第5話 魔王との出会い
賃貸屋の店主であるロデオは、今でこそ懸命に仕事をこなしながら順風満帆に生きてはいる。
しかし彼は、二年前に一度絶体絶命の窮地に立たされたことがあった。
仕事の付き合いでとある大陸の町へ移動していたところ道に迷ってしまい、どういうわけか魔族や魔物ばかりの国にたどり着いてしまったのだ。
ただの人間であった彼は瞬く間に素性がバレてしまい捕まった。間もなく自分は殺されてしまうのだろう。一体どんな方法で処刑されるのか想像もつかず、ただただ怯えるしかなかった。
しかし、自体はロデオの想定とは別の方向へと動いていく。噂を聞きつけた魔王が、自分と話をさせるように命じたのだ。
その城は湖の上に浮かんでおり、彼の想像しているよりもずっと神秘的な雰囲気がした。全てが人間達よりもスケールが大きく、城は見上げんばかりに巨大だ。
拘束されたまま謁見の間に通された彼は、とうとう魔王と顔を合わせることになる。
「俺の名前はゼルトザームだ。君か……この国に迷い込んだ人間というのは」
たった一言発しただけで、ロデオは体が小刻みに震えてしまうほど恐怖した。髪の毛から鎧、ブーツのつま先に至るまで黒に統一された男、魔創王ゼルトザームはただ座っているだけで、強烈な威圧感を全身から放出しているようだった。
「は、は……はい」
ロデオは歯がカチカチとなってしまい、頭がロクに働かない中で必死に返答をする。周囲には人生で一度も見たことがない怪物達で溢れている。
「人里は随分と離れているが、よくここまでやって来れたなぁ。セブン町から来たのだろう?」
「ゼル様。この者の処分はどうされますか」
鈴の音を思わせる声色が室内に響き、拘束された哀れな男は震え上がった。処分という言葉は彼にとって死を意味しているよう。声の主は魔王の傍に立っている、白髪を後ろに束ねたエルフ。顔つきは少々童顔に映るが、落ち着いた様子を見る限り、彼女もまた只者ではないのだろうとロデオは思う。
「処分? いや、別に処分すると決まったわけじゃないんだが」
「スパイの可能性があります。まずは口を割らせるべきかと」
「いいっていいって。大丈夫だよこの人は。なあロデオ、ちょっと俺と世間話でもしないか? 実はさ、人間の世界に興味があるんだよ」
エルフの少女は納得いかずむくれている様子だったが、肩をすくめて発言をやめる。ロデオは必死だった。ここで魔王の機嫌を損ねてしまえば全ては終わり。とにかく人間界の知識を、知っている限りを乾いた口で喋り続けた。
魔王と呼ばれた男は当初、無表情で話に耳を傾けていたが、ある時ハッとした顔になって右手を前に出した。
「ちょっと待った! 今の話、特に詳しく知りたい」
「は、はい!?」
「働かないのにずっと生活している者がいるんだろう? 人間界には」
「え、ええ。そうです。彼らはニートと呼ばれておりまして、生涯働かずに人生を終える者もいます」
「ミア、聞いたか!?」
熱意の籠った問いかけだった。ミアと呼ばれたエルフは、呆れたように首を横に振る。
「怠惰の極みですね。軽蔑します」
「そうか? 素晴らしいじゃないか、働かずに暮らしていけるなんて。ちなみにそのニートとやらは何処にいるんだ」
「僕の故郷、アルストロメリアには少しですがいます。彼らは元々失業したりとか、色々事情がある人がほとんどですが……。本当に理由もなく働かない人もいます」
魔王は玉座から身を乗り出さんばかりに前のめりになって、赤い瞳を輝かせているようだった。魔族であるが、ゼルトザームは見た目は人間とほとんど変わらない。その姿に、ロデオは先程までの恐怖も薄れ、少しばかり親近感を覚えるまでになっていた。
「凄いな! 君の故郷は本当に楽しそうだ。なあロデオ、君は賃貸屋なんだろう? もしもの話だが、俺が君の故郷に行ったら、いい家を紹介してくれないかい?」
「ゼル様!」
慌てたように隣にいたミアが詰め寄る。魔王は手を振って誤解されていることをアピールした。
「冗談だ冗談。もしもの話だって。で、どうだ?」
魔王はどうやらエルフのことが苦手なようだった。特にこの質問をした時は、ちらりと横目で彼女の反応を伺っていたようにも見える。
しかし、もしもの話に意味などあるのだろうか? ロデオは不思議に思ったものの、答えは一つしか浮かばなかった。
「は、は、はい! 魔王様がいらっしゃった暁には、必ずや素晴らしい家を紹介させていただきます。それはもう、大赤字覚悟です!」
魔王は満足げに笑顔を浮かべ頷くと、周囲の部下達に視線をやり、出会った時とは違う陽気な声を上げた。
「よし! なかなか愉快な時間だった。グラン、ゲラルド。ロデオをこの国から、人里の近くまで送ってやれ」
声をかけられた二匹の赤いオーク達は、すぐにロデオを引っ張っていこうとするが、待ったをかけたのはミアだった。
「お待ちくださいゼル様。国の情報を知られています。このまま帰すわけには」
「少々中身を見せたところで、揺らぐような国ではないさ。俺達はそんなにヤワじゃない。それになんといっても、優秀なエルフの右腕がいるからな」
笑いかけてくる魔王に、エルフの少女はつんとした顔でそっぽを向いた。
「決まりだ。ロデオ、君を人里に帰そう。俺との話は忘れないでくれよ」
「あ……ありがとうございます! 決して、決して忘れません」
その後、約束どおり魔物達は彼を殺さず、人里の近くへと送り届けられたのだった。
◇
時は流れ、トラウマものの記憶は忙しい毎日に埋もれる。ロデオは今日も懸命に働いていた。中間職に出世してから、更に大変な毎日になった。しかし、収入も大きく増えたし妻子もいる。やる気は日増しに高まっていた。
そんな彼は今日は裏方のはずで、個室でひたすら書類の整理をしていたのだが、なぜか受付嬢が慌てて駆け込んできた。
「ロデオさん! あなたにお客様が見えていますよ」
「え? 僕に?」
「はい。何処かの騎士様じゃないかしら。とても高級そうな黒い鎧を着てらっしゃるんです」
「騎士様か。分かった、すぐに行こう」
ロデオは沢山の顧客を抱えていた為、自分を名指ししてくる人も珍しくはない。だが、騎士と思われる風貌をした客は記憶になかった。
もしかしたら、うちの店の噂を聞きつけてやってきた、上流階級出身の騎士だろうか。だったら願ってもないことだ。足取りは速くなり希望は膨らむ。そして見つけた後ろ姿は、なんとなく覚えがある。だが思い出せない。
兎にも角にも、ロデオは回り込んで彼の向かい側に立ち、丁重に挨拶を試みる。
「お待たせしました。僕がロデ……」
言葉を発しかけて、彼は石のように固まってしまう。正面に座る男を知っている。ちょうど二年前、とある国に迷い込んだ時に遭遇したあの魔王だった。魔王が、今目の前にいる。
「やあロデオ。久しぶりだな」
側からみれば爽やかな微笑だが、二年前に地獄を見た男からすれば悪魔の微笑みに映る。
「ひぃいいいいい!?」
思わず腰が抜け、その場に転んでしまう。そんな彼の姿に、周囲で仕事をしていた受付嬢や客も驚きを隠せない。
「おいおい。どうした? 以前話をしていただろう。家を紹介してほしいんだ」
「ヘァ? い、家……ですって?」
「そうだ家だよ。思い出してくれ。俺が王都に来たら紹介してくれるって話だったじゃないか。それにもう俺は、あっちを辞めてきたのさ。だから危害を加えたりなんて絶対ない。安心してくれ」
どうやら彼は、もう魔王ではないと言いたいらしい。突然の出会いから理解が追いつかない話までされて、頭の中が飽和状態になりつつも、ゼルトザームに手を差し伸べられて、とにかくロデオは椅子に座らされた。
しかし、本当なのだろうか。彼は誰にも聞こえないような小声で真意を確かめようとする。
「あの、本当ですか? 国を治めていたのですよね?」
「本当に本当だ。実はさ、ずっと前からなってみたかったんだよ。ニートって奴に。だからここまで来た。とにかく、まずは家が欲しいんだ」
ニートになりたかった? またしても意味不明な話が舞い込んでくる。どうして一国の王が無職になろうとするのか。しかし、今はあまり長話をしたくはない。正直一番関わり合いになりたくない男だ。でも仕事を断る明確な理由は浮かばない。
ロデオは憔悴しながら必死に考えを巡らせた。もし国に彼のことを話したら、きっと恨まれて何をされるか分からない。実際に王都に来た以上、もう紹介をする以外にはないだろう。断れないならばならばさっさと紹介して、以降はできる限り関わらないようにするしかない。
「あはは。そうだったんですねー。いやあ、ずっとお待ちしていましたよぉ。実はとっても素晴らしい家が空いているんです! 今からご案内してもよろしいですか?」
「マジか! では頼む。いやー、君と知り合えて嬉しいぜ」
僕は全然嬉しくない! 心の中で絶叫しながら、ロデオはゼルトザームに空き家を紹介していくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます