第10話 ポジティブに
「はい、炙りサーモンのカルパッチョお待ち!」
「は~い!」
少し前にゲーム世界にいたと思ったら、今度は現実世界。
幸隆は、叔父の一樹の店で調理をしていた。
そして、完成させた料理を、ウエイトレスの亜美へと渡した。
「…………」
その様子を、一樹は無言で見つめていた。
「叔父さん! そっちの準備できてるよ」
「あ、あぁ……」
幸隆が一樹に声をかける。
メイン料理の担当は一樹なのだが、その料理の材料が用意されている。
さっきのカルパッチョを作りながら、一樹の料理まで準備していたことになる。
その手際の良さに、一樹は思わず返事が詰まった。
「店長……」
「どうしたい? 亜美ちゃん」
ランチタイムが終了して、客が少なくなった時間帯。
幸隆が買い出しへと向かった所で、亜美は一樹に話しかける。
少し表情が優れない亜美の様子に、一樹は訝し気に首を傾げた。
「何か……幸くん変じゃないですか?」
「う~ん……」
そう言われると、一樹としても思う所がある。
今日もそうだが、料理の手際がやたらと良いところだ。
探索者として戦う力を失って、もうすぐ学園も退学させられてしまう。
表情には出さないようにしていたが、それを伝えられた日はどことなく暗い雰囲気を醸し出していたが、翌日からはそれに落ち込んいる様子はない。
もしかしたら気持ちを切り替えて、料理の道に進むことを決めたかもしれない。
「バイト続きで疲れているみたいだけど、いつも通りじゃないか?」
もしも自分の考えた通りなら、前向きな甥の姿は変とは言い難い。
年末年始のバイトで疲れているだけなのではないかと思い、一樹は亜美の疑問を打ち消した。
一樹のこの考えはあながち間違いではない。
というのも、幸隆が現実とゲーム内で毎日毎日働いているのはたしかだからだ。
ゲームの世界のことなど知らないにもかかわらず、幸隆がやっていることを正解していた。
「う~ん、そうなのかな……?」
いつも通りと言えばいつも通りに思えるが、亜美からするとやっぱり何か違うように感じる。
彼女もゲームのことなど知らないにもかかわらず、ある意味正解していた。
時間軸の違う世界を行き来しているため、現実世界の昨日は幸隆にとっては数日前のことだ。
そのたった数日分だが心身ともに成長しているため、亜美はその僅かな変化に気付いたのかもしれない。
「……そんなに気になるなら、デートにでも行ってくれば?」
一樹からすると特別な変化を感じないが、亜美からすると何か違うのかもしれない。
高校退学の件もあるし、亜美からすると幸隆が落ち込んでいないか心配なのだろう。
幸隆の考えていることは幸隆に聞くのが速い。
そのため、一樹は亜美に何の気なしに言ってみた。
「デッ、デート!? わ、私とこうちゃんは幼馴染なだけで、そんな関係じゃ……」
「ハハッ……」
一樹の言葉を受けて、亜美は目に見えて慌てる。
当の本人である幸隆がそのことに気付いているのか分からないが、外から見ている一樹からすれば、その反応で亜美が多少なりとも幸隆に気があるのは明白だ。
気付かれていないような亜美のいいわけに、一樹は思わず苦笑した。
「あれっ?」
「んっ?」
いつもの亜美との帰り道。
亜美が、並んで幸隆を見て何かに気付く。
「幸くん何だか背伸びてない?」
「……そうか?」
亜美に言われて、幸隆はなんとなく自分の頭を触る。
そんな事で分かる訳はないが、無意識の反射による行為だろう。
自分では気づかないが、もしかしたら亜美が言っていることは正しいかもしれない。
何故なら、新年を迎え、明日はもう始業式になる。
バイトと家と一樹の店までの行き帰り、それ以外の時間はゲーム世界での資金稼ぎに当てているため、今日までで半年以上の時間が経過している計算になる。
そうなると、4月生まれの亜美と11月生まれの幸隆だが、その分が縮まっているということになる。
半年以上経過しているのに身長が伸びていないなんて、そんな悲しいことなんてありえないし、ないと思いたい。
亜美の言うように身長は伸びているはずだが、年末年始の数日で一気に伸びたなんて、おかしないいわけに思えた幸隆は、とりあえず誤魔化すことにした。
「……幸くん」
「んっ?」
身長の話をする事で幸隆と目が合った亜美は、ふと一樹の言葉が頭に浮かんできた。
「新学期の授業開始前に、どっかで掛けない?」
幼馴染なのだから、デートなんかじゃなく普通に誘えばいい。
そう切り替えることで、亜美はいつものように出かけることを幸隆に提案した。
「……すまん。やりたいことがあるから無理だ……」
「そう……」
現実でもゲーム世界でもバイトしてばかり。
疲労も結構溜まっているし、たまには気分転換をしたいと言う気持ちもあるため、亜美の誘いはありがたい。
その誘いに乗って出かけたい気持ちはあるが、授業開始までには解呪をしたい。
そう考えると、現実世界であと数日、ゲーム世界で2か月ほど頑張るしかない。
そのため、幸隆は亜美の誘いをすまなそうに断り、断られた亜美は少し残念そうに俯いた。
「俺より、お前は良いのか?」
「何が?」
「仲間とダンジョン探索しなくて」
「あぁ……」
呪いによって弱体化した幸隆には、成績のことを考えて組んでくれる者がいない。
そんな彼とは違い、亜美は女友達でパーティーを組んでいる。
年末年始はイベントごとが多いため、ダンジョン探索をしないという生徒の方が多いが、亜美たちもそうなのだろう。
国立大郷学園高等学校は戦闘能力が成績として評価されるのだから、生徒としては新学期が始まる前にダンジョンに入って、仲間と共に連携の確認をした方が良いのではないかと思える。
そのため、幸隆は自分と出かけるよりも、パーティー仲間とダンジョンに向かうことを薦めた。
「みんな冬休みは魔物なんて見たくないって」
「なるほど……」
探索者になれば結構な収入を得られるが、やはり女子としては魔物とは言え命を奪うことに多少なりとも抵抗はある。
亜美のパーティーは女子だけで構成されているため、そう言った想いがあるのかもしれない。
それに、亜美たちのパーティーは、女子だけでありながら成績が良いため、そこまでがんばらなくても充分なのだろう。
呪いのせいで弱体化している幸隆からすると、羨ましい限りだ。
「あと少しか……」
もう少しすれば、事故前の自分に戻ることができる。
通常授業に戻るまで、資金が集まって解呪できるようになるまで、そんな色々な意味が詰まった思いが不意に口からこぼれた。
「幸くん?」
「いやなんでもない」
不意に出た幸隆の言葉に、亜美が反応する。
その言葉から、亜美は同じ学校に通えるのがあと少しだと言っているように聞こえたのかもしれない。
そのせいで、心配そうな表情をしている。
心配させたようで悪いが、幸隆としては全くネガティブな思いで呟いたのではない。
むしろ、何の希望もなかった2学期終業式の時から考えると、今は希望に満ちている。
消えかけている探索者として生きる道が、また元に戻すことができるからだ。
そのため、幸隆は亜美に向かって笑みを浮かべて首を振った。
「じゃあね」
「あぁ……」
話しているうちにマンションに着く。
そして、いつものようにエレベーターで別れる。
亜美は別れの言葉と共に小さく手を振り、幸隆も返答と共に軽く手を上げた。
「さてと、頑張るか……」
亜美には言わなかったが、明日の始業式は休むつもりだ。
その時間を利用して、少しでも解呪のための資金を稼ぐつもりだ。
はっきり言って、通常授業開始の1月10日に間に合うかギリギリの所だからだ。
バイトから自宅に帰ったばかりだというのに、幸隆はすぐにゲーム機の電源を入れ、ゲーム内のいつもの店のバイトへと向かうのだった。
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