第26話:託された夢、リゼルの魔法のペン
〈サウスラン〉を後にしてから、一日が経過した。
目覚めは最悪だ。
まだ、荒野地帯を抜けられていない。
空気はカサカサしているし、深呼吸をすると砂埃が口に入る。
だが、それでも獣車の中の空気よりは良い。
僕はのそのそと獣車を降り、外の砂っぽい空気を吸う。
まだ日は出ていない。
冷たい空気が心地いい。
でも砂埃がやっぱり最悪だ。
……布に、こう…………砂埃を防ぐ付呪をしてみようかな。
何か思っていたよりも良い案っぽいぞ。
では早速……あ、しまった。
魔法ペンはエメリアが持っているんだった。
……自分の魔法ペン、欲しいなぁ。
昨晩は地獄だった。
何せ、夜はルグリアもエメリアも、他の冒険者の獣車行ってしまったのだ。
何故かって?
理由は簡単だ。
僕が寝床とした獣車から、ぞろぞろと男たちが出てくる。
「お、先生早いな!」
「いやー、先生は凄いな。獣車の中で……何だあれ? 風の流れか?」
「涼しくて過ごしやすかったぜ先生、ありがとな!」
「今夜も世話んなるぜ先生! ウハハハ!」
単純な話だ。
女冒険者は女冒険者で、男冒険者は男冒険者で集まったのだ。
死ぬかと思った。
冒険者はあまり風呂に入らないと聞いたことはあるが……。
……ルグリアも臭いとは思いたくない。
それだけは、何か嫌だ……。
と、獣車から最後に彼らのリーダーが、先日僕をパーティに誘った板鎧の戦士が降り立つ。
「お前達、あまりリゼル殿に迷惑をかけるなよ」
そうだぞ、かけるなよ。
せめてちゃんとお風呂入って欲しい。
いや待てよ、
ここから一ヶ月……。
ぼ、僕も風呂に入れないのでは?
嘘だろ……。
どうしよう、どうにかできないだろうか。
どこかに良いヒントが無いかと周囲の様子を窺ってみる。
焚き火を使ってベヒーモスの干し肉を炙っている冒険者がいる。
魔法で苦労して周囲から水分を集めて、皆の分の飲水を作っている魔導師もいる。
魔獣使いたちは、獣車を引く自分の魔獣にブラシをかけたり、餌をやったりと忙しそうだ。
魔法で周囲の水を集めるのは基礎の基礎だ。
しかし、あくまでも空気中の水分を集めるだけなので、今僕がいる荒野地帯ではそもそもが厳しい。
高位の魔導師になれば、魔力で水を作り出すこともできるが……。
ちなみに僕は基礎すら無理だ。
世知辛いね。
うーん、同じ水を綺麗にしてから循環して、ならいけるか?
いやでも何か汚い……。
っと、これは失礼な考え方かもしれないな。
所詮僕は先生だなんだとちやほやされたところで、[魔法学校]のもやしっ子だ。
ついつい毎日のお風呂やトイレのことを気にしてしまうが、むしろここでは僕のほうが異端なのだ。
僕は今、冒険者。
考えを改めなければ。
でも本当は改めたくないなぁ……早く街に着きたいなぁ、お風呂入りたいなぁ。
「大規模遠征を見るのは、初めてかね?」
と、リーダーが言った。
「はい。参考になります」
僕は、魔導師に必要なものは観察力だと思っている。
日常にある不便こそが、今足らないもの、欲されているものなのだ。
だから、彼らの日常は、僕の今後にとって大きなヒントとなるはず。
「熱心なことだ。――だが、あまり参考にならんかもしれないぞ?」
「えっ?」
「本来の敗残兵とは、もっと陰鬱としたものだ」
街を放棄して撤退。
確かに、字面だけ見れば紛うことなき負けだ。
だが、獣車には高額素材がぎっしりと詰め込まれている。
どの獣車も、宝の山だろう。
でも僕は別にそういう意味で眺めていたわけでは無いのだが……。
リーダーは寂しげな顔になって言う。
「来た時は、この倍近い数の冒険者がいたのだ」
「それは――」
僕は、言葉をつまらせた。
先の防衛戦での死者は、八名。
……僕にとっては、ろくに顔も知らない僅かな犠牲。
数字でしか判断できない、命。
だけど、彼らにとっては皆苦楽を共にした仲間の命なのだ。
……いけないな。
ついつい、僕は先のことばかりを考えてしまっていた。
姉への仕送りだとか、街についたらとか……。
命に対しての敬意と配慮が、あまりにも足りていなかった。
駄目だな、本当に……。
僕と彼らでは、今、という時間の重さが違うのだ。
「それでも、キミのおかげで、希望を見いだせた」
「それは皆さんのお力があったからです。僕の力ではありません」
別に謙遜では無い。
僕ができるのは、道具を作ることまでだ。
そして道具は、使う人がいなければ意味がない。
……いやまあキングベヒーモスは確かに僕が頑張ったけどもね?
でも、それだけだ。
連発できない破壊力抜群の杖では、壁に群がる山のような魔獣の群れを相手にできない。
あっという間に数で押され、僕は死んでいただろう。
だから、僕はそこまで自惚れることはできない。
「いいや、キミの力だ」
持ち上げられすぎるのも、考えものだ。
悪い気分では無いが、モヤッとしてしまう。
ちょっと困る。
「私がいなくとも、先の戦いは勝てただろう」
ん?
それは……たぶん、そう、なのかな?
いや僕はこの人の力量とか知らないからわからないけども。
「だが、キミがいなければ、我々は全滅していた」
むむむ……。
そ、それも……そうかもしれない。
どうしよう、反論できなくなってしまった。
……ひょっとして僕は今、完全論破をされたのだろうか。
なんだろうこれは。
すっごい褒められてるけど負けた気分だ……。
「キミに、何か礼をしなければとずっと考えていた」
お、これは勝てる話題だ。
「お気持ちは受け取っておきます。でも僕は冒険者として参加していますので、報酬は皆さんと同じようにちゃんと[ギルド]から支払われますよ」
よし、勝った。
完膚無きまでの理論武装だ。
「それは建前だよ、リゼル君。冒険者たちは義理で動く」
……理論が通用しないタイプの返しをされてしまった。
ここで義理を出すのは卑怯だ。
というか呼び名がリゼル殿からリゼル君に変わったのだけど。
ひょっとして尊敬ポイント的なの下がった?
「これを、受け取って欲しい」
と、彼は一枚の綺羅びやかな羽ペンを差し出した。
これは結構な代物では?
でもペンか。
それくらいなら軽い気持ちで受け取れそうだ。
……いや待て。
この、魔力の煌めきは――。
「魔法ペン――」
思わず、驚きが声に出た。
これめっちゃ貴重品では?
一介の冒険者が持ってて良い物なの?
……って、これはだいぶ失礼な考えだな。
[白銀級]から[黄金級]でまとめられた冒険者たちを、一介と切り捨てて良いはずが無い。
というかルグリアも[白銀]なのだ。
彼の階級を笑うことはルグリアを笑うことにも繋がる。
それはいけない。
「私のパーティにも付呪師がいた。――だがもう、必要あるまい」
その言葉の意味は、流石に理解できる。
もう、この[魔法ペン]を使っていた人はいないのだ。
どこにも――。
とは言え、やったーラッキーいただきまーすというわけには行かない。
「受け取れません。これは、その方の家族に送り届けるべきです」
彼なのか彼女なのかはわからないが、形見なのだ。
それを横取りしたくは無い。
というか勝手に他人の遺品を贈り物にするってこの人おかしいのでは?
僕の中でこの人の評価はマイナスだ。
だいぶ下がった。
なんて自分勝手な人なのだ。
「もう残されている家族は私だけだ。――弟の遺品、キミの未来に役立ててはくれないだろうか」
あ、あわわわ……。
マイナスとか思ってすいませんでした……。
いやこれめっちゃ重いやつだ……。
過去最大級の重さだ……。
「勝手な言い分なのは理解している。だが弟の夢を、キミのそばに置いてやって欲しいのだ」
重すぎてちょっと足がすくむ。
見ず知らずの付呪師の形見。
――弟の、形見。
「もらってやってくれよ、先生」
冒険者の一人が、寂しげに言った。
すぐに仲間たちが続く。
「良いやつだったぜ、あいつはよ」
冒険者の様子から、本当に良い仲間だったのだとわかる。
「少し、先生に似てたかもしれないな」
う、贈り物の重さが増した気がする。
形見を誰かに託す人の、心情はわからない。
僕なら、例えば姉が亡くなったとして、その形見は誰にも渡したくない。
だけど……。
「弟さんの、夢って……?」
「付呪の力で、皆を豊かにしたいと言っていた」
思わず、僕は息を呑む。
弟さんは、そんなことを――。
リーダーが寂しそうに言う。
「……駄目かい?」
夢を、継ぐ――。
誰かの成し遂げたかったことを。
いなくなってしまった人の、思いを――。
わかった。
その重さも、夢も、全部ひっくるめて、僕が引き継ごう。
僕は、その資格があると見込まれたのだ。
これを無下にしたくない。
「……わかりました。貴方の、弟が辿りたかった道は、僕が貰い受けます」
僕は、[魔法ペン]を受け取る。
すると、ペンに残されていた前任者の魔力がぱちぱちと跳ね、輝きを放った。
魔力には、性格が出る。
それは僕の実感だ。
この[魔法ペン]の前の持ち主は、真っ直ぐで、穏やかな人だったように感じられる。
その暖かな輝きに触れ、僕は一つひらめいた。
「そうだ! 僕の……最後の杖があります!」
愛着はある。
何せ、[魔法学校]に入学した時から使っていたのだ。
思い出だって、たくさんある。
支給品のため、安物だが……。
しかし、この杖には対キングベヒーモスを想定した大火力の魔法を付呪してあるのだ。
それなりに価値はあるはずだ。
……流石に弟の形見には見劣りするだろうが。
「これを受け取ってください。せめてものお礼です」
だが、今出せる物はこれくらいしか無いのだ。
ここで、はいお金です、というのは違う気がする。
リーダーは少しばかり苦笑してから僕の杖を受け取った。
「ありがとう、リゼル君。――キミの旅が、報われることを祈っている」
こうして、僕は付呪師の必需品、[魔法ペン]を手に入れた。
いくつもの思いと、一緒に――。
そして僕たちは更に旅を続け、三日経つ頃にはようやく荒野を抜けようとしていた。
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