はいこれ、明細書」


 ルナコは顔を俺に向けすらもせず、足下にいたお掃除ロボットを俺の方へと蹴り飛ばした。


  お掃除ロボットの上部から光が放たれて、俺の目の前に明細書のホログラムが表示される。


「まず、今回の賭けで得た利益の50%――つまり先輩の取り分だね――から、最新VR機器の調達費及び反応処理速度向上の為のパーツ代及び工賃。更にここ数ヶ月の家賃と食費、光熱費、雑費を差し引くと……まあ、そうなる」


 少なくとも一年は遊んで暮らそうな金額が各種アレコレで引かれていき、最後には、今日の夕飯と煙草代ぐらいしか残っていなかった。


「お、お慈悲を! これじゃ人としての尊厳が……」

「はあ……本当は利子付けたいのを我慢したんだから文句言うな。自分で住む場所とまともな仕事を見付けてから人であることを主張しろ、このゲーム馬鹿、ニート、穀潰し」


 おー、よくもまあ、すらすらと的確に俺の心を抉る罵倒を言えるよね。


「ううう……ルナコ様ぁ……」


 こうなったら泣き落とししかない。業務スーパーで買った34円のうどんだけで一日を過ごす日々はもう嫌でござる。


「煙草やめろ酒飲むな息吸うな。それだけでちょっとは地球に貢献できる」

「どれ止めても死ぬんですけど!?」

「前者二つは、死なないよ……まったく」


 そう。俺こと、和久名ワクナ 司来シグルは、昔助けてやったという恩義と、後輩だからというだけでルナコの部屋に転がり込み、居候もとい、ヒモという形で日々をなんとか暮らしていた。


「ゲームしか能がない君にこうして少しでも稼がせて、借金の一部だけでも返済させてあげてるんだから感謝して欲しいぐらいだけど?」

「はい……すんません……」

「そもそも、そのゲームの腕と頭脳があれば、今流行りのプロゲーマーにでもなれるでしょ? 動画配信で稼いでも良いしさ」

「うむ可能は可能だろうが――めんどくさい! 俺は俺の為にしかゲームしたくないんだ。プロゲーマーつったってスポンサー様がいらっしゃるし、動画配信だって企業案件だのなんだのをやらないと稼げないし。何より配信する環境がないですし」

「僕が環境を整えてあげようか? お金取るけど」

「それ、結局諸々引かれて、今回と同じ結果になるだけだろ!」


 アルター・テラの闇大会で一稼ぎするというアイディアは、ルナコが考えたものだ。別にわざと負けるとかそういうことはしていないので八百長ではないし、限りなくクリーンに近い稼ぎ方だと彼女は言うが……。


 そもそも闇大会に出場するのは規約違反だし、賭けにいたっては電子通貨取引法、電子賭博法に思いっきり引っかかってるわけで。


 グレーですらない真っ黒な稼ぎ方なのだ。


 そもそも俺はアルター・テラにそんな大会があることすら知らなかった。


「つーかさ、ルナコって死ぬほど金持ちなんだろ? こんな部屋と設備を維持できるぐらいに。なんで研究費を稼ぐ必要と、俺から搾取する必要があるんだ?」

「部屋については親の遺産相続でもらったやつだから家賃は掛からないし、設備とそれに掛かる維持費についてはメーカーからもらってるからタダ。あとは特許料とかなんとかで寝ててもお金は入ってくるけど、それ以上に研究で消えていくから、無駄には出来ないの」

「情報材料工学……だっけ。それがなにやら俺にはさっぱりだが」


 ルナコは、いわゆる天才と呼ばれる類いの人間だった。特にIT技術関連について秀でているらしく、こんな小娘に某IT企業とか、PCメーカーが金を払ってでも製品やプログラムなどをテストしてもらって改善点を仰ぐのだとか。


 噂によると世界的な企業からも研究者として招待されているらしいが、全部断っているらしい。


 理由は、大体俺と同じだった。彼女は自分の研究以外のことに興味ないのだ。


「俺からすれば俺の次ぐらいに社会不適合者だと思うけどね……」

「先輩にだけは言われたくない」


 仰る通りで。


「ああ、また闇大会ないかなあ」


 金を稼がないと。うどん地獄はもう嫌だ。


「あんだけ派手にやったら次はオッズ操作はできないよ。あれは初回だからこそ使える手法なんだから」

「だよなあ。普通の賞金付き大会にでも出るか……」


 アルター・テラ内であればぶっちゃけ負ける気がしない。いや、まあ大体どのゲームでも負け知らずなんだけどね。だが、アクティブプレイヤー数や規模などを考えればアルター・テラ一択だろう。


「それより先輩。例のメール、見せてよ」

「ん? あー、忘れてた。ほらよ」


 俺は手首と頭に付けている細く小さいスマートデバイス――最新のVR機器――を起動させて、メールをルナコに見えるようにホログラム表示にする。


「……僕のメールと同じタイミングで届いたって言っていたよね」

「ああ。まるで見ていたかのようだ」

「添付ファイルは見た?」

「んにゃ。ルナコに見てもらおうと思ってな」

「それ正解だよ。多分なんか仕込んでありそう」

「へ? 仕込み?」

「どう見ても、怪しいもん。どれどれ、見させてもらおう。まずは仮想OSを走らせて――」


 その後、俺にはよく分からないアレコレをした結果、ルナコはその添付ファイルを開いた。


 モニター上に、チープな音楽と共に古い蝋で封された手紙が開かれるムービーが流れた。


 そして手紙にはこう書かれていた。


『ARダンジョン攻略ミッションへのご招待 ~アルター・テラ次期アップデートの目玉要素となるAR体験をいち早く一部のプレイヤーにのみ限定ミッションとして先行体験していただきます。現実と化したアルター・テラをリアルでお楽しみください。第一ミッションの日時は五月五日午前零時。場所については詳細は参加登録後に送付いたします』


 ARダンジョン……? なんだそれ? 俺が首を捻っていると、


「まだ続きがあるね」


 ルナコがそう言うので、もう一度モニターを見る。


『第一ミッションのダンジョンを攻略できたプレイヤーにはささやかながら賞金100万円を用意しておりますので、奮ってご参加ください。なおこの招待状を開けた段階で秘密保持契約が交わされたと判断されますので、情報漏洩にはくれぐれもお気を付けください――アルター・テラ運営本部』


 最後に、参加登録する為のサイトへのURLが記載されていた。


 いやいや待てそれよりもだ……見間違いかもしれない……もっかい読んでみよう……やっぱり100万円って書いてあるぞ!


「……仮想空間で開けて正解だった。勝手に契約を交わしたことにするなんて力技すぎる。おそらくデバイスの所持者情報を割り出して自動で電子署名させる感じだろうね」


 ルナコが何やらブツブツ言っているが、そんなもんは知らん。


「よしやるぞ。すぐに参加登録だ。100万あれば人生安泰だ!!」

「アホかああああ! 明らかに死ぬほど怪しい話にそんな簡単に乗るな! 馬鹿か君は! そもそもたった100万で人生安泰なわけあるか!」


 珍しくルナコが目を釣り上げ、怒鳴っている。


「冗談だよ。でもこれ、めちゃくちゃ美味しい話じゃないか? 次期アプデに関しては結構力を入れているって噂だし、プロモーションの一貫だと思えば、有り得ない金額ではないだろ」


 俺の言葉に、冷静さを取り戻したルナコが腕を組み、唸る。


「んー……確かに、アルター・テラの運営からすれば100万なんてはした金だろうけど……ARってところが引っかかる」

「あー、そうそう、そのARってなんぞ?」


 俺がそう言うと、ルナコはまるでジャングルの奥で原始人を見付けたかのような表情を浮かべる。


「……君、本当に21世紀の人間かい? ARはAugmented Realityの略称だよ。VRとは似て非なるものさ」

「うるせー、日本語で言え」


 そもそも、もはや国民の九割が所持していると言われるスマートデバイスだって、ルナコに調達してもらったこのVR機しか持っていない。そんなもん知るかよって話だ。


「――。そう訳されることが多いね。要するに、このリアルに仮想を持ち込むってことだよ。君は知らないかもしれないが昔、スマートフォンと呼ばれるデバイスのアプリで、カメラを向けるとモンスターが出現してそれを捕まえるゲームが流行ったのさ」

「へー。すげーなそれ」

「ARアプリの走りであり、僕からすれば原始的な仕組みだけどね。ARダンジョンと言うからには、おそらく現実にアルター・テラのダンジョンを出現させるのだろうけど……んー」


 珍しく、なんでもズバズバ話すルナコが言い淀む。


「なんだよ」

「いや、ARダンジョン自体は、まあ無くはないし、それこそ数十年前からあった概念だけど……それをと言うのが解せない」

「なんで? ダンジョンは攻略するもんだろ」

「はあ……君は本当に何も知らないのだね……なんでそれでK大に入れたのかが未だに我が母校の七不思議の一つだよ」

「サラッとディスるな」

「いいかい、ARはあくまで視覚情報として仮想をリアルに持ち込んでいるのであって、実際にそれがそこにあるわけじゃない。君だって、このホログラムが現実に存在しないものだというのは理解できるだろ?」


 そういって、ルナコがホログラムの明細書を掴もうとする。当然、それはただの光の投射に過ぎないので、彼女の手は虚空を掴むだけだ。


「ダンジョンと言うからには、複雑な迷路、罠、そしてモンスターがいるのは当然だろう。だが、それらは所詮はホログラムだ。壁があってもすり抜けられるし、罠が発動したところで、モンスターに襲われたところで君になんら影響はない。そもそもベースはリアルなので、どうしてもだだっ広い空間を用意しないと全く面白くないだろうね。階層も作れないし。君は、公園の中に広がるありもしないホログラムのダンジョンをただ歩くだけで満足するかい?」


 ルナコの言葉に俺は首を横に振った。なんだそれ、死ぬほどつまんねーじゃん。


「アルター・テラ内には無数のダンジョンがあるだろ? 自動生成で潜るたびに内容が変わるものまである。そんなコンテンツがあるのに、今さらARダンジョンなんて幼稚なコンテンツを次期アップデートの目玉にするとは思えない。だから――


 なるほど、裏があると。


「お前の言いたい事は分かるぜ。だがなルナコ――はい、参加登録完了っと」


 俺はルナコがぐだぐだ説明している間にそのARダンジョンの攻略ミッションへの参加登録を済ませていた。


「馬鹿ああああ! ちょっとは考えたまえ!! もしARダンジョンが、僕が想定するものならそんなものに、賞金100万円なんて出すわけないだろ!! 絶対に何かある!」


 ルナコが般若の形相を浮かべるが、俺はくしゃりと彼女の柔らかい髪を撫でた。


「参加すれば分かるさ。お前も知ってるだろ? それがなんだろうと、結局はゲームで、そしてダンジョン攻略なんだったら――俺は

「先輩はそういう人だったな……はあ……」


 ルナコが盛大に溜息をついた。しかし、その目は運営からのメールから離れなかった。その奥にある意図を見極めんとばかりの視線。


「サクッとクリアして金ゲットして焼肉奢ってやるから、待ってろ」

「期待はしないでおくけど、少し興味が出てきた。よし、僕も協力しよう。なに、焼肉分の仕事はするさ」


 なんだかんだ、面倒見の良いルナコだった。彼女のサポートが得られるなら百人力だ。


 こうして俺は、運営からの謎のミッション『AR(拡張現実)ダンジョンを攻略したら賞金100万円』への参加を決意したのだった。


 結論から言おう。


 そのミッションは間違いなく、ホログラムなんてチンケなものではない、ダンジョン攻略でありそしてなにより――

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