第2話
「良かったら、一緒にご飯を食べに行かないか? 君と相談したいことがあるんだ」
四時限目が終了し、授業内容の要約をパソコン内のファイルに整理していたユウジはレイから誘いを受けた。
「え! 俺と今? 相談?! い、行く。もちろん行くよ!」
食堂のピーク時を避けるつもりでいたユウジは驚きの声を上げるが、そのまま承諾の意志を表わす。
自分が女の子から、それもレイのような美人に食事に誘われるなんて信じられないことだが、彼女とは昨日の月曜日に授業開始ギリギリの教室に一緒に駆け込んだ間柄である。可能ならばこの出来事をきっかけに仲良くなりたいと思っていたから、ユウジにとっては願ってもない申し出だった。
「じゃ、行こう」
ユウジの返事を聞いたレイは僅かに口角を崩すとそのまま踵を返して一人で出口に向かう。付いて来いという意味だろう。自分から誘ったにしては素っ気ない態度だが、ユウジは手早くパソコンを休止状態にすると、彼女のしっかり伸びた背筋とスカート越しでもわかる黄金比のような絶妙なお尻の膨らみを目標に後を追う。
レイと会話らしい会話をしたのは、昨日の靴の一件が初めてだったが、彼女について理解したことがある。麻峰レイという少女は独特の価値観を持っているものの、頭の回転はかなり冴えている人物ということだ。大抵の事は悩む前に自身で解決してしまうだろう。
そんな彼女が『改めて昨日のお礼を伝えたい』ならまだしも、他人に、しかも自分に『相談したい』と言っているのだ。その内容が気にならないはずがなかった。もっとも、多少の変わり者だったとしてもレイは眺めるだけで溜息が出るほどの美人だ。ユウジにとって断る選択肢は、それこそミジンコほども無かった。
「大食堂でいいだろう?」
「もちろん! 無駄な出費はしない方が良いからね」
廊下に出てレイに追いついたユウジは彼女からの提案を受け入れる。
二人が学ぶ、この杜ノ宮学園は東京都西部に存在する私立の全寮制中高一貫校だ。そのため学園の敷地内に中等部、高等部それぞれの校舎、各種教育施設、学生寮はもちろんのこと、学生や教員が学園外に出ることなく快適に暮らせるよう商業施設も用意されている。その規模は学生と教員、各種スタッフを合わせると二千人を超えるため、ちょっとした町程度はあるだろう。
そんな環境なので昼食を食べる場所も複数の選択肢があった。本校舎の一階に設けられた学生食堂の他にも商業施設内にあるカフェ、レストラン、更にそれぞれの学生が所属する寮の食堂等である。
これらの中で昼食を無料(正確には学費の中に含まれている)で提供してくれるのは通称で大食堂と呼ばれる学生食堂だけだ。カフェとレストランは当然ながらメニューごとに料金が発生するし、寮の食堂も昼の時間は調理スタッフがいないため、自炊した弁当か商業施設の売店で買った軽食を食べることになる。そのような理由から多くの生徒は大食堂で昼食を摂っていた。
揃って一階に降り立ったユウジとレイは大食堂の外まで続く生徒の列の最後尾に並ぶ。大食堂はその名の通り高等部の生徒、約千人を一度に収納出来る席数を持ってはいるが、配膳はセルフサービスのため昼休みの早い時間はこのような順番待ちの混雑が毎回起きるのである。
それを避けるためにユウジは少し時間を置くのだが、今日はレイと一緒だ。混沌と呼んで良いほどの喧騒に満ちた中で自分の順番を待つのもそれほど苦に感じなかった。
「麻峰さんは何にするの?」
早速とばかりにユウジは時間潰しも兼ねて前に並ぶレイに問い掛ける。相談の内容も気になったが、これは落ち着いたところで彼女の方から持ち掛けてくるはずである。まずは軽い話題でコミュニケーションを取ることにした。
「私はB定食にするつもりだ。君は?」
「俺は・・・俺もB定食にしようかな」
「うむ、唐揚げは美味いからな」
「まあ、A定食の煮込みハンバーグも捨てがたいんだけどね」
「なら、いっそのこと二つ頼んでしまってはどうだ?」
「いや、さすがに二つは食べられないよ!」
「もちろん、冗談だ。ふふふ」
「・・・真顔で言うから、本気にしたよ。ははは」
積極的に冗談を言うようなタイプとは思えなかったレイだったが、ユーモアのセンスは持っているらしい。彼女の口角を僅かに上げる独特な笑い方に釣られてユウジも笑顔を浮かべた。
「おっと、そろそろだな」
「そうだね」
その後も他愛のない話で待ち時間を潰していた二人だが、管理用の読み取り機に近づくと学生手帳も兼ねた学園指定の携帯端末を取り出して学食用のアプリを起動させる。それによると今日の日替わりメニューの一つであるB定食はまだ二百食ほどの余裕があるようだ。
確認を終えたユウジはそのままレイに続いてB定食を指定すると読み取り機にかざしてデータ読み取らせる。連続して成功を報せる電子音が鳴り、これで二人にはB定食が配布される手筈が整ったのだった。
「本当に便利だな・・・」
手帳をポケットにしまいながらユウジは感想を漏らす。彼が生れた時代には既にスマートフォンと呼ばれる携帯端末は高性能化し、電子マネーも一般的ではあったのだが、この杜ノ宮学園ではそれが徹底されていた。
あらゆることが電子化されており、学園内での売買はこの端末を通してのみで行われることになっているし、多くの手続きも窓口や担任の教師を通さずに端末から申請出来るようになっている。
例えば個人や部活動等で視聴覚室を利用したい場合には、学生手帳でもある携帯端末で日時を指定して申請し、許可が出ると、その時間帯だけ視聴覚室を使用できる一時限定の電子キーがダウンロードされるという具合だ。
このような最先端の電子管理を備えた杜ノ宮学園ではあるが、いくつかの弊害もある。高度な電子システムは学園内外のセキュリティに深く関わることもあって、学校指定以外の電子機器は持ち込みが禁止されているのだ。
誤作動や不正行為を未然に防ぐためではあるが、生徒からすれば入学以前から愛用していたスマートフォンやパソコンはもちろん音楽プレイヤーの類までを手放すことになるため、少なからず不満を持っている者もいた。
もっとも、学園側も必要以上に生徒を締め上げるつもりはないらしく、学生手帳や指定パソコンに学園が奨励している以外のアプリやデータをダウンロードしてはならないといった規定はない。おそらく何かしらの制限あるのだろうが、メジャーな動画配信サイトや音楽配信サイトには間違いなくアクセスが可能だった。
そのため生徒はお気に入りの動画や曲をダウンロードし直すという手間があるものの、学園生活の合間にそれらを楽しむことは許されているのだった。
やがて順調に配膳を待つ生徒の列は減っていき、ユウジはレイに続いて幾つもの山となって置かれているトレイの中から一枚取ると、せり出したカウンターの上に乗せて更に列を進む。
「B定食です」
自分の番が回ってきたのでユウジはカウンターの向こうで待機している白衣の女性に申告を行う。
「あいよ」
ユウジの申告を受けた配膳役の中年女性は短くも子気味良い返事とともに、綺麗にきつね色に染まった唐揚げと付け合せのサラダが盛られた皿を食堂側と厨房を隔てる一段高くなって仕切りの台の上に置く。
「ありがとうございます」
揚げたての象徴とも言うべき微かな破裂音を立てる唐揚げを目の前にして、ユウジは自然と笑顔を浮かべながらお礼を伝える。
電子化が進んでいる杜ノ宮学園ではあるが、調理や配膳といった地味に細かい仕事は人力である。自動化が難しいためだが、逆にそれによって人間同士の繋がりが残されているのかもしれない。
その後もユウジは似たようなやり取りをしてご飯とみそ汁、温かい麦茶をトレイに乗せると先に進んだレイの後を追う。
空いている席を探す者や既に食事を終えて食器を返却する者達で通路はごった返しているが、女子としては長身で均整のとれた彼女の後ろ姿と特徴的なプリっとした臀部はなかなか目立つ、見失うことはなかった。
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