第13話 魔物病
俺はほとんど魔族としての繋がりしか持っていなかった。
だから人間社会の、とりわけ貴族という文化には疎い。
しかしそんな浅い知識を持った身でも、この屋敷は豪勢な部類に入ることは解る。最近理解してきたが、でかい魔物が入場することを想定していない人間の建物は基本的に小さいし狭い。しかしここは三階建てでわりと大きめに作れれていた。
「本当にすまない。祭りの最中だったというのに、ご足労かけてしまったね」
この屋敷の主人であるメイソン伯爵は応接間に俺達を招いていた。差し出されたお茶は初めて飲む味だが悪くない。ソファで隣に座るシエナはいつも通りの空気感だが、センタはかなり緊張しているようだ。
「お気になさらないで下さいませ。メイソン様には日頃よりお世話になっております」
「メイソン様のためなら、このセンタたとえ火の中でも水の中! 精一杯尽力致します!」
「おお、おお。これは心強いお返事を頂けた。ありがたいことだ。ところで、そちらの方は?」
俺が伯爵にちょっとばかり疑惑の眼差しというか、警戒されるのも仕方ないかもしれない。彼にしてみれば初対面であるわけだし、お世辞にも人が良さそうな男には見えないだろう。まあ、そのあたり自覚はある。
「俺はシエナの知り合いで、ただの町民のゼルです」
「冒険者ギルドでわたくしのパートナーをお願いしている方ですの。とってもお強いんですのよ」
「この僕でさえ圧倒されました。彼は本物です」
いつの間にかパートナー認定をされてしまっているが、なんか突っ込むのも面倒だ。メイソン伯爵はうんうんと相槌を打ちながら、少々緩んだ笑顔になる。
「大聖女と聖騎士がそう言うのなら、信頼に値する人物なのだろうね。うむ! では、少し早いが……ワシについて来てくれないか。実際にその目で確認されたほうが、話が早い」
リラックスしたかと思いきや、今度は重々しい顔になって伯爵は部屋を出る。後をついていく俺達は無言だったが、聖女と聖騎士の背中からは、一体何が始まるんだろうという緊張感がありありと出ている。
正直俺もちょっと緊張してる。昔からサプライズとか苦手だからな。誕生日に元右腕から、サプライズとかいう名目で脅かされたのはここ数年で一番のトラウマになってる。アイツそういうの下手な癖に、たまにやろうとするから厄介だったわ。
三階のとある部屋で、メイソン伯爵がその重い足取りを止めた。昼間だというのに重苦しく暗い屋敷内において、一際陰湿な気配が漂う部屋がある。気がつけばシエナが俺の腕の袖を指で摘んでいた。
「信じられませんわ。この気配……メイソン様。扉の先には何がおりますの?」
「……やはり、シエナには伝わるのだな。ワシの娘じゃよ」
声は小さくなんだか悲しげだ。センタは聖女の少し前に立っていて、何かがあったらすぐに彼女の身を守ろうとしている。黒い扉が軋む音がいやに響く。カーテンを締めきった暗い世界で、長い黒髪をした誰かがうずくまっている。
「まあ! 封印をなさっているのですね!」
「シエナ様! お下がり下さい。これは……」
「あれが封印なのか?」
俺は色々と人間界の勉強が足りていなかったらしい。白地に何かしらの文字が刻まれた札をペタペタと貼り付けられているそいつは、見ればまだ幼い。きっと十歳にも満たない子だろう。鎖で四肢を封じられ、前のめりになっていた子供は俺達に気がつくと、顔をあげてこちらを睨みつけた。
「おお! アイリーンよ。すまない! ワシとて、このような真似はしたくないのだ」
鎖を引きちぎらんばかりに揺らしながら、鋭く尖った歯を開けてこちらを威嚇している。シエナは肩を震わせているようだ。
「魔物病にかかってしまったのですね。それも酷く進行していますわ。いつ娘さんはご病気に?」
「ほんの一週間前からだと思う……。ワシも妻も、初めはただの風邪か何かかと」
魔物病か。人間や魔人などが感染する病であり、その名のとおり魔物になってしまう病だ。まあ、わりと昔から認知されている病気なんだけど。
「メイソン様! 一刻も早く治癒しなくては大変なことになります! 聖女様、どうかお願いします」
まるで自分のことみたいに熱くなるセンタ。シエナは顔をこわばらせつつも、一歩、一歩と怪物半歩手前になった少女に近づく。
できる限り近くで回復魔法を試したいようだ。でも、そんな勇気がある行動を、突然部屋に駆け込んだ何者かが邪魔した。
「せ、聖女様。お待ちくださいまし。今のアイリーン様は、とにかく危険なのです!」
「これ! ベルカや。お主が口を挟むでない!」
貴族の一喝で縮こまったのは、メイド服を纏うお姉さん。多分年齢的には三十代前半くらいかな。栗色の髪を後頭部に纏めていて、いかにもメイドってルックスだ。関係ないが、俺が魔王だった頃もメイド雇ってみたかった。
「アオアアアアアッ!!」
突然叫び声を上げた幼女が、長くなった爪で引っ掻こうとするように何度も振り上げる。背後からヒールの足音がして、今度はベルカより更に年上のドレス姿の女性がやってきた。
「ああ……アイリーン! どうして、どうしてこんな事に」
「ここには来るなと言っただろう。ベルカ、家内を安全な場所に連れていけ」
「は、はい」
くるなりシクシクと崩れ落ちるその人は、メイドさんに労られつつその場を離れていく。なんていうか、気まずい空気になってきたな。
「シエナ。君の魔法でいけるか?」
「やってみますわ。自信はありませんけれど」
仮にも大聖女という肩書を持っているが、シエナは決して奢るような性分ではないらしい。体をブルブル痙攣させながら睨みつける獣みたいな少女に、小さな両手を遠間から開いた。決して噛みつかれない距離を慎重に取っているようだ。
彼女の瞳と同じ翡翠みたいな輝きが、両手から柔らかく噴出されていった。あれは俺みたいな闇にどっぷり浸かった魔族には逆にキツい、神聖な治癒魔法の一つ。あらゆる病気を消し去る【浄化の螺旋光】ってやつだ。
なんか見てるだけで体調悪くなりそう。
「おおおお! す、凄い。ここまでの魔力とは。娘も、この魔法ならば」
「聖女様! やはりあなた様は、神に選ばれし乙女です! くうう」
センタの奴が変な唸り声を上げている中、俺はどうにも煮え切らない気分だった。多分というか、大体の結果は予想がついてる。少女は息を切らしながら、床の上で前のめりに倒れる。まさかと思ったんだろう、伯爵が血相変えて飛び出そうとした。
「あ、アイリーン!」
「ちょっと待って下さい」
失礼だったかもしれないが、俺は伯爵を腕づくで抑えた。
「少し噛みつかれただけでも致命傷になりますよ」
「し、しかし。聖女殿が魔法で」
シエナは部屋中が緑一色になるくらい強めに魔法を放っていたが、やがて手を止めて、ただ俯いた。
「ダメですわ。わたくしの魔法でも、どうやら治せないようですの」
「そんな……大聖女でも、治せないというのか」
がっくりと膝から崩れ落ちる伯爵。今にも泣きそうな聖女。既に泣き始めたセンタ。どうしてこの騎士はこうも涙もろいんだろうな。
「ううう! こんなに幼い子が、もうすぐ魔物になってしまうなんて。こんなことがあっていいのか! もう、どうしようもないのか!」
「いや、手は残っているだろ」
三人の視線が一気にこちらに向けられて、なんだか落ち着かん。
「魔物病なんてのは薬で治せるじゃないか。どんなに進行していても、高価なやつならすぐ元通りにできるだろ」
「え? どういうことですの?」
あれ、なんか解ってない感じだな。
「そんな薬なんてどこにあるっていうんだ!? ゼル君」
「センタ、顔が近い。いや……っていうか、ないのか? 普通売ってるだろ」
「いいえ! 売ってなんていませんわよ」
「魔族の里じゃ普通に……あ」
もしかして、人間の里には売られてないのか?
「本当なのか!? 娘は治るのか?」
金持ちオヤジにすがりつくようにくっつかれた。やめてくれよホントに。
「治りますよ。でも……確か。ああそうそう。魔族の集落とかにしか売ってなかった、かな」
「あ、ある!! 少々遠いが、魔族達の集落はあるぞ! そこに行けば売っているのかい?」
センタが急に大声を張り上げ、シエナはビクッと震え上がった。アイリーンは犬みたいに唸りながら彼を睨んでいる。
「まあ、魔族の里ならあるさ。ああいう薬は普通に何処でも売ってる。風邪薬と変わらん」
「そうか! しかし、どうしてそんな事を君が知っているんだい? 魔族は我々にとって謎らだけの存在だ。明らかになっている情報なんてほとんどないはずなのに」
ずっとこちらを見上げていた聖女が、またしても明るい真っ直ぐな笑顔を向けてきた。
「ゼルさんは田舎者ですけど、とーっても物知りですのよ! 昆虫から魔物に至るまで、図鑑ばりの知識をお持ちです」
「田舎者いうな! それに図鑑ばりの知識なんてねえ。知り合いに詳しい奴がいてな。確かな情報だから安心してくれ。じゃあセンタ、そこへ案内しろよ」
短髪ゴリマッチョ聖騎士は、やけに爽やかな笑顔で親指を上に立てる。そして猛獣のように走り出した。
「任せてくれゼル君! すぐ、すぐ馬車を呼んでくるぞー!」
速い! あの行動力は素晴らしいもんがあるな。さて、集落に向かう前に確認することがあった。
「そうそう。メイソン伯爵。その子を元に戻したら、俺のお願いは聞いてくれるんですよね?」
「あ、ああ! 勿論だとも! ワシにできることなら、何でも言ってくれ!」
「ゼルさん。いつになくやる気ですわ。あ! ま、まさか……」
ポッと頬を赤くするシエナに、俺はため息をつくしかない。
「何を考えているのかは知らんが、多分ハズレだ。俺は今回の件で、今度こそ自由になる。ただそれだけだ」
そう。伯爵の力さえ借りることができれば、もう安心だ。
いよいよ、今度こそ騒がしく忙しい毎日から解放されるだろう。
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