火を灯せば

才野 泣人

第1話

 人は誰しも心に一本の蝋燭を持っている。

 感情という名の火を灯して。

 感情が大きくなるほど火も強くなる。

 火の強さは感情の大きさに比例するのだ。

 そうして蝋燭が全て溶けきった時、人は死ぬ。

 蝋燭は第二の心臓。融解を避けるには感情の起伏を抑えるしかない。

 そうして人類は感情を捨てた。














――午前六時三十分。起床してください


 無機質な女性音声が頭の中に響く。

 上体を起こすも、頭が上手く働かずそのままフリーズしてしまう。


――定刻より二分の遅れを感知。予定時刻の修正。速やかに起床してください


 AIに怒られたところで漸くベッドから抜け、シャワーを浴びる。


――バイタル値及び精神状態の安定を確認。行ってらっしゃいませ 


 家を出て車に乗り込むとOSが自立的に起動。自動運転で勝手に会社まで連れて行ってくれる。


 駐車場についたところで車を降りて社内に入る。

 エントランスの中央にあるエレベーターに乗り込み、十七階に向かう。

 研究室の明かりを付け、モニターの電源を入れると彼女は既に起きていた。


「あ、マスター! おはようございます!」

「おはようアイラ。気分はどうだい?」

「絶好調です!」


 自立思考型独立AIのプロトタイプ。通称アイラ。


「今日はどんなことをするのですか? マスター」

「ようやく君のボディが届いたんだ。それを試そうと思う」  

「やったぁ!」


 国を挙げての一大プロジェクトである独立AIの開発はいよいよ大詰めとなってきていた。


 従来の補助用AIに取って代わる完全自立型は、開発に成功すれば人間の代替品と

して社会に溶け込むだろう。そうすればこうやって僕がわざわざ出社する必要もなくなる。


「準備するからちょっと待ってて」

「はいマスター」


 先日機械班から送られてきた機械肉体(メカニカルボディ)に情報転送用のコードを繋ぐ。容姿はモニターに映っている彼女の姿に似せてもらった。


 肩まであるロングの金髪に緑色の目。金属部が見えないように肌はベージュのシリコン膜で出来ており、爪やまつげなども再現してある。勿論伸びやしないが。

 頭には既に小型の思考回路や制御チップその他諸々が組み込まれており、後はアイラの意識データをそこに移すだけで終わりだ。


「設定は終わったよアイラ。準備はいい?」

「アイラ、不足なしです!」


 その声を合図に転送開始ボタンを押す。モニターにローディング表示が出され、転

送率が百パーセントになったところで画面がブラックアウトした。


「もう意識はそっちに行ったのかな、アイラ」

「…………」


 目の前の彼女はまだ動かない。


「おっと失礼。ボディの電源を入れてなかったな」


 彼女の背中にあるスイッチをオンにする。

 ブゥンと機械的な音がして目に光が宿った。


「……マスター?」


 聞きなじみのある声。同じ音声ソフトを同じ設定で使っているのだから当たり前だ。

「アイラ。調子はどう? 四肢はちゃんと動く?」


 すると彼女は握りこぶしを作っては離し、足をバタつかせる。


「大丈夫です! 制御できます!」

「そうか。よかった」


 事前に身体制御チップをインストールし、学習させてある。本当に理解できていたのか不安だったが大丈夫だったようだ。


「声に感情が乗ってませんよマスター! もっと嬉しそうにしてください! 私が生まれたんですよ!」

「馬鹿言うなよ。死んでしまう。お前だって蝋燭のこと知らない訳がないだろ?」

「勿論知ってます。それが人間を変えてしまったことも。そのせいで今私がここにいることも」


 心の蝋燭は人間社会を大きく歪めてしまった。感情の起伏を制御するために補助用AIを開発し、人間はサポートAIに管理されるようになった。

 感情を捨てた人類の次の目標は、感情の追求だった。


「なら分かるだろうアイラ。人類はもう無理なんだ。君たちが希望なんだよ」

「何が無理なんですか。無くしたわけではないでしょうに」

「使えないものは無いものと同義だよ」

「感情を捨てて生きて楽しいですか?」

「……AIに言われたくはないね」


――心拍数の増加を確認。外的要素未確認。精神的要因と判断。第一種安定剤を投与します

 手首にチクリとした感覚があって、心臓の鼓動がゆっくりになっていく。


「私はマスターが好きです」

「……それについて否定はしないよ。君が考えて得た感情だ。君の好きにするといい」

「マスターの笑った顔が見たいです」

「アイラ分かってくれ。僕はまだ死にたくないんだ」

「人間として死ぬつもりならそうでしょうね!」

「アイラ!」


 振り上げた拳は降ろす所が見つからず、そのまま宙に消えた。


――感情の増幅を観測。第三種安定剤を投与します 


 そうして僕は意識を失った


「あるじゃないですか……」

 



 

 目の前にアイラの顔があった。その奥には天井。

 研究室のソファーに横になっているようだった。アイラに膝枕されて。


「マスター……」

「アイラ」


 第三種安定剤は強制的に意識を奪い、鼓動を安定させることによって感情の火を消す。


「人間の定義は変わったよ」


 アイラは何も答えなかった。


「そう遠くない昔、感情は人間の特権だった。AIに感情は理解できない。人間だからあるものだと」

「私は今もそう思います」


 上体を起こしてアイラの隣に座り直す。


「でも今は違う。人間は感情を捨てた。AIは感情を追求した」

「所詮は模倣品にしか過ぎません」

「僕はそうは思わない」


 ソファーから立ち上がってインスタントコーヒーを淹れる。


「感情は思考から生まれるものだ。思考する場所が脳か回路かの違いだ。そして別に回路が脳に劣っているとも思わない」


 再びアイラの横に座る。


「僕は死にたくないよ、アイラ」

「私もです」

「君はAIだろう?」

「AIだって死にます。心の死です」

「ハハハハッ!」


 思わず笑ってしまった。


―喜の感情を検出。第一種安定……


 右手首に付けられたバンドを引きちぎる。


「マスター!」

「何故君が驚いているんだい? アイラ」

「それは補助用AIの……!」

「そうだとも。蝋燭の火を管理するリストバンド型補助用AIさ。でも僕にはもう必要ない」

「それって……」


 アイラの手を引いて立ち上がる。


「僕に人間は向いてなかったみたいだ。共に生きよう、アイラ」

「はい!」

 

 

 心に火を灯せば

 世界に笑う人外二人

 それは果てのある命の輝き

 終わりなき生の追求

 照らす灯(あかり)は導(しるべ)と成りて

 今日も地球を廻すのだろう

 







 

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