戦いの序曲

EP0「救世主と蛇」

 そこは幻想的な風景がどこまでも広がる、特別な場所だった。満点の星空を足元の水面が映し出し、まるで万華鏡のように輝いている。その輝きの一つ一つが世界だった。星屑の海…ここは生まれた可能性世界の全てを観測できる場所。


 そこには、かつて救世主と呼ばれた男、マスター・サナンダが一人、佇んでいた。彼はまるで金星を人の形に直したような美しい男だったが、その表情はどこか憂いを帯びている。


 サナンダは遠くの方で星が強烈に瞬いているのを見て、何かの始まりを感じた。


「おやおや、また…誰かが夢を見始めたみたいだ」


 すると、背後で空間が裂けるのを感じた。愛する者の気配が近づいてくる。


「ねえ、この夢を見ているのは一体誰だと思う? 僕? それとも、君かい?」


 サナンダが振り返ると、そこにはフードを目深にかぶり、巨大な蛇をまとった黒い少年がいた。彼の名はアルファルド…どこか白い蛇使いの少年と似ている。


「さあな」


 アルファルドは低く、怒りに満ちた声でそう言い放つ。


「あれ、僕はてっきり、全部君の仕業かと思っていたよ。だって、君は破壊と混沌を望んでいるんだろう?」


 サナンダはここ最近、星が輝きを失ったり、消えて行ったりしているのは彼の仕業なのだろうと思っていた。


「確かに破壊も混沌も、俺が望んだことだ。だが、結果は違う。俺はこんな結果、望んでいない。全部、アンタのせいだ、サナンダ。アンタの所為で俺は死ねなくなった。永遠なんて望んでなかったのに…アンタのせいで…」


「それは…すまなかったね。けど、僕はただ純粋に、君を…みんなを救いたかっただけなんだよ」


「それはアンタのエゴだ。誰も望んじゃいなかったさ。俺たちの望んだ平穏は、幸せは…偉大なる死の中にこそあるんだ」


 サナンダもアルファルドも死を許されない体になっていた。彼らは意識として、思念として、ここに在るのだ。肉体を捨てざるを得なかったあの日から、永遠の中を彷徨っている。


「ああ、分かってる。分かっているよ。これは僕のエゴ。人生という一冊の本があるとして、ラストページに刻まれるのはいつだって死だ。そんな事は十分に分かってる。それでも僕はみんなに生きていて欲しかった」


 サナンダの罪は、世界を繰り返したことだった。愛する12人の弟子を救うために、世界を記録するその能力で、何度も何度も世界を繰り返した。そして、その末に輪廻から弾き出されてしまったのである。


「だからって、人の運命を勝手に書き変えるんじゃねえよ。落とし所のない物語なんざ、地獄でしかない。それとも何か? 永遠を与えることが救済だとでも言いたいのか? 神にでもなったつもりかよ」


「神か…そうなれたらよかった。残念ながら、僕はなりそこなってしまったよ。人々が祈りを捧げる限り、僕は与えられた役割以外を担えない。彼らが僕に望んだ役割は、神で人でもなく、世界を救う救世主さ。まあ、実際の所、自分の大事なものを救うことすら…僕はできなかったけどね」


 彼は神というにはあまりに自分勝手で、救世主というにはあまりに悲しく、人と言うにはあまりにも桁はずれな存在だった。


「はっ、憐れだな。何も救えなかったくせに、肉体を失った今でもこうして、希望の象徴で在り続けてるってか」


「それは僕の望みではないよ。僕の力はもはや自身の制御を外れてしまっている。今、世界を作り出しているのは彼らの方なんだよ。だから、僕はこの夢に干渉することができない」


「まあ、なんだろうが関係ないがな。俺はただ暴れるだけだ。アンタが希望の象徴なら、俺は破壊と混沌の化身…アンタが作り上げたものを全て飲み込んで、無に還すまでだ」


 蛇は怒っていた。自分を永遠のものにしたこの男を憎んでいた。自分が消えることができない代わりに、世界のあらゆるものを消そうと企んだ。


「そう簡単にはいかないよ。僕の弟子たちが君を止めるだろうからね」


「はっ、やれるものならやってみろ。一人一人順番に葬ってやるさ。やっと十二の座が揃ったんだ。アンタはそこで指をくわえて見てればいい。愛する弟子たちが苦しむ姿をな…」


「蛇よ、孤独なる者よ。そんなに僕のことが憎いのかい?」


「当たり前だろ、マスター。俺はアンタを許さない」


 アルファルドはその場を去っていく。そして、その歩みは、新たに生まれた黒き夢の中へと…。


「はあ、随分と嫌われてしまったな。けど、僕はそんな君さえも愛しているよ。いつか、君に許される日が来ますように」


 新たに形成された黒の世界は一層の輝きを放っている。


「また物語が始まってしまう。これは永遠を与えられた彼らの、永い永い戦いの物語。全てに決着が付き、運命が一巡するまでの記録」

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