第12話:念願の付呪師見習い

 僕は本格的に付呪師見習いとして動き出した。

 やるべきことは多い。

 日が昇るよりも早く起床し、カチカチのパンっぽい謎のブロックを水と一緒に頬張り、師兼弟子のエメリアと共に〈サウスラン〉を覆う 防壁の付呪の確認と修繕作業を開始する。

 ちなみに、宿屋にお風呂は無かったので体が少しかゆい。

 街を覆う防壁の前に到着すると、エメリアは[魔法ペン]を取り出し言った。


「やってみせますので、後ろで見ていてください」


「は、はい」


「壁の付呪の修復は私が一人で行います。その後、貴方には別の付呪をしていただきます」


「よろしくおねがいします……」


 と、僕は[翻訳の魔導書]を取り出し、発動させる。

 途端に、付呪として壁に記述されている[古代文字]を読み取り、僕が分かる言葉として翻訳していく。

 良かった、ちゃんと通用する。

 記述は単純で簡単な内容だった。

 この壁に施されている付呪は大きく分けて三つ。

 強化、反射、自己修復だ。

 それらが大地の精霊への祈りの言葉として書かれている。

 壁に記されている付呪は、


【おお、愛しき大地の精霊よ】


 から始まり、最後は、


【我が無限の敬愛を捧げる】


 で〆ている。

 なるほど。

 本来の付呪って翻訳するとこんな感じなのか。

 他人の付呪を読めるって面白い。

 だがこれではまるで恋文だ。

 ちょっと読んでいて恥ずかしい。

 これは僕には書けない。

 というかもう読めない、本当に恥ずかしい。

 だがこれも結局は一例に過ぎないのだ。

 そもそも、付呪は付呪師ごとに記述方法まるで違う。

 例えば、今まさにエメリアが書いている付呪は、恋文とはかけ離れている。


【目覚めよ、大地の精霊】


 から始まり、


【これは我が勅命である】


 で〆ているのだ。


 ……な、なんか、彼女の印象とだいぶ違う気がする。

 だが、エメリアもまだ勉強中の身だ。。

 教本を片手に、時折筆を止め考えながら四苦八苦しているのだから、付呪の文体が堅苦しくなるのも仕方あるまい。

 しかも、彼女が今行っているのは、魔力が尽き消えかかった他人の付呪恋文を、自分の言葉で考えて付け加えていく作業。

 難しい上に恥ずかしい。

 それとも、彼女にはこれが恋文に見えていないのだろうか?

 [翻訳]の結果そう見えるだけで、普通に見たらただの[古代文字]の羅列なのだろうか?


 ……というかこれ補修失敗してない?

 補修した結果、所々の付呪がぐちゃぐちゃになっている。


【おお、愛しき大地の精霊よ】


 から始まり、敬愛と親愛を書き連ね、途中から突然命令口調に代わり、


【これは我が勅命である】


 で〆られている。

 だ、大丈夫なのか……?

 これで良いのか?

 こんなので正解なのか?


 全ての修繕作業が終わると、壁が微かに瞬いた。

 どうやら、これで正解だったらしい。

 エメリアが、ふーと長い長い息を吐き、僕に向き直る。


「何とか発動してくれましたが、力はだいぶ弱まっています」


 ……やっぱり正解ではなかったらしい。

 だが、そりゃそうでしょうね……、とは口が裂けても言えない。

 彼女はとても頑張っていたのだ。

 真面目に、真剣に、コツコツと教本を片手に――。

 僕は、彼女が死を覚悟した時に述べた言葉が耳から離れないでいる。


 ――不出来な、妹。


 だが、冒険者としての階級はルグリアよりも二つ上の黄金級。

 ……血の滲むような努力をしてきたのかもしれない。

 僕よりも、遥かに。


「では、リゼルさんの付呪を見せてください」


 そう言ってエメリアは薄く微笑み、僕に小さな杖を手渡した。

 外見的にはただの小枝をほんの少し整えただけの短くみすぼらしい杖。

 しかし手に持てば驚くほど強大な魔力を感じる。


「差し上げます。――故郷にある[世界樹]の小枝から作り出された杖です」


 と、とんでもない代物なのは良くわかった。


「あ、ありがとうございます」


 杖を持つ手が震える。

 これが名高い[世界樹の杖]の一振りならば、魔導師の誰もが欲しがるような一品だ。

 て、手に入れてしまった。

 エメリアは、また薄く微笑み、言った。


「その杖に、付呪をしてみてください」


 僕は、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 ギルド支給品の杖で、あの威力。

 ならば、この杖はどれほどの……。



 ※



 かくして、僕の付呪が始まった。

 場所は念の為、付呪修復したばかりの防壁の上で行う。

 また爆発したらたまらない。

 ここならば、もし再び魔力が暴走したら全力で外に向けて杖を投げればたぶん何とかなる。

 でもできればこの杖は爆発させたくない。

 むしろ宝物としてケースの中に飾っておきたい。


 ……どうせ僕はろくに魔法使えないのだし。

 だが、この杖に全力の付呪を施してみたいという欲もある。

 そして今は、その欲が勝った。


 さて、どう書くか……。

 杖は小さく細い。

 物理的に書ける量は少なくなる。

 壁で他人の付呪を学べたわけだし、真似をしてみようか?


 ……先程からエメリアはすぐ隣で、僕をじーっと見ている。

 彼女から[魔法ペン]を借りた手前、あまり見ないでくださいとか、もう少し離れてくださいとか、流石に距離近くないですか気が散りますとは言いづらい。

 だからそこは我慢しよう。

 でもこの状況で恋文を書くのはなんか嫌だ。

 エメリアのように命令口調にしてみようか?

 いや、これも良くないと思う。

 誰かに命令するのは趣味ではない。

 ひとしきり悩み、結局僕は最初の付呪と同じように、


【拝啓、雷の精霊様、本日はお日柄もよく】


 から書き始めた。

 途中で、先日自分の杖に施した稲妻の付呪のお礼を書きながら、


【私の不手際で、魔力爆発を起こしてしまいました】


 と続き……。

 し、しまった。

 もう書ける場所が無い。


 いいや諦めるな、手紙のサイズが違えばこういうこともある。

 僕はまだまだ若輩。

 誠心誠意を込めて、謝罪を織り交ぜながら続きを書こう。

 もういっそ、杖全体を付呪でぎっしり埋め尽くしてしまえ。


【只今、凶暴な魔獣に取り囲まれており、籠城戦を強いられております】


 等など状況を伝えながら、広範囲を制圧できる魔法をお願いしていく。


 と、気づく。

 手紙、として書くなら大切なことを失念していた。

 大失敗だ。

 僕は、名前を名乗っていないでは無いか……。

 慌てて最初に戻り、


【ご多忙なところ失礼致します、つい先日お世話になったリゼル・ブラウンと申します】


 と付け加え――。


「あ、ああっ、なんかめちゃくちゃになった……」


 思わず声に出てしまった。

 参った。

 書き直したい……。

 でも、物資が不足している中で何とか使わせてもらえた付呪用のインクを無駄にはしたくない。

 こ、これで……行くしかない。


 ふと、隣のエメリアが、心配げに覗き込む。


「あの、書きすぎでは……?」


「えっ!? だ、駄目でした!?」


 杖は既に[古代文字]だらけだ。

 確かに言われてみれば……いや、冷静になってみれば明らかに書きすぎている。


「付呪は言葉が多すぎると、魔力が定まらず発動しませんが……」


「あ、ああ! そうなんですか!? ……そりゃ、そうですよね、すいません……」


 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 気張りすぎてしまった……。

 考えてみれば、いきなり他人から長文の手紙を送りつけられるなど、迷惑行為そのものだろう。


 ……ん?

 じゃあ何で最初の付呪は発動したんだろう?

 あれ……?


 ふと、なにかに気付いたエメリアは真剣な顔になり言った。


「――それで撃ってみてください」


「えっ? で、でも……」


 あなたつい今発動しないって言いましたやん。

 と口からでかかるが黙っておく。

 師の言うことは絶対だ。

 少なくとも付呪において彼女は師で先輩で正しいのだ。

 たぶん。


「で、では、使います」


 と言ってから気づく。


「どこに撃ちましょう?」


 ちゃんと発動してくれるかどうかは別として、まあ空かな?

 まさか人に向けて撃つわけにもいくまい。

 すると、エメリアは壁の外の遥か彼方を指差した。

 目を凝らすと、地平線の彼方に薄っすらと、複数の獣らしき影が見える。


「ん、んー……? 犬、ですか? あれ? なんかサイズおかしくないですか? ん? 縮尺? 遠近法?」


「ベヒーモスの群れです」


「ああ、ベヒ――へあっ!?」


 おかしな声が出た。

 最も凶悪な魔獣の一種として数えられている陸の王者ベヒーモス。


「……ベヒーモスって群れるんですか?」


 確か、孤高の王者とか、一体だけでも衛兵が多数駐在する街を軽く滅ぼせるとか聞いたことあるが……。


「上位種がいる場合、群れを形成します」


 やだ怖い。

 というかあれにこの街狙われてるの?

 やばくない?

 一頭で街滅ぼせるレベルが群れてんでしょ?

 しかも上位種までいて、他にも魔獣がたくさんいるんでしょ?

 詰んでない?

 というかあれに向けて撃てって、この師匠頭おかしくない?

 なんでそんなに好戦的なの?

 血に飢えてるの?

 敵と戦う時に杖をベロベロ舐めたりするタイプだったりするの?

 師に付く人間違えたかな……。


 いやいや、出会った時を思い出せ。

 不出来な妹でごめんなさい、だ。

 今際の際でそれが出る人なのだ。

 僕は、エメリアを信じている。

 最後の最後まで、家族のことを思える人だ。

 敬意を持っている。


 でも怖いから一応聞いておこう。


「撃ったら襲ってきません?」


 すると、エメリアはお淑やかに微笑み、言った。


「ふふ、リゼルさんったら」


 あ、これは大丈夫なパターンかな?

 そもそも、エメリアは[黄金級]の冒険者だ。

 魔獣の習性や襲ってくる範囲、どうすれば怒るか、どこまでなら大丈夫かを熟知しているはずだ。

 僕だって勉強はしたが、対ベヒーモスの実戦経験などあるわけがない。

 ならば、彼女が大丈夫だと判断したらそれはきっと大丈夫なのだ。

 ああ良かった。

 やはり一流の師を持てたのは幸運だった。

 きっと僕の未来は明るい。


「――撃たなくても、襲ってきますから」


「えっ」


 やっぱりこの師怖い。

 いや、これが普通なのか?

 僕のほうが色々と遅れているだけなのか?

 た、確かに僕は実戦経験全然だし、対して彼女は[黄金級]だし……。

 信じて良いの?

 信じますよ?


「包囲されてから数日経っています。流石にしびれを切らす頃でしょう」


 それ不味いのでは?

 だってまだ、鍛冶屋は装備の修繕してる途中だって受付で言ってたし……。


「早ければ今夜にでも、というのが私の見立てです」


「あわわわ……」


 な、なんということだ。

 状況は想像以上に絶望的だった。

 なんということだ……。

 ニ回言ってしまった。

 な、なんということだ……。


「こ、今夜は……流石に早すぎませんか……?」


「魔獣は、ニーニとシイが討たれたことで殺気立っています」


 ほぼ僕の所為ではないか。

 いやいや、だがあの状況でどうしろと……。

 撃たねば食われていたというのに。


 だが、エメリアは別に僕を責めているわけでは無いようだ。

 ただただベテランの冒険者として状況を説明してくれているだけに見える。

 本当に、あれに向けて撃つのか――。


 僕は目を凝らし、彼方のベヒーモスの群れを見据える。

 一、二、三……うわぁすっごい多い、八体もいる。

 そして更にどこかに上位種がいて――。

 というかあれで全部なわけが無い。

 もっといると考えるのが妥当だろう。

 ベヒーモスの群れは、リラックスしているように見せながらも、こちらから決して目を逸らさない。

 恐らく僕が見ていることにも気付いている。


 ……ここから、狙うのか。

 壁の縁で肘を固定し、狙いを定めて見る。

 遠すぎて、ほぼ点ではないか。

 これで当たるのか?

 むしろ当てちゃ不味いのか?

 威嚇程度にとどめておくのがベストなのだろうか。

 実際のところどうなんだろう……。


 ふいに、背後からエメリアの細い指が僕の肩に触れられる。


「……慎重に、狙ってください」


 彼女の声色は、緊迫している。


「リゼルさん。……たぶん、貴方の付呪は発動します」


 彼女は、なぜだかそう確信しているようだ。

 経験から来る勘というものなのだろう。

 そう思ってくれるのは、本当に嬉しい。

 勇気が沸いてくる。

 ……そうだとも。

 この付呪は、僕が生み出したものだ。

 それを、僕自身が信じないでどうする。

 僕は[翻訳の魔導書]に込めた努力と情熱を、信じている。

 ならば、そこから生み出された付呪も同じことだ。

 勘では無く、積み重ねたものを知っているからこそ……。


 今まで僕は、ずっと一人だった。

 一人で信じ、ただひたすらに机の上で[翻訳の魔導書]を作り続けてきた。

 だが今、信じてくれる人が僕以外にもう一人できた。

 こんなに嬉しいことは無い。

 僕を信じてくれている人は、もう僕だけでは無いのだ。

 だから、この[世界樹の雷杖]は完璧に発動する。


 でも無事に発動することと爆発することは別の話しだよね……。

 [世界樹の杖]でも爆発するのかな。

 嫌だなぁ、これ壊すの。

 でも仕方ない、もう付呪はしてしまった後なのだ。

 覚悟を決めろ。

 既に、僕は付呪師への道を歩み始めている。

 これもまた、その一歩だ。


 僕は杖の先を、彼方のベヒーモスの群れへと向ける。

 ゆっくりと呼吸し、集中する。

 ベヒーモスもこちらには気付いている。

 だが、油断している。

 負けるはずがないと、高をくくっている。


 僕は、魔力を杖に走らせた。

 バチン、と魔力が爆ぜる。

 周囲の魔力が同調し、振動し、り、り、り、と鈴の音に似た奇妙な音を響かせる。

 こんな現象は、初めてだ。

 やがて鈴の音が収まると、全ての魔力が[世界樹の雷杖]に収縮し、赤黒く輝き始める。


「――撃ちます」


 魔力を走らせると、杖の先から赤黒い稲妻が撃ち放たれた。

 音よりも早く赤黒い稲妻が彼方のベヒーモスの群れの中心へと着弾する。

 同時に蜘蛛の巣のように稲妻が広がると、八体の王者の頭部を正確に撃ち貫いた。

 雷鳴が遠方から遅れて響く。

 既に、王者の群れは動かなくなっていた。

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