第17話 やはり臭い

 怠かった魔族の里から出て、ようやく王都へと帰ることができた。

 龍車だったから日帰りできたけれど、もし馬車だったら何日かかっていたことか。


 色々な杞憂も過ぎ去ったかに思われたが、数時間ぶりに見るメイソン邸はいかにもどんよりとした空気を漂わせている。


 龍車が正門を抜けたところで、数人程度のメイド達が迎えに来てくれた。まあ、この規模の屋敷だったら妥当な人数だろう。

 そのメイド達を取り纏めているのは、長であるベルカだ。


「お帰りなさいませ。お薬のほうは、無事手に入りましたか?」

「ああ、なんだかんだバタバタしたが問題なく手に入った。早速治療しよう」


 とりあえず俺はさっさと要件を済ませたい。ベルカは恭しく礼をしてから案内を始める。日が沈みかけていた。一旦応接間まで行くと、仕事で疲れて眠っていた伯爵が飛び起き、俺たちの側まで駆けてくる。


「おお! よく戻られた! して薬は!?」

「ご心配はいりませんわ。この通り、いただいて参りました」


 シエナが普段とはちょっと違う、淑女感溢れる静かな礼をしつつ、両手に持った小瓶を伯爵に見せた。彼の表情から悲観的な色が薄まり、なんだか泣きそうな困り顔に変化した。なぜかセンタも泣きそうだ。っていうかもう泣いている。


「おおお! 良くやってくれた! では早速、薬をアイリーンに飲ませよう」

「はい! このセンタめにお任せください。本当に良かったです。これでお嬢様が元に……ううう」

「安心するのはまだ早いですわ。あのお姿になっているんですもの。飲ませることも容易ではないでしょう」


 俺は頭を掻きながら欠伸をしていた。既に目標を達成したつもりになっていたんだよ。


「大丈夫だ。じゃあ、お嬢様に薬を飲ませてあげてくれ。そうそう、これ水」


 水が入った瓶をシエナの腰にある小さなバッグに入れ、センタの肩を軽く叩いた。二人ともなんか気が抜けたような顔になっているようだ。


「待ってくれゼル君。君は行かないのかい?」

「ああ。俺はちょっとここで休ませてもらおうかと。それとメイソン様に土産話でもしようかと思ってな」

「わかりましたわ。では、ここで待っていて下さいませ。メイソン様、行って参ります」


 センタは納得いかない様子だったけれど、シエナが引っ張っていくので渋々従ったようだった。メイソン伯爵はちょっと面食らい立ち上がる。


「待ってくれんかゼル殿。ワシも早く娘の治療を手伝わねばならぬ。すまんが今は失礼、」

「では私も失礼します」


 ベルカは早足でついて行こうとしていた。俺は手を上げて彼女を制止する。


「ベルカ、ちょっと待ってくれ。メイソンさん、気にしないで下さい。あっちは大丈夫です。厄介なのはこっちなんで」

「……なに?」


 伯爵は幾分やつれた顔を困惑の色に染めている。そうこうしていると、主人の側に寄り添うメイド長が眉を潜めて助言をしてきた。


「ゼル様。申し訳ございませんが、今は火急でございます。旦那様。早くお嬢様の元へ向かわれたほうが宜しいかと」

「いいや、必要ない。アンタも伯爵も、ちょっと俺の話に付き合ってほしい。ここはとにかく臭う。マジでキツいよ。アンタ、そう思わないか?」


 メイソン伯爵はやっぱりというか、イライラし始めていた。娘のことが心配なのだから、当然そうなるだろう。メイドはその細い首を傾げて眉間に皺を寄せている。


「臭い……は特別感じませんが」

「まあ、そうだよね。自分の臭いって普通は分からないもんだ」

「ゼル殿。一体何の話なのだ?」


 メイソン伯爵の顔に焦りが募る。しかし、こっちの話も大事だ。ソファに座った俺は二人をじっと見つめている。


「伯爵も気がつかなくて当然ですよ。魔法や魔物に知識がある人でなくては、こういった臭いは察知することができません。この屋敷に来た時から、とにかく臭かったんですよ。なあベルカ。アンタだろ? お嬢様を病気にしたのは」

「はい? ……先程から何をおっしゃっているのでしょう。すみませんが、今はお話に付き合っている暇はないのです。メイソン様」

「魔物病はこんな人里で容易に発生するものじゃない筈だ。誰かがわざと運んできたりしない限り、発病なんて到底不可能な話だ。元々箱入りのお嬢様ってことを考えると、犯人は限られてきちゃうだろ?」


 目前にいる大貴族が、俺とベルカを交互に見て怪訝な顔を浮かべる。


「た、確かに。あんな病気が発症したなんて話は、王都ではまったく聞いたことがない。しかし、ベルカはもう十五年以上もウチに支えてきたメイドなのだよ。病気を発症させる手段なんて持ち得ないし、そもそも裏切ることがあり得ぬ」

「その通りでございます。私がご主人様を、お嬢様を裏切るような真似をするなどと。あまりにも失礼な発言ではございませんか」


 ベルカの言葉には幾分熱が入ってきてる。うんうんと頷く伯爵を尻目に、またあくびが出そうになるのを堪えた。


「確かにそうだろうね。あんたがそのベルカ本人であれば、裏切ることはしないだろうよ。あくまで本人であればの話だが」

「な!? い、いい加減になさって下さい。旦那様! このお方は、」


 彼女が狼狽している間に、俺は懐から一枚のカードを出して、二人に絵柄を見せてみる。ツノが二本生えた、いかにも悪魔っていう絵柄のカードだ。


「ゼル殿、それは?」

「まあ、おまじないみたいなものですよ。ベルカさん、お嬢様の所へ向かう前に、あと少しだけ俺に時間をくれよ。二つだ。たった二つだけ質問に答えてくれれば、アンタの身は潔白だと認めるし、床に頭が擦れるまで謝罪してもいい。何なら牢獄に入ったって構わない」


 ベルカの目は泳いでいる。応じるべきか迷っているんだろう。メイソン伯爵は手を振り、少しだけ腰を浮かしてソファへと招いている。


「よく分からないが、これで最後だね? ベルカ、彼の話に付き合ってくれないか」

「……承知しました」


 沈み込むようなメイドの声はどこか軽蔑の念を感じずにはいられないが、別に気にする必要はない。静かに腰を下ろした彼女はあくまで冷静そのものだった。テーブルの上にカードを置き、俺は足を組んで彼女を見据える。


「このような子供の遊びめいたカードなど出して、一体どういうおつもりですか」

「まあまあ。いいじゃないか。さてゼル殿、質問とやらをしておくれ。時間が惜しい」

「煩わせてすみません。では早速だけどベルカさん、十五年以上? ここに勤めているあんたに質問だ。十五年前と今、この屋敷で大きく変わったことを答えてくれるかい」


 ソファに座ることを許されたベルカは、姿勢を正してこちらを見据えた。一点の曇りすらない、晴々しいほど誠実な顔だ。


「まず一つは、旦那様のご結婚とお屋敷の改築でございます。奥様とのひと時を大切にしたいとお考えである旦那様は、本館を十三年前にお作りになられました。十年前にお嬢様が誕生されて、以降は月に一度の社交パーティや、国王様との謁見や国民名誉賞の授与など、多くの出来事があり今に至ります」

「そうかそうか。俺はアルストロメリアに来たばかりだから、伯爵のことも屋敷のことも知らなくてな。良い勉強になった」


 そう言って出してもらった紅茶を飲みつつ優雅な時間を過ごすはずだったんだが、丁度遠くから何かが弾けたようなデカイ音がして、思わず吹き出しそうになる。


「い、今のはなんだ!?」とそわそわし出す伯爵。

「大丈夫です。あれは心配いりませんよ。拘束がちょっと取れ始めているだけです」

「大変なことではありませんか!」

「いいや、問題ない。じゃあ、二つ目の質問をしよう」


 メイソン伯爵とベルカの殺気すら帯びているような視線を浴びて、俺は苦笑いしつつ頭を掻いた。


「……なんてな。悪いベルカ。実は最後の質問は考えてなかった」

「考えて……ないんですの?」

「ああ。だってもう十分時間は稼いだから」


 光を帯びていたカードが霧散し、部屋全体を包み込んでいく。戸惑いと怒りがないまぜになっていたベルカの顔が、徐々に苦痛に歪んでいった。


「うぐ……ぐううう! おおおおおお」

「ベルカ!? どうした? ベ、」


 メイド服が隆起で突き破られ、灰色の体毛が膨れ上がってくる。どんどん本来の姿に戻りつつあるベルカの偽物に、俺は開いた掌を向ける。


「部外者には、退出願おうか」


 黒い閃光が室内で開放され。毛むくじゃらの胴体に衝突する。巨大な狼は屋敷の外までぶっ飛んでいった。


「あ、あああ。今のは一体」

「いつの間にか、ベルカさんに成り代わっていた怪物ってところですね。あれは魔法とかも使う厄介なタイプです。隕石とかも落としてくるかもしれません。ちょっと片付けてくるんで。俺との約束、くれぐれもお願いしますよ」


 面倒だけど、まあこのくらいはいいか。俺は屋敷の庭まで吹き飛んだ怪物を追うことにした。

 遠回りにはなったけれど、ニート生活の為にあとちょっとだけ働こう。

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