第9話

「二人とも自分が狙われた心あたりはないようだね」

 濃厚な牛乳とコーヒー豆の豊潤な香りに包まれたカプチーノで喉を潤したユウジはレイに語り掛ける。

「ああ、そのようだ。それに感触からして、どちらも嘘はついていないように思える」

 レイも最初の一口を済ませると、上唇に残ったカフェモカを紙ナプキンでふき取りながら同意を示す。被害者達からの証言を聞き終えた二人はそろそろ夕暮れを迎える頃合いということもあり、商業区画にあるカフェで一息入れることにしたのだ。

 二人目の被害者は三年生の本橋コトミ(もとはし ことみ)という女子生徒で、彼女は来年に大学受験を備えており、聞き込みは学園が用意している特別講習の合間を狙って行なわれた。そのため、この時間帯まで掛かってしまったのである。

「・・・つまり新しい手掛かりは見つけられなかったわけだ」

「そういうことだ。まあ、今回の聞き込みで、被害者自身が事件に絡んでいる可能性は低い。という確認は出来たとするべきかな」

 ネガティブに結論を口にするユウジに対してレイはポジティブに補足する。


「なるほど。で、次はどうしようか?」

 余裕を示すレイに感心しつつもユウジは次の策を問い掛ける。

「被害者側から手掛かりを見つけられなかったのだから、次は加害者、犯人側からアプローチするしかないな。とりあえず、今ある情報から犯人像を割り出してみよう。・・・なぜ、犯人は私達の靴を盗んだと思う?」

「それは・・・可愛い女子の靴の匂いを嗅ぎたかったからとか?」

「んん、その推測が完全な間違いだとは言わないが・・・少々、踏み込み過ぎだな。女子の靴を盗む者は性癖が歪んだ変態というバイアスが掛かり過ぎている。いきなりそれが出るとなると、ユウジにもそんな願望があるのかと疑ってしまうぞ」

「いやいや! そんなこと・・・り、理由はさておき・・・犯人にとって、レイ達の靴が盗んでも必要だったのは間違いないね」

 慌てて取り繕うとしたユウジだったが、レイ特有の僅かに口角を上げる笑みを見たことで彼女の意図を知る。どうやらまた試されたか、からかわれたようだ。下手に抗議するとその反応さえも彼女を楽しませるだけだろう。話を進めるためにユウジは改めて客観的な推測を述べる。

「そうだ。まずは細かく分解して根本的なところから整理して行こう。犯人は私達の靴がどうしても必要だった。そして被害者の特徴はかなり似ている。これがもう一つの手掛かりだ。なぜ被害者の特徴は似ている?」

 口角を戻してレイは質問を続ける。

「犯人・・・レイの靴のサイズはいくつだっけ?」

 犯人の好みと言いそうになるのを堪えてユウジはレイに確認する。さすがに同じ轍は踏まない。

「25センチだ。女子としては大きい方だな」

 本来ならプライベートな質問だが、レイは正解だと言わんばかりに快活に答える。

「犯人はそのサイズの靴が欲しかった?」

 女子バレーの部員もいるくらいだから被害者達の身長は女子としては高めだ。当然、足のサイズも大きめとなる。

「そう見るのが妥当だな。昨日、調べたのだが、私と本橋先輩、更に保井も25センチだ。G寮には私達三人よりも背の高い女子が何人かいるが、彼女達の足のサイズはもう少し大きい26センチだった。仮に犯人が長身の女子を好む性癖の持ち主だとしても、そこまで細かいサイズに拘るか? という疑問が残る。むしろ大きい方を狙いそうだからな。いずれにしても犯人にとっては、25センチだけが標的だったようだ」

「・・・じゃ、次はなぜ25センチなのかだね?」

 これまでの推測は既に昨日の段階でレイの中で組み立てられていたのだろう。それを自分との対話形式で語るのは、言葉にすることによって再認識するためと、考えに穴がないかをチェックさせるつもりなのだ。

 レイは優秀で自己評価も高いが、自身を完璧だとは思っていない。ユウジは彼女が自分に相棒として何を求めているかを理解すると、進行役兼デバック係りとして続きを求めた。

「うむ。だが・・・それはさすがに今の段階では推測できないな。情報がまだ少なすぎる。ただ、G寮に所属する高身長で足のサイズが25センチというかなりニッチな条件の女子が狙われたのは間違いない。・・・いや、犯人は私を含むこの三人を狙ったのではなく・・・区別がつかなかったから三人分の靴を・・・それで靴から・・・うむむ」


 途中から説明ではなく、独り言に変ったレイをユウジはカプチーノの続きを飲みながら見守る。こういう時は変に邪魔しない方が良いし、彼女が思考を巡らせている間にその美貌を堪能することにしたのだ。

 以前はポーカーフェイスで近寄りがたいと認識していた麻峰レイだったが、こうして身近で見るとかなり表情は豊かだ。変化に大きな動きがないので気付き難いが、何か企んでいる時は口角を上げて笑うし、今みたいに考え事をしている時は髪の一房に指を絡ませながら、微かな唸り声を上げたりもする。ユウジに絵画の才能はなかったが、それでも今のレイを描いてみたいと思う。タイトルは〝唸る美少女〟が良いだろう。

「もしかしたら、犯人は特定の人物を見つけようとしたのかもしれないな!」

 そんなことを考えていたユウジにレイはようやく纏まった考えを伝える。

「えっと・・・つまり?」

「つまり、犯人は靴が欲しいのではなく、靴を手掛かりに目的の人物を探し出すため、靴を盗んだ可能性もあるってことだ。逆からの視点だな」

「な、なるほど」

 レイに見惚れていたユウジはようやく理解する。確かに逆側からの発想であり、一応は辻褄も取れている。

「まあ、あくまでも可能性だ。これ以上の推測はもう少し情報がないと独り相撲になりそうだから、やめておこう。・・・ああ、そろそろ夕飯だし寮に帰ろうか?」

「・・・確かにそうだね」 

 新しい推測を思いついたことで満足したのかレイは今日の捜査終了を告げる。これ以上は夜というべき時間帯なのでユウジも納得を示す。


「最初は・・・」

 残っていたカフェモカを飲み干したところでレイは突然、右手の握り拳を振りながらユウジに誘い掛ける。何事かと思ったが、ジャンケンをする特有の合図だ。どうやらレイはここの支払いをジャンケンで決めようとしているらしい。

「いいだろう。受けて立つ! 最初はグー、ジャンケン、ポン!」

 レイがこのような子供っぽいことをするとは思いもよらなかったが、ユウジは日本人なら当たり前のように身体に染みついているリズムで握り拳の後に手を開けてパーを出す。

「ふふふ。じゃ、支払いは頼んだよ。あと、夕食はいつもミスズに誘われているんだ。あまりユウジとべったりだと彼女がヤキモチを焼くから。ここで別れよう。続きはまた明日だ、ユウジ!」

 チョキを出してジャンケンに勝利したレイはいつもの控えめな笑顔を見せると席を立つ。

「負けた・・・。じゃ、また明日!」

 ユウジとしては負けたことよりもレイと別れることの方が気になったが、笑顔で彼女を見送る。レイには自分以外にも交友関係があるのだ。特に名前が出たミスズとは、クラスメイトの川島ミスズ(かわしま みすず)のことで、二人の仲が良いのはユウジも知っている。引き留めることはしなかった。


「単純な窃盗事件と思っていたんだが・・・」

 二人分の支払を済ませてカフェの外に出たユウジは一人呟く。レイの勘からすると、この靴の窃盗事件は別の事件の予兆である可能性が高いらしい。それが事実なら学園を揺るがす大事に発展するかもしれない。

「既に勘の一つは当たっているし、困ったな・・・いや、良い暇つぶしと見るべきか?」

 最初は困惑を口にしたユウジだったが、意外と子供っぽいレイのことを思い出すと苦笑を浮かべて嘯くのだった。

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